“ママノリア日記

ママノリアの独り言

改の改 様々なメッセージ 

2020年06月22日 | メッセージについて




私のガイド(守護霊)の一人に南インドの音楽家、哲学者、詩人、三楽聖の一人であるティヤーガラージャ氏がおります⬆︎

Thygarja
(1767―1847)

本人曰く、この上の写真はカッコ良すぎるみたいです↑笑笑



現在、ティヤーガラージャは南インドでは功績を称えられてちょっと崇められているようでもあります。

この時代の南インド音楽は神と人間の間を取り持つような歌が殆どを占めていました。南インドの古典音楽。

2万以上の曲を作詞作曲したと言われていますが、現代に伝わっているのは700曲ほど。
当時からその才能を認められながらも、
本人はあくまで神への信仰の表現、を歌に見出していたようです。

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私の三回前の転生時には、このティヤーガラージャ氏の愛弟子として音楽や哲学などを学んでいました。

私はその時、貴族でありましたが、その音楽に魅了され、全てを捨てて師匠の愛弟子となりました。そしていささか様々な修行に励んだようであります。

(ちなみにこの詳しい事実を教えてくれたのは、元裏高野僧の長典男さんというお方です)

そういう繋がりですから私はこのガイドのことを師匠と呼んでおります。

今生でも師匠から音楽、思想、見えない世界のこと、様々なヒントを頂いています。


私は時にガイドの声を聞いたり、見えないものを見たりもしますが、優れた霊能者やシャーマンの皆様のように常にスムーズに会話ができる訳ではありません。


師匠が教えてくれているのは、大事な情報の時には鳥を見せるということ。
(私が情報を得ているときに、あまりにも不自然に鳥がやってくるので、疑問に思うところから始まりました。信頼出来る方にも確認済み)

ちなみに鳥はまるで異空間から来たように突然現れます。
まだ鳥を見せられた件で、ブログに書いていないことはありますが、一つの例としてある方の動画を見ると決まって鳥がやってきた🦉ということがあります。
そこから、きっとご縁があるのだと感じ、直接ご連絡を差し上げていることもあります。


鳥が全てではありませんが、ガイドは鳥が一番使いやすいのかなぁと、勝手に感じています。(私は地球の輪廻に入る前は鳥の姿の種族でした)


ちなみに、話は変わりますが、私にはめっちゃガイドいると師匠が言っているようです笑 (信頼出来る方より)
しかし私が認識しているのはまだ数人程度です。守護天使などは別のくくりにしています。

ママノリアと天使👼さんについては↓
自分の中でガイドと天使さんは回路が分かれていて、声や喋り方も違います☆そしてゾロ目などの数字を見せられる時には天使さんが浮かびます。

前置きが長くなりましたが 笑
今日は私の経験から、見えない存在がどのように私達に語りかけるのかという側面をお話ししたいと思います。(チャネリングとは別です)


全ての人に起こり得る話しだと思います。



それは時に声として聞こえたり、
それは突然姿を現したり、
それは突然モノが倒れたり、
それは突然文字が浮き出たり、
それはなんとなく気になってしょうがなかったり、
それは急に鳥が飛んできたり、
それは朝起きると胸に言葉があったり、
それは夢の中に現れたり、
それは数字を何度も見せられたり、
それは誰かの口から話されたり、
それはタロットでひかせたり、
それはおみくじでひかせたり、
それは電車の広告にあったり、、、

人によって様々な形で現れると思います


ここにそれ程、特殊な能力は必要ありません。


私がカタカムナ の追求を始めたのは、朝起きた時に「あしあとうあん」と言う言葉が胸にあったからです。


へんな言葉だなぁと思ったのですが、朝起きて定番のルーティンをしているうちに、その言葉の存在を忘れていました。

やがて、モーニングコーヒーを☕️飲みながら本棚に目をやると「陰陽道」という一冊の本が妙に気になり、、、

手に取り、開いたページに芦屋道満の写真が有りました。そこで朝、胸にあった「あしあとうあん」という言葉に繋がり、ここから探求が始まります。

そして、

芦屋道満を調べて行くとカタカムナ文献との繋がりを知り。

カタカムナ の第1首に「カタカムナヒビキマノスベシアシアトウアンウツシマツルカタカムナウタヒ」とあり、朝胸にあった「アシアトウアン」と言う言葉を発見します。


この一連の過程の中で、様々なことを学ぶ事ができたように思います。




またメッセージの別のパターンですが、

文字が浮き出てくるような感覚、二重に見えるような感覚ということもいくつかありました。

例えば、私は〇〇神社のほぼ目の前の家に住んでおりますが、2年前の引越しの時にはいくつか候補の物件があったのですが、この神社の標識を見た時に、先程も述べたような文字が浮き出てくるような、二重に見えるような、とにかく不思議で妙な感覚に襲われました。強く惹きつけられるのです。

更に神社の裏側のもう一つの標識を見ると映画のワンシーンを見るような、懐かしいような、とにかく不思議な感覚になり、結果的にこの神社の前の物件に決めました。

この現象は1年半位は続いたように思います。



それは私が2013年に初めて出雲大社を訪れた時、大社に近くづくにつれて、磁石で惹きつけられているような感覚、そして初めてのその景色を覚えているという不思議な感覚を体験したこととも繋がってくると思いました。

魂の記憶とでも言うのでしょうか。

そう、そう、ここ。
あ、覚えてる。懐かしい。
なんで知ってるんだろう?
初めてなのに、、、どうしてだろう?


そして弥山から受ける霊力とでも言う何かに、包まれたような、気付かされたような、独特な緊張感と懐かしさで、金縛りのように動けずに何時間も釘付けになっていました。

その後、月日を重ねながら私は出雲系の神社に深いご縁ががあると言うことに気付いていきました。

私の中では大きなターニングポイントになったと思います。


そして私がいつまでも一人では京都には入らせてもらえないということにも繋がっていくと思われます。→守護者が居なければ入れません。
(詳しくはまたの機会に)




更にもう一つ。

一昨年位だったと思うのですが、霞ヶ関という駅を🚉の標識を見た時にまた変な感覚に襲われました。
文字が浮き上がったような、二重に見えてくるような、まるで魔法にかけられたように不思議な感覚にさせられるのですが、、、霞ヶ関という文字全体ではなく、、、

霞ヶ関の「関」だけです。

これにはびっくりでした、一文字ピンポイントかい!って 笑笑
電車の中で、突っ込んだような 笑笑

最初はなんのことか全くわからなかったのですが。

これに関しては、私に最も近い人も、別の見せられ方でメッセージが来ていたようです。

この「関」という文字が何故浮き出てきたのかは、自分の中ではほぼ解決済みです。もしお話しできる日が来たらお話ししようと思います。
しかし、もう私の役割りはほぼ終わったようにも感じております。
(第一段階の終了かもしれません)




それでは、ちょっと違うテイストの話を。

大分前の話になりますが、ガイドとのかなりわかりやすい体験です。



私は兼ねてから、師匠のCDが欲しい!!と師匠にお願いしていました。
(声で発したり、強く思ったり)

ある日渋谷の美容室に行った帰りに、なんとなく代々木公園で佇みたくなり向かうと、インド展のようなものがやっていました。

(なんとなく佇みたくなるのもガイドに誘導されていたことに後に気付きます)

その時はまだピンとこなくて、入り口の展示物を見て帰ろうと思ったのですが、帰ろうとした矢先、建て替けてあった大きな絵が🖼私に向かって倒れてきました笑笑

びびった!!
間一髪、受け止めました笑
師匠危ないやん!!笑笑
(軽い大きな絵でしたから、当たっても害はないですけどね)

あ、これは帰ったらあかんのやと。
その時に師匠にCDを頼んでたことを思い出しました。



そういうことか!と



そして入り口を過ぎ、進むと、南インドのCDコーナーを発見しました。
あっやっぱり🤭という感じ


そして、、、CDを探していると、、、


なんと見事に師匠のCDがひっくり返っていたのです 笑笑笑

ちょっとうけるでょ?笑笑


わかりやす過ぎ!凄い嬉しくて、ありがとう!ってお礼をしました^_^


その時手にしたのが↓




更に違うパターンだと


ずっーと見せられ続けてまだ解けないこともあります。応えを教えてくれないけど、ひたすら見せられるパターン。多分その事に対して色んな角度から調べて深く知る必要があると自分では思っています。
私にとっては16という数字が正にそれです。


そして、依存しすぎたりすると自分で考えなさいと言われることがあります

例えば、外からの情報を鵜呑みにしたり、そのままの情報を発信してシェアしようとしたときに、
テレビからもyoutubeからも活字からも一斉に、

「自分で考えろ」

という言葉に一気に襲われたことがあります。

その数は一つ二つの「自分で考えろ」ではなく私が完全に気付くまで言われます。

それから、その情報を更に自分なりに調べていったり、自分の中の叡智を探ろうとしたりして今度はハイヤーセルフという概念にもたどり着きます。

個人的にはこれからは皆がハイヤーセルフに繋がって生きていく時代になると感じています。

それは、

外に神を見いだす必要がない時代
内なる神我に寄り添うこと

貴方が貴方の神我に寄り添えば、
誰に対しても神我を感じる
 
生きとし生きる全てにものに、神の息吹を感じ、全てに繋がりを感じ、全てが干渉し合うことを知り、全てが全てに愛を注ぐ循環を知る。

まるで蜘蛛の巣のように。

貴方は私
私は貴方

貴方の痛みは
私の痛み

貴方の喜びは
私の喜び


ワンネス


↑私なりの解釈ですが、


ひとつのメッセージから深い境地への応えを導き出せることも、ガイドは知っているかもしれません。


しかし、些細な出来事や見えない世界を否定すると、回路が遮断されますので、要注意かなと思います。


慣れてくると、メッセージかそうでないか、あるいは誘惑か?試してるのね〜とか色々と感じられると思います。



あまりネガティブになると、自分のガイドと繋がれなくなります。

これは、私が荒れていた時代(笑)のある日、気持ち良いところに連れてって!と車を気ままに運転していたら、すんごい深い山の上に着きました。気持ち良いなぁと思って景色を見ようとして外に出たら、慰霊碑が。

いつの間にか自殺の名所につれていかれた時がありました 笑笑
焦った 笑笑

この時代、何体もの霊に憑依されていて本当に大変な時代でした。

何度も事故に遭い、車は破損し、よく生きていたなぁと思います。

この時代を支えてくれた恩人には本当に感謝しています。

守護霊が介入しない、あるいは出来ない、越えなければならない私の学びの時だったようです。

自分の波長が低い時は、低級霊と波長が合うことがあるので、注意が必要ということですね。

ですから、自分の波長を保つことはとても大事で、全てが周波数で感知し合うということを私なりに体感しております。





ちょっと話それましたが、、、、






今日はこのへんかな☆
長文失礼致しました☆



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