今日は久しぶりに、古い半年以上前のワックスを使って髪をセットしてみた。
ふたを開けたとたん匂いが煙のように立ち込めてくる。その時、自分が半年以上前にタイムスリップしていくのがわかった。心地良い。
その時の情景がふとよぎって、あの頃俺はこう思ってたな、とか自分の気持ちが思い出された。それと同時に今の自分に不満足感を強く感じた。
今の自分は気持ち良くないオナニーのようだ。
ギターの練習はしてるし、自由に生きてるつもりなのに。
それを大人になったから感受性が弱くなったとは言いなくないし。
一つ言えるのはこの町は僕は魅力を感じない。外へ出たいと思わないし、自分にプラスに働く刺激が少ない。
だから引っ越そうと思う。
でもお金がない。
ただ言える事は一つ・・・・・・・
「人生とは続く」
ということ。「続く」ということの意味を理解すれば・・・・・と僧みたいなことを言ってみるのも一興かな^^まあ照準をどこに合わせるかということだと思うぞよ。
若いうちは自分の「力」を試したくて試したくて、または自分の「力」を見せたくて見せたくてしょうがないものだ。でも、そのうちにそれらの「力」が何の意味も持たないことに気付かされる。「力」というのはそれよりも強いものの存在に否定されるから・・・・・・。でも、決して否定されないものがあるはず。それは・・・・・
何だろうね・・・・。歳を重ねて気付いたときには機を逸しているときがあるけど・・・・。でも、そんなことでは別に重要なことではない。
滝沢君がこの世に存在している意味は他者の評価に依存していないのだから・・・・・
それでも、人間とは自分の居場所を確認したいから、他者の評価を求めてしまうもの。それが悪いわけでは決して無いのに、他者の評価が気になり始めると、大切なものを見失ってしまう。ただ、感謝の気持ちを忘れないようにね。当たり前に存在しているものは何一つ無いのだから・・・・・・・・。自分の両親も兄弟も仕事も仲間も敵も他のどんなコミュニティも・・・・。
そう、いろいろなことが「続く」わけだけど・・・・。
恋に恋焦がれ恋に泣く。っていう歌があったけど。
夢に夢焦がれ夢に泣く。っていう歌を作ってみて欲しいなぁ。
夢が自分を支えてくれるのも事実。
恋が自分を支えてくれるのも事実。
仕事が自分を支えてくれるのも事実。
友達が自分を支えてくれるのも事実。
でもね、でもね。それだけではないはず・・・・。
この前、らくだが砂漠を横断してたのよ。ベドウィンという遊牧民が荷物を運んでいたんだけど・・・・その時、ものすごい砂嵐に遭遇してしまった。その時、らくだはしゃがみこんで、長いまつ毛を閉じて、じっと砂嵐が過ぎ去るのを待っていた。そう、らくだは知っているんだよね。砂嵐は過ぎ去るものであると言うことを。また、砂嵐に遭遇したときは目を閉じてじっとしていることが一番いいということを。じゃあ、人間も人生の中で砂嵐のような時期を経験するときはどうすればいいの?そう、目をつぶってごらん。あとはじっと待ってごらん。どのくらい待つの?って。それは・・・・・・。砂嵐が過ぎ去るまで。10年砂嵐が続いたら、10年待てばいいのだよ。50年砂嵐が続いたら、そう50年待てばいいのだよ。1日砂嵐が続いたら、そう1日待てばいいのだよ。
芳樹が言いたいのはそれだけ。
そう ただ、それだけ。
じゃあ、芳樹は仕事に行くね。