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仕組みとアプローチ -  能登地方と前田利家 そして加賀前田百万石

2024-01-27 20:31:34 | 道路と交通
 大地震が発生した能登半島ですが、ここは前田利家が国主としてスタートした所なのですね。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%88%A9%E5%AE%B6

前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に「加賀百万石の祖」とも称されるが、実際に前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。

(中略)

能登国主
天正9年(1581年)、織田信長より能登一国を与えられ、七尾城主となり23万石を領有する大名となった。旧加賀藩領(石川県・富山県)では、この時点で「加賀藩」が成立したと解釈され、利家は初代藩主とされている(しかし、近年では徳川氏へ従属した利長を「初代加賀藩主」とする解釈もなされている)。

翌年、難攻不落ながら港湾部の町から離れた七尾城を廃城、港を臨む小山を縄張りして小丸山城を築城した[7]。

引用終了

 信長から与えられた国を江戸時代まで存続出来た武家はそう多く有りません。
 殆どは秀吉か家康に与えられたか、或いは島津氏のように元々国主だったケースです。
 このためなのか、信長の越前攻略後は歴史的にこの地方は安定していたようで、更に特に江戸時代から西廻航路(北前航路)と言う当時では海上ルート大動脈の拠点となっていた為、繁栄していたようです。
 その為か歴史的な街並みが多く残っているようで、見るからに重たそうな瓦屋根の家でもそれなりに昔からの建物でも作りが良くてある程度の地震には耐えていたものの、それが仇になったのかどうかはわかりませんが、今度のようなこれまでに無いような大地震で多くが倒壊してしまったと言うケースも少なくないようです。
 


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