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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

今年最初の石仏巡りは小山市です。

2007年01月06日 | Weblog
今年初めての石仏巡り、予定通りに絶好の天候の元に栃木県小山市へ行って来ました。まず最初に訪れたのは、昨年に佐野市在住の高橋氏より教わっていた小薬地区の瑠璃堂。ご教示の通り、いきなりの青面金剛塔三基を初めとして6基をget!!。ついでに、まだ訪れていなかった隣の大本地区岡坪に入る。適当に内を徘徊していると、内の十字路角地に碑塔群発見。そしてその碑塔群で最初に目に入ったのが、非常に珍しい如意輪観音の梵字真言塔。明和六紀年銘の「十九夜念佛」塔で、「オンハンドマシンダマニジンバラウン」とある。
 今年のお年玉頂戴!と言うわけで、早速その真言梵字を手拓する。そこには、ブロックで出来た小屋があり、その中にも沢山の碑塔が集められている。興味半分で覗くと、その一番奥に何と、何と、日光型庚申塔があるではないか!。驚きと共に、正にこれこそ新年早々最大の「お年玉」である。しかし、その庚申塔を調査するには表に出さねば話しにならぬ。新年早々、の中の十字路で「こそ泥」見たいな真似は出来ないなと、流石の私も迷っていると、早速に近くの方が何をしているのかと私の様子を伺いに来る。私としては、これを密かに待っていたのである。事情を説明して、その庚申塔を表に出す了解を求めると、すんなりオーケーどころか、手伝ってくれることになる。幸か不幸か、その庚申塔は二つに折れているので、それほどの苦労もなく無事にご出座となる。私としてはもう嬉しくて、早速その庚申塔の精査を始めると、「なんで、そんなに真剣に調べるのか」というので、その庚申塔の重要さを説明すると、「俺等のにそんな物があったなんて誰も知らない」となる。そして近くの方々を携帯電話で次々に呼びだし、たちまちのうちにその場所はの人々で一杯になる。当然ながら、ワウワイガヤガヤと賑やかになり、新年挨拶に始まって民の新年会会場の体をなし、その庚申塔の話しで持ちきりとなる。当然ながら、私はその方々に、この庚申塔の元々の所在場所を聞いたりして必要な情報は全て集めてしまう。
 さて、肝心な庚申塔、それはどう見ても延宝年間を下ることはない。早速、碑面にある石文個所を手拓するもそこには造立趣旨の文字しか出てこず、私の求めている紀年銘は見当たらない。いずれにせよ、この庚申塔は当小山地区では非常に珍しい拝侍二猿の日光型であるから、精査と共に拓本も必要となり、日月に始まり細部までの採寸等を終え、最後に下部にある「蓮」の形も手拓することにした。そして墨を入れると、その蓮の両側から文字が現れ、何とそれが蓮の陰刻を中心にして左右に振り分けた紀年銘だった。
 読めば、「延宝元天 癸丑十月吉日」となり、小山市の庚申塔としては第四番目に位置する物だった。それにしても、最下部の蓮の部分に紀年銘があるとは…。この場所から紀年銘が現れることは滅多にない例である。また、これは表に出しての精査以外には見つけることも確認することも出来ないだけに、の皆様のお陰と、集まった人々に厚く御礼申し上げた。調査が終了後は、目の前にある麻生氏宅に招かれてまた雑談に加わり、結局のところ今日の午前中は、この二個所で終わってしまった。※帰宅後、早速に春日部市の中山氏に電話連絡し、詳細な調査記録と所在地図をお送りしたのは言うまでもない。

 ここで昼になるも、予定では石仏調査移動の途中で調達するはずだった昼食が、そんな訳で私の手元にない。新年早々、お昼抜きの石仏調査もあるまいと、少し無駄な時間を使って昼飯を調達に遠くのコンビニまで走る。そしてついでに、コンビニの駐車場を借りて、何ともあっさりとした昼食時間としたが、心の中は嬉しさで満腹である。
 そして昼食後は、周辺を適当に巡って偶然に出会った碑塔を中心に調べ、午後も三時を過ぎた頃に、今年最初の石仏巡りを終えて心ウキウキと帰路につく。自宅に戻れば、「アラッ、今年最初の石仏巡りはずいぶん早いご帰宅のこと。夕方5時頃まで遊んでくるかと思っていた」と、家内が冷やかし半分に笑っている。
※その報告HPは、早くて明日以降になります。楽しみはゆっくり待って下さい。(^O~)