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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2月18日の石仏巡り記

2006年02月19日 | Weblog
昨日18日も、足利市の月谷町を中心に石仏巡りに出かける。風もなく、穏やかな天候の中を、途中では庚申塚が山の中にあるというので里山を登ったり、田圃の畦道に腰掛けて庚申塔を眺めたりと、何とも心満ち足りた石仏巡りとなった。
ところで、朝一番で伺った田島町の光明寺では思わぬ石塔に出会って、一人で大喜びした。それは、今まで県内では出会ったことのない「醍醐經一字一石塔」とあるもので、文化十一年造塔である。
この「醍醐經」とは、いわゆる法華経のことだから、これは法華経を小石に一字ずつ書いて埋め(これを埋經という)、本来はその上にこの塔を建立したことを表している。しかし、この塔は、後代に移動された可能性が大のため、この下を彫っても恐らくは石經は出てこないだろう。それにしても、これは全国的にも報告例の少ない珍しい碑塔の一つである。
なお、今回で足利市の江戸前期までの庚申塔調査が、一応完了しました。その所在地と写真を一冊にした冊子を、今日ののんびりした日曜日に作りました。これは、私の発行している「石仏月報2月号」の別冊として纏めたのですが、何しろ自分の分も含めて発行部数5部ですから皆さんにお届けできなくて申し訳なく思っている。
さて、そんな今日の最後は、足利市の江戸前期庚申塔が全て出揃った安堵感で、暫くぶりに月谷町浄因寺へ行きました。カメラを抱えてのんびり登ったが、別に目的もないので観音様の石像を惰性で撮影したりして時間だけを浪費するために訪れたようなものです。この境内の石造物も、何時かは全て調査しなければならないと思いつつも、恐らくそれを実行することはないだろう。それでも、未撮影だった数庚塔の写真は全て撮影し、これで足利市の紀年銘のある数庚塔は95%の確立で実見し写真も出揃ったことになる。
そして来週からは、またいつものように足利市内の細かな地域を尋ね、私ならではの小さな碑塔を求めて彷徨い歩くことにしようと考えている。それも、この時期なので山地を中心にして…。