goo blog サービス終了のお知らせ 

石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

8月12日も日光市の庚申塔調査に!

2007年08月13日 | Weblog
 昨日8月12日日曜日も、このクソ暑いのに日光へ庚申塔調査に行ってきました。最初は、小来川の水草地区にある天和元年塔です。朝の涼しい内に手拓を終了しようと8時過ぎから始めたのですが、やはり夏の太陽の暑さには変わりがありませんでした。そして問題は、その後の写真撮影にありました。太陽の光線が当たるには、その後その場所で一時間半ばかり待つことになりました。何もすることなく、いや、暑さのために周辺碑塔の再調査をする気力がなく、ただ待つだけの時間は長く感じました。それでも時間がありすぎるので、黒川の対岸へ渡って初めての地域に少しだけ足を伸ばしました。勿論、歩いてです。そこで、宝暦二年銘の1猿1鶏が浮き彫りされている青面金剛供養塔の四角柱に出会いました。日光での1猿1鶏像容は非常に珍しいので、思わぬ拾いものにニンマリです。
 そんなこんなで、写真撮影が終わったら11時になっていました。何と今日も、一箇所で3時間も過ごしてしまったことになります。そうまでして調べても、読めぬ文字があるのには困ったものです。文献では「庚申」とあるのに、手拓したものではどうしてもそう読めぬまま、1文字はとうとう不読扱いです。全く、困ったものです。

今日は、暑い盛りなので目的地は最初の小来川と、山の中にある延宝塔の精査として山久保地区の二箇所と決めていたので、その後は道路沿いの庚申塔を幾つか拾いながら山久保の沼内へ向かいました、

 高平山登り口の中へ車を乗り入れ、ここで丁度12時。森の中を吹き抜けてくる風を身体に筌ながら、快適な食事時間としました。何しろ今日は時間がたっぷりあるので、食後は一人で大休憩。周辺の野草観察をしたり、小鳥の声を楽しんだりして、午前中の疲れを完全に取り去りました。勿論、30分程は敷物を敷いて横になりました。

 さて、この場所は昨年も中山氏と一緒に来た所。拓本用具一式を抱えて山の中へ入る。そして精査すべく、早速延宝八年塔を手拓して石文を読んでいけば、いままでいかにデタラメに読んでいたかを思い知らされる。そしてここでも、学が無いために2文字を「私には読めぬ!」で不読扱いにセザルを得なかった。クヤシ〜イ!。
 同様に、その写真撮影にも悩まされる。晴れているが故に、木漏れ日が庚申塔に斑に当たってしまい、上手く撮影できない。仕方なく、白い夏雲が生まれてその中に太陽が隠れるまで待ってみよう、で、結局ここでも1時間以上の時間待ちとなる。杉林の中ではいかんせんすることがない。仕方なく並んでいる他の庚申塔を再調査したり、天明八年銘の剣人型六臂青面金剛像の細部を眺めたりして過ごした。そこに付いている三猿、当地ならではの三猿姿なので、HPの方へ掲載しようと思っている。それは、あくまでも日光の二猿の流れを汲む姿で、一般に見る塞ぎ猿ではなく、しかも三匹目の猿などは仕方なく彫り込んだような姿なのである。
 結局、ここの調査を終えたのは3時近くになっていた。森の中にいたのでそれほどの暑さは感じなかったが、エアコンのない車に乗り込めばたちまち汗が噴き出してくる。予定外の行動はとる気力もないまま、そのまま自宅へ直行。シャワーを浴びて扇風機に当たりながら、中山氏に結果報告。そしてこれで、日光山内の三仏堂内にある延宝六年塔を除いては全て日光の江戸前期庚申塔精査が終わったことを告げる。当初の予定では、今年の秋までかかるかと思っていたが、予想以上の早さで終了したことになる。その意味では、全く気が抜けてしまった。まさか、こんなにも早く終わるとは思っていなかったので、次の行動予定を考えていなかったのである。しばらくは、のんびりと資料整理に時間を過ごそうと思う。

※16日までは旧盆休み。今回の庚申塔巡りは今日の夕方までにHPのほうへ掲載しますので、お暇な折りにご覧下さい。そしてこうして精査した旧日光市の江戸前期まで庚申塔。それを年内までに一冊にまとめようと思っているが、その発行部数に悩んでいる。いつものように5部発行では、「欲しいだろうな〜」と思う方々の顔だけでも7人いる。そんな訳で、今度は新たな悩みがうまれてしまったが、取りあえず石川博司氏と多田治昭氏だけには、少なくも10月までに作ってお送りしないと「シカト」されそうである。