
12月12日も先週に引き続いて、栃木県足利市へ石仏調査に行きました。予定では、宇都宮を6時半には出発するつもりだったのだが、出発間際に雑用が発生して実際に出発したのは7時半を過ぎてしまっていた。そのため、部屋の中に用意していた昼食を忘れ(家を出てから15分過ぎ位に家内からの電話連絡でしったのだが)、また途中ではガソリンが足りなくなって給油したりと、それでなくても遅い出発だったのにコンビニへ立ち寄っての昼食到達等と、予想外の時間ばかりを取られてしまいました。それでも、昼食がないことに気づいたので良かった!
予定では、足利市松田地区の山の中にある観音寺拝辞跡の庚申塔調査なので、それでなくても1日では終わらないと思っていた場所ゆえ、完全に出遅れである。そして293号線を走って葛生町へ入った頃に、携帯電話が鳴り響く。国道を走行中なので出られず、しばらく走ってから車を止められる路肩を見つけて携帯電話を見てみると、なんとそれは佐野市在住の狛犬調査班の山口氏からであった。そして彼が言うに、8時過ぎにはすでに足利市の松田地区へ入っているという。さらに、今日はこの先予定が空いているので、もし宜しかったら石仏調査のお手伝いをするとの申し出である。何ともはや、突然の電話での私にとっては願ってもないこと。今日の出遅れ石仏調査も、これで一気に解決しそうだし、何よりも二日はかかると思っていた調査も二人で行えば一日で終了出来そうである。早速に、ありがたく申し出を受け、待合い場所を馬打峠を越えて松田町へ入った中手地区にするが、そこまで行くにはあと1時間弱は待ってもらうことになる。
それからは少なからずスピードを上げ、出来る限りの近道を通って月谷町から馬打峠を越えて山口氏と落ち合えたのは、すでに9時となっていた。早速に、本日の調査値である観音寺跡へ向かうが、そこには駐車場がないので近くの製糸工場へ行って車を置かして頂く。そして調査道具一式を抱えて山の中へ入り、早速に調査開始。特に今回のこの場所の庚申塔は、これまでに誰も調査したことのないものだけに、1基づつ丁寧に記録を取る。もちろん、その調査のための庚申塔掘り起こしや水洗いは山口氏担当。すぐに泥だらけになってしまうが、いやな顔一つもせずに黙々と私の記録記帳に先行して一番の汚れ役を引き受けてくれる。そんな作業を延々と続けて、気づけば12時を過ぎていた。ここまでの、昼食時間まで続けて調べられた庚申塔は53基。しかし、まだまだあるので、今日一日で終わらなくても仕方なしといささか疲れた腰に休みを与えるため、大休息時間を取る。そんな、長い休み時間を取ったので、結局は一応の調査が終えたのが既に西の山影に陽が沈み出す4時を過ぎていた。だた、山口氏の思わぬ協力で、庚申塔だけでも73基を調べ上げることが出来た。
地元の人さえ誰一人来ぬ山の中で、一日中庚申塔調査をしたのは本当にしばらくぶりである。しかも、イノシシの住む森の中でのことなのだから、なおさら山口氏の協力には感謝するのみであった。本当に、山口さんありがとうございました。
そして帰宅してから撮影した庚申塔を台帳と照らし合わせると数基が撮影抜け、また昼なお暗い森の中なので、カメラブレが数基出てきてしまった。いつか、機会を見つけてまた再訪しなければならない。まあ、それが未知の石仏調査第一回目なのだから、当然と言えば当然なのだが…。
そうそう、掲載しました画像は、同地の最初の1基目の庚申塔です。そしてこれが最も状態の良い庚申塔でした。