一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』……タイトルに隠された深い意味……

2019年01月04日 | 映画

※文字が小さく感じられる方は、左サイドバーの「文字サイズ変更」の「大」をクリックしてお読み下さい。

※本日の訪問者数がスゴイことになっている。訪問者数の6556も、日別順位の14位も、
たぶん過去最高だと思う。原因は、どこかの局で深夜に映画『悪人』が放送され、このブログのレビューにアクセスが集中した為。もう二度とないだろうから、パチリ。




昔、「週刊ブックレビュー」という番組があった。
NHK衛星第2テレビ(BS2)で、
1991年4月7日から2012年3月17日まで、
毎週土曜日に放送されていた書評番組(教養番組)である。
本が好きな私は、毎週欠かさずこの番組を観ていた。
この「週刊ブックレビュー」で、
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史著)
という本が採り上げられたことがあった。


2003年か、2004年頃だったと思う。
ゲスト書評者が褒めていたし、
私も、『こんな夜更けにバナナかよ』というユニークなタイトルに興味をひかれ、
図書館から借りて一気読みした。
筋ジストロフィーという難病患者(鹿野靖明さん)と、
彼を支えるボランティアとの交流を描いたノンフィクションで、
『こんな夜更けにバナナかよ』という奇妙なタイトルの意味は、
深夜に、
「バナナを食べたい」
と言い出した鹿野さんに対して、
その晩、泊まり込みの介助に入っていた学生ボランティアが
〈いいかげんにしろ!〉
との思いでつぶやいた言葉からとられている。
とても心を動かされた本であったが、
年月が経ち、この本もことも、鹿野靖明さんのことも、すっかり忘れていた。
ところが昨年(2018年)の夏頃だったか、
年末(12月28日公開)に『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』という映画が公開されることを知った。
こんなに年月が経っているの今さら映画化かよ
と思った。(笑)
筋ジストロフィーに対する医療も進歩しているだろうし、
ボランティアの意識も変化している。
〈今さら15年前のノンフィクションを映画化する意味があるのだろうか……〉
と思った。
だが、
主人公の鹿野を大泉洋が演じ、
医大生・田中を三浦春馬が、
田中の恋人で、新人ボランティアの美咲を高畑充希が演じているという。
〈私の好きな大泉洋や高畑充希が出演しているのなら、見てみたい!〉
と思った。
で、1月2日に、金立山に登った後に、
イオンシネマ佐賀大和で鑑賞したのだった。



北海道、札幌。
安堂美咲(高畑充希)は、
恋人の医大生田中久(三浦春馬)がボランティアをしているという、
鹿野靖明(大泉洋)の家を、こっそり訪れる。
田中はボランティアをしていると言っているが、
そのことを理由になかなか会えないので、
ボランティアは口実で、他にも女がいて、
二股をかけられているのではないかと疑っていたのだ。
だが、田中は熱心にボランティアをしており、
美咲はホッとする。


鹿野靖明、34歳。
幼少の頃から難病の筋ジストロフィーを患い、体で動かせるのは首と手だけ。
人の助けがないと生きていけないにも関わらず、病院を飛び出し、
自ら大勢のボランティアを集め、風変わりな自立生活を始めた人物。
わがまま放題で、ずうずうしくて、おしゃべりで、おまけに惚れっぽい。


美咲は、この日はデートできると思っていたが、
鹿野が田中に、
「夜のボランティアが来られなくなったので、夜もいてほしい」
と言ったので、美咲も一緒に鹿野の家に泊まることになる。
美咲を田中の恋人とは知らず、
ボランティアに来た学生と勘違いしていた鹿野は、
その日の夜更け、突然、
「バナナ食べたい」
と言い出す。
田中は鹿野の傍に付いていなければならないので、
美咲が夜の街にバナナを買いに出る。
だが、どの店も閉まっており、街中を駆けまわることになる。
ようやく見つけて買って帰るが、
その後もワガママ放題の鹿野に、美咲の堪忍袋の緒が切れる。


「もう、二度と来ない!」
と言って、帰ってしまったのだ。
「二度と来るな!」
と言い返した鹿野だったが、
美咲に恋心を抱いていた鹿野は、
田中にお願いして、美咲にまた来てくれるように頼むのだった……




映画が始まって、ほどなく、
タイトルになっている「こんな夜更けにバナナかよ」のエピソードが描かれている。
なぜこんなタイトルなのかを、
あらかじめ観客に知らせておかなければならないということなのか……

このファーストシーンを見た人で、
鹿野のワガママぶりに嫌悪感を抱いた人たちが、
「Yahoo!映画」のユーザーレビューに、次のように書き込んでいた。

「夜中にバナナを買いに行かせたり、眠れないからと言ってオセロにつき合わせたりするのは最早、立場を利用した、わがまま、であり、対等、を自認するなら、そこには、人としての節度と常識が必要であり、この人にはそれがない」

「結局は障害者を振りかざして、人を道具のように利用していただけ」

「甘やかすという愚行の積み重ねが、夜中にバナナを買いに行かせたということに繋がったのだろう」

「常識の範囲外を要求するクズには、断れば済む話」

「人間社会には【常識】って事がある訳で、夜中にバナナを買いに行かせたり、ゲームなどを夜中まで付き合わせたりするのは考えられない」


等々。
原作者の渡辺一史氏も、シナリオを読んだときに驚いたそうだ。

鹿野さんのふるまいが、健常者の目には「わがまま」に映るのは原作どおりですが、登場シーンからあまりに衝撃的に思えた。正当な権利を主張しただけでも障害者はバッシングを受けやすい時代なので、現実に障害のある人たちに迷惑をかけるのではないかと心配になりました。(『キネマ旬報』2019年1月上旬特別号)

こんな批判や、心配の声が出るのは予想がつくのに、
なぜ、あえて、このシーンを冒頭に持ってきたのか……
そのヒントになりそうなものが、大泉洋のインタビュー記事の中にあった。

この映画は、もちろん渡辺さんの書いた本が原作だけど、それはあくまで渡辺さんが切り取った鹿野さんなわけで。撮影前に、鹿野さんを知る方たちにお話を聞くと、見る人によって鹿野さん像が随分違っていた。だから僕たちは僕たちで、鹿野さん像を作っていくしかなかったのかなって思いました。

そこで大泉は、撮影前に人工呼吸器をつけた障がい者、鹿野さんの母親、彼と一緒に時間を過ごしたボラたちに会い、話を聞いた。

ひとつ面白い話があったんだけど、人工呼吸器をつけたある方が「僕たちって、ものすごく人を見るんです」って言うのね。「ちゃんと人を見ないと、生きていけないから」って。「この人にはこれは頼める、この人にこれは頼めない、ということを細かく見極めて、それぞれに頼むんです」と。つまり人に合わせて、態度が違うんですね。鹿野さんについても「私の見た鹿野さんは、こういう人だった」という人がいれば、「いや、そんなのは鹿野さんじゃない」って言う人もいる(笑)。そこが人間臭くて、面白かったんですよね。でも、みんなそうじゃないのかなあって。(『キネマ旬報』2019年1月上旬特別号)

つまり、鹿野自身が意識していたかどうかは分からないが、
ちゃんと人を見て頼んでいたのではないかと……
筋ジストロフィー患者を夜通し看ることは、
たぶん、「夜中にバナナを買いに行かせる」ことよりも大変なことと思われる。
おそらく、「Yahoo!映画」レビューに批判を書いたような人には、
心配せずとも、最初から頼まないのではないか……(笑)
それくらい人を見極めていたのではないか……
「この人にはこれは頼める、この人にこれは頼めない、ということを細かく見極めて、それぞれに頼むんです」
とは、ある意味、深い言葉だ。
賃金をもらってする介護でも耐えられないことが多いのに、
無償のボランティアはもっと耐えられないことが多いだろうし、
鹿野は、偽悪者ぶることで、そのボラが耐えられる人かどうかも判断していたのかもしれない。


鹿野をどのような人物と捉えているのかという問いに、
大泉洋は、次のように答えている。

なかなかひと言で言えることじゃないですよね(苦笑)。「普通の人と同じように自分も生きたい!」というように、正直に生きた人なんだろうなって。わがままもいっぱい言っただろうけど、でもそのわがままというのは、あくまでも健常者から見たわがままなんですよね。「こんな夜更けにバナナかよ」って、動けないなら、食べるなよっていう論理なんだよね。乱暴に言うと、だから僕たちはこのタイトルを面白いと思うんだけど、でも障がいを持つ人が「夜更けにバナナを食べたい」ってことが、わがままに感じない時代が来れば素晴らしいと思う。何十年か経った時に「昔、これがわがままだって映画化したらしいぜ」って笑えるような時代になるといいよね。原作を読む前、この映画をやる前と、映画を撮り終えた今とでは、タイトルの響き方が全然違うなって思います。(『キネマ旬報』2019年1月上旬特別号)

筋肉が徐々に衰える難病・筋ジストロフィーを12歳の時に発症した鹿野は、
いつも王様のようなワガママぶりで周囲を振り回してばかりいたが、
どこか憎めない愛される存在だったという。
その鹿野の役は、大泉洋以外では、たぶん成立しなかったであろう。
それほど、大泉洋が持つ明るさ、軽妙さが、上手く活かされていたように思った。



安堂美咲を演じた高畑充希。


田中の恋人であったが、
鹿野と出会ったことで、人間として一段と成長していく女性の役で、
鹿野が恋心を抱くに相応しいヒロインを、実に魅力的に演じていた。
ちょっとネタバレになるが、
病室で、美咲が鹿野の手を取って、自分の胸にあてるシーンがある。
なぜそんな行動に出たのかは映画を見てもらうとして、
それがこの映画の名シーンとなっており、
清潔感のある高畑充希なればこそ生まれた名シーンであった。



医大生・田中久を演じた三浦春馬。
三浦春馬が演じた田中という医大生は、
大人しく、真面目で、ほとんどの感情を押し殺しているような役どころで、
難役だったと思われる。
田中もまた鹿野と出会うことで人間として成長するのだが、
そのほとんどが内面で起こる変化なので、
顔の表情やちょっとした動作などで表現しなければならず、
それを三浦春馬は実に巧く演じていた。


その他、
鹿野の母・鹿野光枝を演じた綾戸智恵、


鹿野の主治医・野原博子を演じた原田美枝子、


主婦のボランティア・前木貴子を演じた渡辺真起子、


看護師・泉芳恵を演じた韓英恵などが、
素晴らしい演技で作品を締めていた。



『ビリギャル』の橋本裕志がしっかりとした脚本を書き、
『ブタがいた教室』の前田哲監督が丁寧に演出している。


札幌や、美瑛・旭川など、オール北海道ロケで撮影された映像も美しい。
映画館で、ぜひぜひ。

この記事についてブログを書く
« 金立山(幸せめぐりルート)... | トップ | 映画『鈴木家の嘘』 …木竜麻... »