6月16日、快晴となったので喜び勇んで日光へ向かう。最初は、今回で連続3週目となる稲荷町の虚空蔵である。少し風が強いが8時半には手拓開始。前に掃除をしていたので快調に進んで延宝塔3基に寛文塔1基の手拓終了。次に、正保年の庚申塔に取りかかったが、いつもの用紙に代えてダブル幅の画仙紙を取り出したので、ものの見事に風にあおられて失敗!。用心のために、いつもなら手を抜いてしまうテープでの押さえまでしたのに、である。ここで、12時のサイレンが鳴ったのを潮時とこの地の手拓を終了する。
昼食を取るために、本町の八幡神社へ移動。
午後は、この八幡神社で先週水洗いした庚申塔の精査と拓本取りに入る。その最大の標的とするのは、まだだれも解読していない不明庚申塔。私の推測では、どう見ても寛文以前の庚申塔と見ていたから、どうにも気にかかっている庚申塔である。そしてついに、「寛永十一庚戌年六月五日」の紀年銘を解読できた。これって、栃木県の庚申塔に興味のある方には大変な出来事なのです。私にとっても、もちろん庚申塔に関しては今までで最大の成果であり、これからの日光の庚申塔を語るには、この庚申塔を見ずに述べることが出来なくなった大切なものなのです。もっとも、庚申塔に興味のない方には、何と言うこともないのですが…。
そんなこんなで当地に夕方4時半までいて、結果的には今日一日で4基を精査することが出来ました。まずはメデタシといった気分です。
翌17日の日曜日、早速に春日部市の中山正義氏に早朝から電話。昨日の庚申塔調査の成果を報告しながら、近い内に一緒に再確認とその立ち会いをお願いする。また、手拓した画像やら精査報告書をファックスで送り、その信疑の程を伺い、ほぼ私の調査通りで間違いないので、中山氏も「早く実見したい」と、なる。
とにかく、早く皆様にもその報告をしたいところだが、何しろ日光型庚申塔としてだけでなく、栃木県最古の庚申塔確認となるので、慎重にも慎重を期して、中山氏との合同再確認後に、それは公表したいと思っている。
さて、次回またしても日光へ入ります。今回同様、虚空蔵の残りから精査となります。そうそうそれと、いつものHPへの画像紹介、今回はお休みです。
昼食を取るために、本町の八幡神社へ移動。
午後は、この八幡神社で先週水洗いした庚申塔の精査と拓本取りに入る。その最大の標的とするのは、まだだれも解読していない不明庚申塔。私の推測では、どう見ても寛文以前の庚申塔と見ていたから、どうにも気にかかっている庚申塔である。そしてついに、「寛永十一庚戌年六月五日」の紀年銘を解読できた。これって、栃木県の庚申塔に興味のある方には大変な出来事なのです。私にとっても、もちろん庚申塔に関しては今までで最大の成果であり、これからの日光の庚申塔を語るには、この庚申塔を見ずに述べることが出来なくなった大切なものなのです。もっとも、庚申塔に興味のない方には、何と言うこともないのですが…。
そんなこんなで当地に夕方4時半までいて、結果的には今日一日で4基を精査することが出来ました。まずはメデタシといった気分です。
翌17日の日曜日、早速に春日部市の中山正義氏に早朝から電話。昨日の庚申塔調査の成果を報告しながら、近い内に一緒に再確認とその立ち会いをお願いする。また、手拓した画像やら精査報告書をファックスで送り、その信疑の程を伺い、ほぼ私の調査通りで間違いないので、中山氏も「早く実見したい」と、なる。
とにかく、早く皆様にもその報告をしたいところだが、何しろ日光型庚申塔としてだけでなく、栃木県最古の庚申塔確認となるので、慎重にも慎重を期して、中山氏との合同再確認後に、それは公表したいと思っている。
さて、次回またしても日光へ入ります。今回同様、虚空蔵の残りから精査となります。そうそうそれと、いつものHPへの画像紹介、今回はお休みです。