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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

12月23日の石仏巡り

2005年12月24日 | Weblog
今年の足利方面の石仏巡りは終了したつもりでいたが、何となく車を乗り出して気が付いてみれば、いつものように足利市の梁田地区にいた。
そんな訳で今日は気分的にゆとりがあって、今まで一度も足を踏み入れていない渋垂町内のお寺さんを訪ねることにする。

まずは、真言宗の自性寺さんを訪ねる。庫裡に挨拶に行くと、素敵な若奥様が思いっ切りの笑顔を見せて「どうぞうどうぞ、ご自由に」と言葉を返してくれる。
まずは本堂に手を合わせ、境内にある宝篋印陀羅尼経の銘文写しから開始する。その内容はこれまでにたくさん見てきた銘文だけに、一気に解読終了。
そして門前に並ぶ石仏群へと足を運んで端から調査開始。と、そこに滅多にお目にかかれない「七夜念佛」の文字がある舟形光背地蔵立像と出会う。勿論、足利市では初めての「七夜念佛塔」である。しかもその紀年銘は延宝四年とある優れもの。その銘文から、十六日念佛講の人々による七夜念佛講への寄進塔とあるから、その嬉しさは倍加する。
またその隣には、戊辰戦争梁田役で無くなった幕府軍の戦死者供養塔が建っている。一般に、戊辰戦争では官軍のお墓は立派な物が多く、その逆に賊軍となった幕府方の墓は、あっても両軍の合祀墓や官軍か幕府軍かを書き表さない場合が多いのに、ここでははっきりと「戊辰戦役幕軍之墓」「慶応四戊辰三月九日戦死」と刻んである。それだけ、梁田の戦では両軍に戦死者が多く出たのだろう。
その他、ここには青面金剛像容塔やら読誦塔が幾つもある。また、一段高く積んだ無縁塔群のなかに、如意輪観音像容の「十六日念佛」塔やら、四角柱三面に順礼地の本尊を浮き彫りした百番供養塔(素敵な石塔なのだが、隙間が無く写真も撮れず銘文も読めない部分があって残念)等がある。

ここで、2時間以上を費やしてから、その近くの無住である高沢寺へ行く。先ず目につくのは、舟型光背石に刻まれた六臂如意輪観音像で、それはつい最近建立されたかのようなどこにも傷のない素晴らしい物である。また、その台座に見える偈頌が良い!。その良さは、何と言っても読めることには読めるがその意味が全く分からないからである!?。意味が分からないと言うことは、即ち私にとっては「本当にアリガタイ」文字なのである…?。また、不明三尊形式の自然石もある。こちらも「三尊種子+供養」とだけでは、その信仰内容が私には判らないではないか、と一人ブツブツ文句を言いつつ水洗いして後学のために写真を撮る。
そして気が付けば、いつしか本気になって「石」と格闘している自分の姿に苦笑する。ここは無住ゆえの気軽さもあって、本堂の階段に腰を降ろして昼食時間とする。冷たいご飯に冷たいお茶を腹に詰め込んだが、今日は当地にしては珍しく風が弱いので日当たりの良い場所は暖かく、そこで一休み。もちろん、その一休み中には上述の偈頌銘文を拓本取りしたのは言うまでもない。
食後は、気分転換の意味合いもあって、個人墓碑は滅多なことでは写真に撮らないが、素敵な像容の「請け観音」像容塔があるのでこのHP用にと写真を撮ってから、更に近くの稲荷神社へ移動。ここには、富士信仰に関わる碑塔を収録する。

前々から、行かねばならぬと思いつつもその機会がなかった上渋垂町の東光寺へ、今日のこの機会にと向かう。そしてその一歩手前の道路沿いにて、重制石幢六地蔵を発見。これは思わぬ発見である。年代的には結構古そうだが、その形態はかろうじて竿の一部と龕部が残されているのみで、竿部分の銘文は何としても読めない。そして肝心の龕部だが、この龕部は七角形となっている。一般に七角形の場合は六地蔵+一観音像となるのだが、その像容も傷みが激しく地蔵と観音の判別が付かない始末にガッカリ。まさか、前回のこのブログで足利で興味ある物の一つとして「七地蔵」像容塔と書き込んだから、早速それが出現した訳ではなかろうに…。いずれにしろこれは、再度のしつっこい再調査としよう。

今日最後の訪問地となる東光寺に着いたのは、もう午後の陽が西に傾きだした頃。その為に、入口にある碑塔の写真撮影は全て次回への繰り越しとする。その中には、滅多に出てこない「光明真言曼陀羅」種子塔がある。
境内の中央に、堂々と聳える近世宝篋印塔。銘文解読のためには、その基壇の上に登らなくてはならない。そして登ったものの、その銘文文字の彫りは浅く、足を乗せるだけの基壇の上で読むのに四苦八苦。しかもその銘文は、宝篋印陀羅尼経文の中の一部分を細分して記し、しかも作文がしてあるので、すんなりと読むことが出来ない始末悪い塔である。お墓詣りに来たおばさん達に、「落ちないで!」と声をかけられたり、うちのご先祖様の名前がここに刻まれていると話しかけられたりで、更に解読作業が遅れてしまった。それでも、越後の石工名が出てきたので嬉しい限りである。(越後の石工が刻んだ文字にしてはお粗末だが…)
塔にへばりついてから一時間余、一部読めない部分があるが、まあよく頑張ったと一人納得し、飛び降りて終了。
今日はこんなにもムキになって石塔を調べるつもりはなかったのだが…と、終わってみれば今日一日で38基もの新しい石造物調査成果にニンマリして帰路に着く。