新型コロナによるの自宅待機要請が出ました。
このことによって我々は家の中に閉じこもることが必要になってきました。無論外出はできるのですが、それほど自由にはできません。そこで心配なのは、我々がいつも拘禁反応を起こす可能性があるということです。
拘禁反応の研究はもともと宇宙工学から始まりました。宇宙服を着た人が周りに何もない状況に1人置かれたときに、どんな風な心身的な異常が出てくるのかという研究です。そこでは自律神経失調による頭痛などを始め、色々な身体症状とともに、精神的には知覚過敏とヨクウツ感などが現れたようです。
知覚過敏というのは、自分の感覚が過敏になり、それを過剰に感じることです。
その研究は、刑務所に隔離された人や大型船で長期間航海する人などに関する精神的な状況について広がっていきました。
今、われわれの置かれている状況は、
いわゆるこの拘禁反応が出やすい 状況にあるという事です。そのことは、必ず自覚をしておかねばならない要件です。
知覚過敏は、他人の動作や言動にひどく過敏になってくる現象です。ですから普段あまり仲の良くない夫婦は、この知覚過敏によって意識のコントロールを失い、つい相手に手が出てしまうとか、もともと家に不満を持っている子供がつい親に手が出て家庭内暴力ざたになることが起こりやすくなります。既にニュースでそのような事件が報告されています。
この拘禁反応の怖さは、知らず知らずのうちに、無意識的に進行することです。
この拘禁反応的状況は早くて数日遅くても数週間の間に必ず起こってきます。
そこで、意思の強く自己コントロールが充分できる人とか、精神的にバランスがよく、しっかりした人はこの拘禁反応を乗り越えられますが、普通の人はそうはいきません。
他人や自分のしていることへの意識が過剰になり、それに振り回されて自分を見失うことが怖いのです。大げさに言えば、夫婦喧嘩が高じて、最悪の場合は人をあやめてしまうと言う結果になりかねません。また、心の底でうっすらと死にたいと思っている子供や大人が、本当に死にたくなって自殺にまで発展することもあります。
われわれはこの拘禁反応という現象をまず知る事、そして、拘禁反応が出た時に、「ああ、それが出た」と自覚することによって、この拘禁反応を冷静に判断し、そこから抜け出して本来の自分を取り戻すことができやすくなります。
ですからこの拘禁反応的状況というものがあると言うことをよく自覚してほしいと思います。
私はこのような拘禁反応によって起こる様々な弊害を、今までたくさん観たり、経験してきました。実体験としては、他人が神経過敏になって、その矛先をかわすのにとても大変でした。とにかく、自分を含めて、その渦に巻き込まれないことです。
今の状況において私は非常に心配しており、この拘禁反応について、2~3の新聞社に連絡をしました。それが私達の社会的責任と思ったからです。
このことによって我々は家の中に閉じこもることが必要になってきました。無論外出はできるのですが、それほど自由にはできません。そこで心配なのは、我々がいつも拘禁反応を起こす可能性があるということです。
拘禁反応の研究はもともと宇宙工学から始まりました。宇宙服を着た人が周りに何もない状況に1人置かれたときに、どんな風な心身的な異常が出てくるのかという研究です。そこでは自律神経失調による頭痛などを始め、色々な身体症状とともに、精神的には知覚過敏とヨクウツ感などが現れたようです。
知覚過敏というのは、自分の感覚が過敏になり、それを過剰に感じることです。
その研究は、刑務所に隔離された人や大型船で長期間航海する人などに関する精神的な状況について広がっていきました。
今、われわれの置かれている状況は、
いわゆるこの拘禁反応が出やすい 状況にあるという事です。そのことは、必ず自覚をしておかねばならない要件です。
知覚過敏は、他人の動作や言動にひどく過敏になってくる現象です。ですから普段あまり仲の良くない夫婦は、この知覚過敏によって意識のコントロールを失い、つい相手に手が出てしまうとか、もともと家に不満を持っている子供がつい親に手が出て家庭内暴力ざたになることが起こりやすくなります。既にニュースでそのような事件が報告されています。
この拘禁反応の怖さは、知らず知らずのうちに、無意識的に進行することです。
この拘禁反応的状況は早くて数日遅くても数週間の間に必ず起こってきます。
そこで、意思の強く自己コントロールが充分できる人とか、精神的にバランスがよく、しっかりした人はこの拘禁反応を乗り越えられますが、普通の人はそうはいきません。
他人や自分のしていることへの意識が過剰になり、それに振り回されて自分を見失うことが怖いのです。大げさに言えば、夫婦喧嘩が高じて、最悪の場合は人をあやめてしまうと言う結果になりかねません。また、心の底でうっすらと死にたいと思っている子供や大人が、本当に死にたくなって自殺にまで発展することもあります。
われわれはこの拘禁反応という現象をまず知る事、そして、拘禁反応が出た時に、「ああ、それが出た」と自覚することによって、この拘禁反応を冷静に判断し、そこから抜け出して本来の自分を取り戻すことができやすくなります。
ですからこの拘禁反応的状況というものがあると言うことをよく自覚してほしいと思います。
私はこのような拘禁反応によって起こる様々な弊害を、今までたくさん観たり、経験してきました。実体験としては、他人が神経過敏になって、その矛先をかわすのにとても大変でした。とにかく、自分を含めて、その渦に巻き込まれないことです。
今の状況において私は非常に心配しており、この拘禁反応について、2~3の新聞社に連絡をしました。それが私達の社会的責任と思ったからです。
たかだか十数年のキャリアを振り返って、これまで職場で出会った心理職とか…いわれる上司やベテランは・・・PFスタディでいう要求固執型やん・・・という人ばかりでした。ある時から、そういう奴らを一掃したい、蹴散らしたいとさえ思うことばかりでした。今になって思えば、いい意味で反面教師や私を引き立てる脇役ども(笑)・・・という認識にここ数年は落ち着いています。そして、特に分析畑の「行動化は悪い・・・」みたいな学習段階2におさまるルールや原理原則遵守している方々へ、「対話精神療法はアクションである・・・(治療のこころ巻4)」という言葉を贈りたい。そして、セラピストがそのアクションの模範やモデルになれた時・・・そのセラピストの言葉はただの言葉ではなく、自明の理をおびた意味をなす言葉になることも体験を通して、理解できる人がまず増えた欲しい。関連して、ポール・L・ワクテルによれば認知療法が混ざってからのCBTよりも、純粋な行動療法の体験重視の方が斬新な影響があったとのこと。
また、神田橋先生(治療のこころ巻4「父なる母なる」)によれば、「父なるものの原型は旧約聖書の神であり、母なるものの原型は新約聖書の神であるのかもしれない・・・。」とされています。・・・皆さんここまで、理解されていますか。
『言わぬが花』『自閉療法』などの新約聖書の神が、『咲き乱れる花』『バズーカ療法(※造語)』などの旧約聖書の神へというリフレクションや言語化というアクションを起こしていることへの変貌というのは、誰にでも可能であることを・・・(個人的に『言わぬが花』と『弾数制限中のマシンガントーカー』の相互作用が『咲き乱れる花』へという変貌なのではないでしょうか(笑))。
一方で、内容についてになりますが、恐らくメディアの現状の優先順位は、「感染者を増やさない感染者を減らす」というコントロールが何より第一だと私は思います。その次の段階の優先事項になる内容のものにならざろうえないと思います。しかしながら、私の知る限り・・・国内ニュースからは夫婦間DV、国外ニュースからは子どもの虐待防止運動がありました。これらコンテクトスにおけるコンテントの一つとして「拘禁反応」という自覚を促す心理教育は大切であると読んでいて私は思いました。
・・・そういえば、当初、都知事のスピード感に国がついて行けなかったようですが、WHOの捉え方は都知事に対して、サポーティブだと言えました。・・・
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200410-00010006-wordleafv-pol
https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/%ef%bd%97%ef%bd%88%ef%bd%8f「日本は対策強化の必要も」、経路不明のコロナ感染増で/ar-BB12s5HL?ocid=spartanntp
・・・それと同じように先生のスピード感にメディアが当初ついて行けないかもしれませんが、その声が届くメディアや人は居ると私は思います。来週から在宅勤務になり、曜日によっては夏休みの自由研究気分で勉強ができるので、まだ聞きなれていない「拘禁反応」について研究して、私の職場というメディアにその研究内容を・・・感染させてやろうと私は思います(笑)。
ここ2日ほど、家族のことでもやもやして心地よい眠りがとれずにいました。
夕べも、誰か別の家族に聴いてもらいたく、でもそれも、ただでさえこのような時期、相手に負担になることだろうと思って、メールを宛てるように文章を綴っていきました。
文章を書く時はいつもそうするように、出すなら後で整えればよい、と、かなりの長文になったところで、さすがに気持ちが途切れて眠りました。
夜中にも目が覚めても陰鬱な気持ちでしたが、とにかく夜は明け。
そこでなぜだかふと、増井先生のブログを開きました。
ぱらっとめくるように、拘禁反応の箇所を読むと、以前、記事がアップされて程ない時に読んだのとはまた違ったふうに読めました。
そして、とりあえず、「まぁいいか」と、“本当はまぁよくはない”ことを“自分から離し”て、1日をスタートさせることにしました。
天気は良いけれど、風の強いこの数日。
風が苦手な私は、音にも閉じ込められているように感じます。
でも、それはそれ。
空が晴れているじゃない!と、気分がよい方を選ぶように過ごしていけたらいいなぁと思ったことでした。
揺らぎは続くと思います。
その揺らぎと、どのように付き合っていくかなぁ、ということかなと思います。
ろうそくを
ぼうっとみつめているときに
肌には何も感じもしないのに
火がゆらゆらっとゆれることがある
ところがそのままじっとみつめていると
“すー…” っと、
全く動きが止まる瞬間がおとずれる
その「時」の
深い静けさを
心に持ちたい
ちいさな石ころ より
〇遠藤辰雄1986拘禁状況における精神病理(<特集>「極限状態における人間」)
・CiNiiで読めるいくつかの文献をさらさら目を通しましたが、ワンパーソン視点における病理として万遍なく理解するには適しています。私は、要約して職場へ在宅勤務作業として提出をしました。その一方で、ツーパーソン視点…いうなればダブルバインド状況下は文献等で調べるというよりは想像や思考で補うしかなさそうです。そして対応は、「考えるな感じろ」というブルー・スリーに学ぶしかないかもしれません(笑)。
〇一般社団法人日本臨床心理士HP「臨床心理士のための新型コロナウィルス感染症への対応」
・タイムリーにアップされています。近々避けれない対面面接の準備に役立っています。しかしながら、ベンチに座るような横並びに座る(縁側で共に何かを眺める)…より想像すれば、神田橋先生の三角の視点のイメージのような記載があると・・・よりセンスを感じられます。関連して、一般常識では目と目が合うことや対面が大切なんでしょうが、精神分析的な場の構成や恥じらう(日本)文化では必ずしもそうしない方が想像力が活性化するのかもしれません。つまりはベンチに座る二人の方が両者の内省や想像(創造)は膨らむのかもしれません。