今、バリのヴィラにいます。バリは冬場で、あまりにも涼しくて肌寒い日々が続いています。
バリの会の第二グループも日本に帰り、いつもの静かなヴィラに戻り、私達は静かにある種の達成感と、バリの静けさとバリの人々の笑顔に囲まれています。しかし、メイドさんやハウスキーパー達の堪らないほどの寂しい顔は、彼らにとってバリの会の参加者との出会いがいかにハッピーでステキな体験であったかということを、はっきりと物語っています。
私は喉の調子が悪く元来声が出にくいので、男性にしか受けられない丸裸に近い姿で、男性のパックスワダさんの絶妙な医療マッサージを受け、体調を整えています。彼はとてもシャイな人で、ようやく私に慣れてきたようなデリケートで謙虚な人です。物欲も金銭欲もなく、穏やかに過ごすことに幸せを見つける、ある種の典型的なバリの人です。
きょうのマッサージのあと、いつもお湯しか飲まない人ですが、私のコーヒーに牛乳を入れていることを直子が説明すると、「オオ、バグス」(とてもいい)と言いました。それで、冷蔵庫から牛乳のパックを出して見せると、得体のしれないものに出会ったみたいに、説明の文字をじっと読んでいました。牛乳をコップについで出すと、ゆっくり飲みはじめ、しばらくの間深く味わって、感極まったように出た言葉が、「オオ、エナック」(美味しい)でした。牛を飼うというより、かわいがり、草を刈っては共に暮らしているような彼が、生れて初めて牛乳を飲むという、ある意味不思議なことがありました。バリの田舎では牛乳は貴重品で高価なものであり、またバリヒンズー教では、牛は神聖な生き物ではありますが、牛乳をしぼらないのか、よくわかりません。ただ、彼は人間よりも動物と一緒にいた方が幸福な人みたいで、牛三頭、犬三匹、猫三匹、鶏に至っては三羽と言いながら、あれ、三羽だったかなと首をかしげ、いつもの癖で指折り数えるありさまです。ところで、きょう初めてと言えば、マッサージの後、庭に出て、私の目にはこっそりとしか言えないように煙草を吸いはじめました。目ざとい直子がそれを見つけ、いつもは体に良いことばかり教えてくれていたのに、一体何?と言わんばかりに、「それ、体に悪いでしょ。」と現地語で何度も言うと、「これ、私にとって、体にいいよ。」と言い、ニッタリと笑いながら吸っていました。このようなたわいもない可笑しさが続くバリのヴィラの生活です。
清田さん、貴重なコメント、ありがとうございました。宗教は、特に浄土真宗は極めて私の核に触れる部分ですので、日本に帰り、ゆっくり返答するつもりです。自分と宗教との関係はあまりにも深すぎて、一般の方にはほぼ、理解不可能だと思い、密かに私の心の奥深い所に大事にずっとしまって置いていた事柄なのです。神田橋先生と、今は亡き河合速雄先生だけには深く話して、それなりの深い理解を頂いておりますが。キーワードは親鸞聖人の言われた、「世間虚仮、唯仏是真」(せけんこけ ゆいぶつぜしん)あたりにあるのかと思います。即ち、この世に生きるということは、私にとり、虚仮の修行にあたるかもしれないと思います。たぶん、それは私にとり、本当の内心に近いような気がしてなりません。深い共感と理解、ありがとうございます。
バリの会の第二グループも日本に帰り、いつもの静かなヴィラに戻り、私達は静かにある種の達成感と、バリの静けさとバリの人々の笑顔に囲まれています。しかし、メイドさんやハウスキーパー達の堪らないほどの寂しい顔は、彼らにとってバリの会の参加者との出会いがいかにハッピーでステキな体験であったかということを、はっきりと物語っています。
私は喉の調子が悪く元来声が出にくいので、男性にしか受けられない丸裸に近い姿で、男性のパックスワダさんの絶妙な医療マッサージを受け、体調を整えています。彼はとてもシャイな人で、ようやく私に慣れてきたようなデリケートで謙虚な人です。物欲も金銭欲もなく、穏やかに過ごすことに幸せを見つける、ある種の典型的なバリの人です。
きょうのマッサージのあと、いつもお湯しか飲まない人ですが、私のコーヒーに牛乳を入れていることを直子が説明すると、「オオ、バグス」(とてもいい)と言いました。それで、冷蔵庫から牛乳のパックを出して見せると、得体のしれないものに出会ったみたいに、説明の文字をじっと読んでいました。牛乳をコップについで出すと、ゆっくり飲みはじめ、しばらくの間深く味わって、感極まったように出た言葉が、「オオ、エナック」(美味しい)でした。牛を飼うというより、かわいがり、草を刈っては共に暮らしているような彼が、生れて初めて牛乳を飲むという、ある意味不思議なことがありました。バリの田舎では牛乳は貴重品で高価なものであり、またバリヒンズー教では、牛は神聖な生き物ではありますが、牛乳をしぼらないのか、よくわかりません。ただ、彼は人間よりも動物と一緒にいた方が幸福な人みたいで、牛三頭、犬三匹、猫三匹、鶏に至っては三羽と言いながら、あれ、三羽だったかなと首をかしげ、いつもの癖で指折り数えるありさまです。ところで、きょう初めてと言えば、マッサージの後、庭に出て、私の目にはこっそりとしか言えないように煙草を吸いはじめました。目ざとい直子がそれを見つけ、いつもは体に良いことばかり教えてくれていたのに、一体何?と言わんばかりに、「それ、体に悪いでしょ。」と現地語で何度も言うと、「これ、私にとって、体にいいよ。」と言い、ニッタリと笑いながら吸っていました。このようなたわいもない可笑しさが続くバリのヴィラの生活です。
清田さん、貴重なコメント、ありがとうございました。宗教は、特に浄土真宗は極めて私の核に触れる部分ですので、日本に帰り、ゆっくり返答するつもりです。自分と宗教との関係はあまりにも深すぎて、一般の方にはほぼ、理解不可能だと思い、密かに私の心の奥深い所に大事にずっとしまって置いていた事柄なのです。神田橋先生と、今は亡き河合速雄先生だけには深く話して、それなりの深い理解を頂いておりますが。キーワードは親鸞聖人の言われた、「世間虚仮、唯仏是真」(せけんこけ ゆいぶつぜしん)あたりにあるのかと思います。即ち、この世に生きるということは、私にとり、虚仮の修行にあたるかもしれないと思います。たぶん、それは私にとり、本当の内心に近いような気がしてなりません。深い共感と理解、ありがとうございます。