夜の東急東横せんから横浜線に乗り換えて、僕は窓にへばりついて流れ星のようなネオンを見ている。
耳の奥、頭の隅から 昔、彼女の薦めで聞いた歌が流れてくる。
夏のハーモニー。
季節はいつの間にか、春の輝きをフェイドアウトさせて、夏の準備をしている。
ベストマッチした車内にハンカチみたいに車掌の声。
町田駅に降りて、見慣れた街並み。歩く人と止まる人の間に春と夏のハザマを感じて、ざわめきと静寂は交互に降り重なる。
想い出はいつまでも想い出のまま。
二人のハーモニーもいつまでも胸の中。
忘れる必要はなくて。でも執着する必要もなくて。
言葉に出来ない想いはそのままで。
耳の奥、頭の隅から 昔、彼女の薦めで聞いた歌が流れてくる。
夏のハーモニー。
季節はいつの間にか、春の輝きをフェイドアウトさせて、夏の準備をしている。
ベストマッチした車内にハンカチみたいに車掌の声。
町田駅に降りて、見慣れた街並み。歩く人と止まる人の間に春と夏のハザマを感じて、ざわめきと静寂は交互に降り重なる。
想い出はいつまでも想い出のまま。
二人のハーモニーもいつまでも胸の中。
忘れる必要はなくて。でも執着する必要もなくて。
言葉に出来ない想いはそのままで。
心の中で時々顔を出しては隠れてしまう。
懐かしさと切なさの波紋を残して。
言葉にしたら安っぽく聞こえそうで言葉に出来ない想いってやっぱりあると思う。
手放す事が出来ないんじゃなくって、まるで自分の身体の一部みたいに存在する想い。
いつか、心の中で宝物になるその時にしか感じられなかった想いは忘れる事はないよね(^-^)
言葉が見つからない時それは当たり前のことかもしれないね。
忘れる必要も、無理やり消すこともいらないね。その想いを眺めていることも勇気だよね♪
体に想いがなんの拒否もなくしっかり入ったならば本当に素敵、良いことも悪いこともねo(^-^)o
それは、「言葉」以上のもの。
悲しさや辛さではなく、はがゆさ。
自分自身へのもどかしさ。
そんな感情が心の奥底にこびりつき、離れよう
としない。
それが、言葉にできないもの。
最近、そんな風に思うようになりました。
言葉なんてなければ良いと思うこともあります。
全てをその感情に任せて抱きしめたり、怒ったり、笑ったりできればいいのに、でも人間はそれができないから言葉を作ったのでしょうか。