ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

K.051. 呉須花絵椀 Tigela

2018-11-23 | 飾り棚

直径13.9cm 高さ5.2cm

 線彫りの上にアズレージョと同じ藍色で彩色された花が底に浮んでいる。
 ぶ厚く、焼きが硬いのでとても丈夫。
 大きさも形も手に馴染み、ちょっとした煮物を入れたりするのに重宝している。

 ポルトガルではこのような形のお椀をよく見かける。
 ソッパ(スープ)を食べるのに使われるが、レストランではこんな柄物ではなく、普通の茶色いお椀で出てくる。

 ポルトガルのソッパはとても美味しい。
 ソッパの種類はいろいろあるが、代表的なのは「カルド・ベルデ」。直訳すると「緑のスープ」ということになる。ポルトゲーサ(ポルトガルキャベツ)を細かく刻んでジャガイモとじっくりと煮込んだ薄緑色のポタージュスープ。

 ポルトゲーサはどこの家の畑や庭の片隅にも数本植えてある。
 夏が終ると苗を植えて、ソッパを作るたびに一枚か二枚の葉っぱをもぎ取って使う。
 ずいぶん丈夫な野菜で、どんな痩せた土地でも育つし、ほんのちょっとのスペースでも植えてある。葉っぱをもぎ取られるごとに、ぐんぐんと伸びて、真冬には私の背たけ以上にも成長している。
 秋から春にかけて煮込み料理などに使われる。
 冬の終わりには葉っぱがほとんどなくなって、残った棒状の茎が枝分れして菜の花をつける。
 この菜の花がメルカドに顔を出すと、そろそろ冬も終わりだな…と感じて、なんとなくウキウキしてしまう。
 ごわごわと硬い緑の葉っぱはビタミンやミネラルなどがたっぷり含まれている。
 健康食品として持てはやされている「青汁」の材料、ケールはポルトゲーサの葉とそっくりだが、同じものではないだろうか? MUZ

©2018 MUZVIT

 


036. ようやく雨が…

2018-11-22 | エッセイ

 今年はほんとに雨が降らない!
 例年なら8月の終わり頃には西の空に黒雲が湧きはじめ、やがて大粒の雨がボツボツと突き刺さり、カラカラに乾いた地面はたちまち潤っていく…はずだが、それが9月になっても一度も降らず、10月になってもまだ降らない。

 先日アレンテージョのモンサラスに行ったが、その途中の牧場は一面に黄色く枯れた草ばかり。
 それも牛や羊たちが舐めるように、根元からかじり取るので地面の土が出ている所もあるほど。
 これは土地が砂漠化する危険な兆しだ。
 衛星写真によると、ポルトガルとの国境近くのスペインの南部海岸沿いでは毎年砂漠化が広がっているという。

 いつもだったらひと雨ごとに緑の草がぐんぐん伸びて、畑でも野菜が育っているころだ。
 しかし雨が降らないので、モンサラスの麓に広がるダム湖の水も水位がかなり減っている。
 今まで水没していた周囲の斜面が黄色い地肌を見せているのが痛々しい。
 水位が数メートルも減っているのではないだろうか。

 ダム湖の南に位置する町、ベージャでは困り果てた農民たちがとうとうデモを始めて、幹線道路を封鎖して警官隊ともみ合う騒ぎまで起こった。
 こんなに雨が降らないのは、雨をもたらす低気圧がどこか違うルートに替ったとしか思えない。
 たしか9月頃にはスイスやルーマニアなどで豪雨が降り、洪水被害が出ている。
 その雨のほんの一部でもどうしてポルトガルに来ないの!と言いたかったほど。
 私は雨がきらいだから、いつまでたっても雨が降らず、毎日が真夏日なのは嬉しいのだけれど。
 それでも雨が降ってほしいと思った。

 家から眺める風景がいつまでも黄色い枯れ草ばかりではどうも落着かない。
 水道局の屋根の上にもいつまでたっても緑の芽生える気配がない。
 でも同じ雑草でも日照りにも負けずぐんぐんと伸びているものもある。
 地面をはうように四方へ触手を伸ばしていく。
 上から見るとまるで緑の蜘蛛みたいだ。
 この雑草に種が実ると鳩の群れがやってきて、みんな夢中で突付いている。
 よほどのご馳走らしい。
 今まで鳩のために毎日、三階の窓から身を乗り出してパンを投げ落としていたセニョ-ラの家が売りに出している。
 彼女が引っ越してしまうのは鳩にとっては一大事だ。
 これから毎日の糧を自分たちで探さなくてはならない。

 雨が降らないので10月になったというのにまた山火事が数箇所発生した。
 今年の夏は驚くほど山火事が多発して、ポルトガルの北部山中の小さな村がいくつも村ごと焼けてしまった。
 村人たちのほとんどは老人なので、すべてを失ってこれからどうするのだろうかと気にかかる。
 そうした村にはフランスやスイスなどに出稼ぎに行って貯めたお金で、老後を故郷で過ごすために立派な家を建てた人たちもかなりいる。
 そんな新築の豪邸も火に囲まれてどうしようもなく燃えてしまった。

 このごろTVのCMで、家のまわりの50メートル四方にある木は切るように…といった政府広報を目にするようになった。
 そのすぐ後に、市の作業員たちがやってきた。
 我が家の周りには下から吹き上げてくる風を防ぐために松の林がある。
 隣の一戸建ての家などはせっかく南向きなのに、太陽も当らないほどうっそうとした松の木に囲まれている。
 その松林の一部が我が家のベランダに迫っていて、いつも「火事になったら危ないな」と心配の種だ。

 市の作業員たちは3人。そのうちの一人が命綱も無しに素手でスルスルと高い枝に登り、長いロープと滑車を上に引きあげた。
 滑車を太い枝にくくりつけ、その滑車に通したロープを使って下からチェーンソーを運び上げ、それを外したロープを次は、切ろうとする枝にくくりつける。
 切られた枝はドサッと一気に下に落ちないで、ロープを付けた状態で下の仲間が引っぱって予定の場所に下ろしていく。
 そうやってまず枝を落としてから、幹は下から切るのかと思うと、そうではない。
幹も1~2メーターほどの長さで短く切り刻んでしまう。
 周囲がひとかかえもある、高さも10数メーター以上もある松の木は、根元から切れば立派な材木が取れると思うのだが。
 それを無雑作に切り刻むのはとてももったいない。
 暖炉の薪にしかならない。
 建材スーパーでは一枚板はけっこう高い値段がする。しかも北欧からの輸入材が多い。

 勝手な事を考えながら彼らの作業を見ていた。
 とにかくベランダの近くの木を切ってくれるのだからありがたい。
 その日は二本の木を切り倒した。
 この調子では家の周りの木を50メーター四方とは言わないまでも、ある程度切り終わるのはなかなかだ。
 しかも肝心の木、我が家のベランダに枝を伸ばしている木は手付かずのまま。
 翌日また来るのかと期待していたのだが、その気配はない。
 その木には山鳩の巣が架かっているので、思いやりで切り残したのだろうか。

 次の日から空にもくもくと入道雲が発生した。
 天気予報では「フラカオ(台風)が来る~」と騒ぎ始めた。
 ポルトガルに台風が来る~というのは今まで聞いたことがない。
 しかもアメリカのマイアミからやってくるらしい。
 今年は世界中で異常気象が多発しているから、ひょっとしたら強力なフラカオが大西洋を渡ってくるのかもしれない。

 翌日、とうとう雨が降り始めた。
 ようやく雨がやってきた。
 雨はしだいに本降りになり、乾いた土を湿らせて、たちまち小さな流れができた。
 風もしだいに強くなり、その晩は激しい雨音が一晩中続いた。

 とうとう雨期の始まりだ。
 雨は数日間は降ることだろう。
 これで水不足のアレンテージョも助かった…と思った。

 でも雨はたった一日で終り、フラカオもばらけていくつかの低気圧になり地中海に行ってしまった。
 南のアルガルベ地方では道路が一部水浸しになったらしいが…。

 それからはまた雨の降らない日が続いている。
 でももうビーチに行けるほどの暑さはなく、急に秋めいてきた。
 あわてて長袖の服を出し、毛布も一枚加えた。

 そんなある朝、「ギャ-ッ、ギャ-ッ!」と異様な叫び声が聞こえた。
 驚いて窓の外を見ると、先日切り残した松の木の枝に火のように真っ赤なものが見えた。
 「ギャ-!」
 真っ赤なものはまた張り裂けるような声をあげた。
 それは大型のオウムだった。
 30センチほどもある、燃えるように真っ赤な色のオウムが止まっているのだ。


我が家のベランダから撮影

 どっから飛んできたのだろう?
 きっとパン投げおばさんの下の階の家から逃げて来たのに違いない。
 今までも色んな鳥があそこの家から飛んできた。
 黄色いインコ、エメラルド色のインコなどが逃げてきて、我が家のベランダの手すりや洗濯ロープに止まっていた。
 そしていつの間にかいなくなった。
 真っ赤なオウムはたぶんかなり高価なものだろう。
 飼い主らしい人がやってきて松ノ木を見上げているが、なにしろ高い所に止まっているから捕まえようがない。
 もちろん我が家のベランダからもどうしようもない距離だ。
 しばらくして真っ赤なオウムは「ギャ-ッ!」と鳴いて、どこかへ飛んで行った。

 その後も雨は降らない。
 でも空気はヒンヤリと冷たく、ちょっと曇った日が続いている。

MUZ
(2005/10/16)

 追信 
 これを書いた直後パリに旅立った。26日にはポルトガルに戻って、それからHPの更新をする予定だった。
 しかし旅の終りの日、日本から緊急の連絡が入り、パリから大慌てで日本に帰国して12日間を過ごした。
 そして昨夜遅くポルトガルに戻ってきた。
 空港を出ると道路に水たまりがあちこちにできていて驚いた。
 たった今雨はあがったところみたいで、屋根からぽたぽたと雨しづくが落ちていた。
 そして今朝、窓を開けたら外の風景が旅立つ前の風景と一変していた。
 カラカラだった黄色い草地はいきいきした緑の若草に変わり、水道局の屋根の上にも緑の草が生えている。
 そしてベランダにほったらかしでからからに乾いていたプランターにも、10センチほどの緑がひょろひょろと伸びているのを見つけた。
 それはニラの葉だった。
 今年は別のプランターに新しい種を撒くつもりで、古いプランターは一度も水もやらずにほったらかしだったのに…。
 留守にしていた20日間に雨がかなり降ったのだろう。やれやれ…。
MUZ
(2005/11/09)

 

(この文は2005年11月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.050. 割き木編みカゴ Cesto

2018-11-22 | 飾り棚

幅27cm

 日本ではこういったカゴは竹か藤の蔓で作られているのが普通だが、これは木の細い部分を割いて編んだ物。

 ゴッホのヌエネン時代の絵にこの様なカゴにじゃがいもをいっぱい入れて描いた絵がある。
 そんな絵をいつか描いてみたいと言ってVITが露天市で買い求めたもの。

 我家ではじゃがいもではなく、リンゴ入れになっている。
 今までこのコーナーでは中には何も入れないでそのものだけを登場させたが、今回は使っているそのままの姿で撮影した。

 今、東北、北海道のリンゴ産地も台風18号により大変な被害を受けた。
 前の浅間山の噴火で灰を被ったキャベツでもそうだったが、今回のリンゴも捨てることなく安くで販売されている。
 今までのやり方で「規格に合わない物は全て廃棄」といった、農協中央会的、或いは中央卸売り市場的なやり方には疑問があったので良い方向に向かっている様に思う。

 さて写真のリンゴは日本では絶対に規格外だろう。
 ポルトガルのリンゴである。
 一個の直径は僅か6センチ程のひと口サイズ。
 100年前のセザンヌが描いたリンゴはこの様に小さい。
 大きなリンゴを見慣れた私はセザンヌの絵を不思議に思っていたが、あれが普通だったのだ。
 ポルトガルのリンゴを見て納得している。

 ポルトガルでも最近は輸入リンゴが売られている。
 綺麗にワックスが掛かっていたりするし、冷蔵輸入なので傷みやすい。

 その点ポルトガルのリンゴは見栄えは悪いがワックスも掛かっていないし、冷蔵流通などには乗っていない。だからかえって腐りにくいし、仮にしわしわになっても食べる事が出来る。わざわざしわしわのリンゴを選んで買っている人もいる位だ。甘味は多いしMaça Assada(焼リンゴ)を作るのに都合が良い。MUZ

©2018 MUZVIT

 


035. トロイアのイベント

2018-11-21 | エッセイ

 トロイアで漁師の祭があったのは8月、そして9月の8日、トロイアで衝撃的なイベントが行われた。
 その前の日からTVのニュースでトロイアがひんぱんに取り上げられ、ビルの映像が出てきた。
 そのビルは少し傾いているのだが、ビルの周りには見慣れない黒いものが帯状に巻かれている。
何だろうか?

 トロイアには少し傾いたビルが少なくとも3棟ある。
 地盤のゆるい砂地にリゾートマンションが次々と建てられているのだが、その内の高層マンションのいくつかが建築の途中で傾き始めたらしく、そのまま長いこと廃墟になっていた。
 私たちもビーチに行く時にその近くを通りながら、いつも気になっていたのだ。
 今どきの建築技術なら、傾いたビルなど簡単にまっすぐにできると思うけど…などと素人の野次馬根性で話をしていた。

 ポルトガルの町や村は岩山を利用してできているものが多い。
 歴史的には敵の侵略に対して見通しのよい岩山に寄り集まって集落が築かれたのだが、別の理由として、平地は洪水の危険と地盤の沈下というのもあったかもしれない。

 ポルトガルに来て間もないころ、コインブラのペンションに泊まった。
 その宿は川に面して建っていて、目の前は公園で、なかなか良い眺めの部屋だった。
 ところが部屋を決める時は気がつかなかったのだが、街を歩き回って部屋に帰って来たとき、なんとなく微妙に傾いている事に気がついた。
 別の部屋に替えてくれるように頼んだのだが、他の部屋も同じ状態だという。
 このあたりは川の砂地の上に建っているので、隣の家もその隣もほとんどが少し傾いていて、どうしようもないという話だった。
 その晩は少し傾いたベッドからずり落ちないように、眠りながら無意識に身体に力が入っていたのを思い出す。

 前日のニュースでは9月の8日、3時からトロイアで何かが始まるということだった。
当日は昼過ぎからTVを付けていたが何のこともない。
 3時になっても何も始まる様子もなく、TVはぜんぜん関係のない番組を流している。
 ベランダにカメラを設置して何かが起こるのを待っているのだが、町はいつもどおりで、何もザワザワした気配は感じられない。
 近所のベランダには人の姿はなく、ベランダで今か今かと待機しているのは私たちだけ。
 なんだかちょっと恥ずかしくなった。

 時計を見るともう4時を過ぎている。
 と、その時突然TVの番組が打ち切られ、トロイアの傾いたビルの姿が映し出された。
 ビルの前でレポーターが緊張した様子で喋っている。
 画面が変わって、町の展望台とサン・ジョルジョ城のテラスが写った。
 そこには大勢の人々が詰め掛けていた。
 なんだ~、みんなやっぱり見てるんだ~。

 トロイアの上空にはヘリコプターが飛びかい、空から見たトロイアの様子を伝え始めた。
 やがて貴賓客が詰めかけ、その中にはソクラテス首相の姿があった。
 どうやら首相の到着を待っていたらしい。
 そしていよいよTV画面で見る現地の様子が慌しくなった。
 私たちはベランダのカメラを気にしたり、TVの画面を見つめたりで忙しい。
 ソクラテス首相の手元がクローズアップ。
 そこにはビルの爆破のためのスウィッチがあった。
 ビルに巻かれた黒いものは爆薬なのだ。
 私たちはベランダに走りよって、カメラを覗き込んだ。

 ボン!
 トロイアに爆風が走った!
 今まであった高層ビルがあっという間に掻き消えた。
 周りにはすごい勢いでもくもくと砂煙が舞い上がり、たちまちトロイアを覆いつくした。
 まるでニューヨークの911事件の爆風のような光景だ。
 幸いにも我が家のベランダまでは爆風は届かなかったからよかった。
 風はサド湾の奥に向かって吹いているのか、大量の砂煙はそっちに流れていく。
 TVの画面では崩れ落ちる高層ビルの姿を繰り返し伝えている。
 二つのビルが同時に爆破されたのだ。
 ふたつともみごとにまっすぐ崩れていた。


▲マウスポインタを当てると爆破が始まります。(我が家のベランダから撮影)

 砂煙は2時間ほどトロイアの周りを漂って、また元の青空に戻った。
 そして傾いた高層ビルが掻き消えて、なんとなくすっきりしたトロイアになっている。

 でもこの跡にカジノと五つ星ホテルとヨットハーバーなどができて、高級リゾート地になるという。
 そうなるとホテルのプライベートビーチばかりになって、庶民のビーチがなくなってしまうのではないだろうか…。

MUZ(2005/10/01)

©2005,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2005年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.049. アレンテージョ地方のマントを着た羊飼いの絵柄オリーブ入れ Azeitoneira

2018-11-21 | 飾り棚

 直径11.8cm

 まだ九月になったばかりで、この図柄はちょっと季節はずれかもしれないけれど…。アレンテージョ地方の羊飼いや農民には必需品の伝統的なマント。
 肩のところが二重になっていて狸かキツネの毛皮が衿に付いている。
 雨や風、寒さにいかにも頑丈そうなデザイン。

 日本でも昔はこれとそっくりのマントを普通に着ていたらしい。
 子供の頃、明治生れの祖父がこんなマントを着ていた記憶がかすかにある。
 やはり衿には毛皮が付いていて、ラッコの毛皮だと言っていたのを憶えている。
 もしかしたらそれも、もともとはポルトガルから伝わったものかも知れない。
 ちなみにマントはポルトガルからの外来語だ。

 数年前、アレンテージョ出身の小説家・サラマゴがノーベル文学賞を貰った。
 その後ポルトガルの大統領からも勲章を授与された。
 その授与式にサラマゴはこのアレンテージョのマントを着て臨んだのが印象的だった。

 今でもこの伝統的なマントは露天市の洋服屋では普通に売られている。

 このオリーブ入れはサンペドロの産、モンサラーシュの土産物屋用に作られた物で手彫り、手描きではあるが、残念ながら、ろくろ作りではない。
 鋳型貼り付け作りであるから、型は綺麗に整いすぎていてもう一つ味がない。MUZ

©2018 MUZVIT

 


034. 漁師の祭

2018-11-20 | エッセイ


セトゥーバルは大西洋に面した港町である。
規模は小さいが漁港がふたつある。
昔の町の写真を見ると、イワシが大量に水揚げされ、ふたつの漁港のまわりにはイワシを加工して缶詰めにする工場が建ち並んでいたようだ。
私たちがこの町に住み始めたころは、廃虚になった工場があちこちにまだ残っていた。
それがEUの加盟国になって資金の流通が良くなったせいか、廃墟はバタバタと取り壊されて、その跡に新築のマンションが次々と建てられた。
中には運良く博物館として残されたものもあるが…。
遠くローマ時代にはイベリア半島もローマ人の支配下にあった。
今でもセトゥーバルの町の中にはローマの遺跡があちこちにある。
それは特に目立ったものではなく、家の土台を掘ると出てきたり、商店街の古い家の奥にある井戸がローマ時代のものだったりする。
町外れには石畳のローマの道が残っている。

対岸のトロイアにもちょっとした規模の遺跡が残っているが、そこには小さなプールのようなものがいくつもある。
その遺跡はローマ時代のイワシの加工場だったそうだ。
大量に捕れたイワシをプールに入れて塩漬けイワシを作っていたらしい。
セトゥーバルはサド湾の一角にあるが、サド湾の周りには塩田があちこちにあり、今でも天然の塩を作っている。
たぶんローマ時代にもこのあたりに塩田があったのだろう。
大西洋で捕れたイワシを地元で作った塩で漬けて、帆船であちこちに運んでいたそうだ。
大昔からこのあたりに住む人々、遠くはローマ人から現代のポルトガル人まで代々が海の幸の恵を受けて、生きてきたのだ。

トロイアのローマ遺跡は小さな入り江の縁にある。
遺跡の側には古びた、わりと大きな教会が建っている。
その周りには村も何もないから、こんなところになぜ教会があるのだろうか…と不思議に思っていた。
でも夏になってその謎が解けた。

ある朝、花火がドンドンドンドンと立て続けに鳴った。
朝の花火は音だけだし、この町では何かというと花火を打ち上げるから、「今日の花火は何かな…」とあまり気に止めなかった。
ところがしばらくして窓からトロイアをふと眺めると、小さな入り江に漁船がたくさん集っているのが見えた。
そのうえあとからあとから続々と入り江を目指して船が走っている。
中小の漁船に混じって帆船も見える。
どれもこれも工夫をこらして船を飾りたてている。
祭だ、漁師の祭!



それは「ノッサ・セニョーラ・ド・ロザリオ・デ・トロイア」
「我等がトロイアの聖母様」とでも訳したらよいだろうか。
祭は3日間続く。
今年は8月20日から22日までだった。

話によると、漁師たちは一家総出で、鍋釜、布団を積み込んで、色とりどりのモールや旗で飾り立てた自分の船に乗り込み、トロイアの教会へ出かける。
そこで二晩泊り込みでお祈りの儀式を行い、宴会やダンスなどをして祭を楽しむそうだ。

三日目の夕方、花火の合図と共に漁船に乗り込み、船団を組んでトロイアの岸辺に沿ってしずしずと沖に進んで行く。
その間先頭の小舟からは次々と花火が打ち上げられている。
沖合いのアラビダ山の「ノッサ・セニョーラ・ダ・アラビダ」にお参りをしてから、またセトゥーバルの港に引き返してくる。
その間、約1時間。



ドッカ・ド・ペスカドーレスの岸壁には祭の船団を一目見ようと、人々が早くから集っていた。
中には飲物食べ物持参で芝生に座り、ピクニック気分の家族も数組いる。
ビール片手に一人で来て、木蔭でごろんと寝てしまった男もいる。
足元にはどこから来たのか、一匹の犬が男と反対方向に頭を向けて気持良さそうに寝息を立てている。
子供たちは興奮して走り回り、オムツを着けたよちよち歩きの赤ん坊が仔犬を相手にボールを蹴っている。

花火の音がだんだん近くなり、水平線に小さく姿を見せた漁船団がみるみる近づいてきた。
一番先頭は花火を打ち上げている漁船。
船の後ろで一人の男が自分の背たけほどの筒を抱え、別の男がそれを支えて少し斜めにして花火を発射する。



小舟からは一瞬キラッと閃光が走ったかと思うと真っ青な空に小さな雲がポッポッと浮かび、しばらく間を置いてからドンドンと音が聞こえた。
花火は次々と景気良く打ち上げられ、しばらくするといよいよ漁船団が現われた。
先頭には周りを数隻の小舟で護られた大型漁船。
その船先には漁師たちの守護神「トロイアの聖母様」が花に囲まれて祭られ、祭式の服をまとった数人の神父さんたちと、町の名士たちが従っている。



その後を横並びに漁船団がやって来て、ブンチャカブンチャカと賑やかな音を鳴らしながら次々と走って行く。
昔、サド湾の塩田で作った塩を運んでいたという大型帆船も2隻ほどあるし、大西洋に出て操業する漁船やサド湾内で1本釣りをする小舟もある。
それぞれ工夫を凝らして自分の船を飾り立てている。




大型、中型漁船には関係者が鈴なりに乗り込み、小さな漁船には漁師一家が乗って、トロイアの祭で使った鍋や釜、布団などの荷物も見える。
岸壁に集った観客の中から漁船団に向って声援が飛ぶ。
自分の知り合いの乗った船に声をかけると、船からも手を振りながら声が返ってくる。



船団の行列は一時間ほど続いただろうか。
参加した漁船は100隻以上もあったと思う。
最後の小舟が通り過ぎると、観客はそれぞれに帰って行った。

トロイアにあるローマ時代のイワシの加工場の遺跡。
そのすぐ傍にある古い教会。
そこで一年に一度泊り込みで開催される漁師の祭。
はるかロ-マ時代から延々と続いている祭かもしれない…。
「我等がトロイアの聖母様」に大漁祈願と海の安全を願う祭は今年も賑やかに終わった。

MUZ
2005/09/01

©2005,Mutsuko Takemoto
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(この文は2005年9月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.048. 舟型チョリソ皿 Assador Chouriço Canoa

2018-11-20 | 飾り棚

 長さ22.5cm

 これは皿というべきかどうか判らないが、産地はミーニョ地方、バルセロスの陶器。
 この器を店頭で初めて見かけた時は何に使うものか解らなくて、しばらく悩んだものだ。
 これはこの夏のサンチャゴ祭の陶器市で見かけて買ったもの。
 まだ一度も使ってないのでピカピカのまっさら。
 店の人に尋ねたら、「チョリソをこの上に置くのだ」という簡単な答えしか返ってこなかった。

 ポルトガル独特の器?かもしれない。
 Assadorアサドールとは「ロースト」という意味だから、この器にチョリソ(サラミソーセージ)を乗せてオーブンに放り込む。
 すると余分な油分は鉢底に溜まる…ということだろうか?

 実はそうではなく、皿底にアルコールを流し、マッチで火を点け、チョリソの表面をあぶって食べるのだそうだ。

 チョリソはポルトガル料理には欠かすことはできない。
 それはそのまま食べると言うよりも、料理に深み、コクをつけるために、なくてはならない調味料の様なもの。
 でもチョリソを入れたからそれでよし、とはならない。
 数々の香辛料、にんにく、豚の脂身。時にはアサリ。
 トマトやピメンタ(ピーマン)の塩漬け。オリーブ。そしてワイン。
 いろんな物が複雑に絡み合って深みとコクのある料理が出来上がる。

 ポルトガルには「どこどこのチョリソはどうの」と言った銘柄が各地にあり、チーズやワインの様に専門店までもある。

 さて我家の今夜の料理は?
 「あっさりとお茶漬けといきましょうか…」
MUZ

©2018 MUZVIT


033. 洗濯機がやってきた

2018-11-19 | エッセイ

 

とうとう洗濯機(Maquina de roupa)を買い換えることにした。
もう十数年も使い続けてきたのだから、これでもよく持ったほうだと思う。
一度、ゴムの部分を取り替えたことがあるが、そのあとはとても調子が良かった。

ところが去年あたりから少し異変が起こった。
キッチンに置いてある洗濯機に衣類を放り込むと、あとは終わるまでお任せで他の事をしているのだが、その時はたまたま途中でキッチンに入った。
ふと床を見ると、水がたまっている!
「これ何?どうしてここに水が?」
水の元をたどると、水は洗濯機の下からしみ出していた。
幸い、床はタイル張りなので下の階に漏れる恐れはないが、慌ててモップでふき取った。
ついでにキッチンの床掃除。
次からは洗濯物の量を減らし、時間も短く設定した。
洗濯機を回すモーターの力はまだまだ元気いっぱい。
でも下から漏れる水の量はだんだん増えてきて、モップでふき取るのも大変になってきた。

だいぶ前からTVのコマーシャルで、やっていたのですね~。
どういう内容かというと…
洗濯機から水が漏れ出して、必死で水をふき取っている主婦。
修理屋が洗濯機を開けて取り出したヒーターの部分に白いものがびっしりこびり付いている。
「奥さん、これじゃあいけねえよ!カルゴンを使ってる? 何、使ってない!」
そこで「~にはカルゴン~」という唄と商品名がでる…。

ヒーターに付いている白いものは、水に含まれている石灰質らしい。
我が家ではひどい汚れものはないから、よほどの事がないかぎり温度はかけない。
だからヒーターが傷むことはないだろうとかるく考えていたのだが…。
ハッと気が付けば、我が家のキッチンはコマーシャルとまったく同じ状況になってしまった。

このごろ例のコマーシャルも内容がだんだん詳しくなってきた。
ヒーターだけではなく洗濯機のあらゆる部分に付着して、排水管なども詰らせるらしい。
人間の血管にコレストロールがたまるようなものだろう。
ヨーロッパの水は硬水で日本の水は軟水だというのは知っていたが、今度のことで実感した。
水の中の成分が洗濯機に付着して壊してしまうから、それを溶かすための薬を入れなければいけない…ということ。
日本人にとっては馴染みのないことだ。

修理を頼んでもかえって高くつくから、このさい買い換えることにした。
ちょうど大型スーパーで洗濯機の売出しをしていることだし。
省エネタイプで、デリケート洗いもついている…うん、これはいい。
イタリア製…だいじょうぶかな?
値段が定価の半額近い…これで決まり!

それから数日後、店から電話があったので、翌日の2時に配達してもらうことにした。
洗濯機の後はたぶんホコリがたまっているだろうと、動かそうとしたが重くてビクともしない。
ビトシと二人がかりでやっとずらせて掃除ができた。
これで配達人がいつ来ても大丈夫。

翌日、2時という約束だがたぶん早くても3時過ぎだろうと思っていたら、ビビーッと玄関のブザーが鳴った。
2時15分、ほとんどぴったり!
でも我が家は4階にあり、しかもエレベーターなどない。
ちょっと動かそうにもまるで岩のように重たい洗濯機。
どうやってここまで運び上げるのだろう? クレーンでベランダに吊り上げるのだろうか?

心配していると、男が一人でやってきた。
伝票を持って、ここに間違いないかと確認にきたのだ。
「あれ、洗濯機は?」
「アゴラ、アゴラ」(今、今)と階段の方を指さす。
らせん状になっている階段を覗き込むと、大きな洗濯機が登ってきた。
洗濯機の下には若い男がいる。
「ヒェ-ッ!」
驚いた、その男はたった一人で洗濯機を背中に担いでここまで登ってきたのだ!
ドアの前で洗濯機を下ろした男は息さえ切らしていない。
私達はいつも両手に買物袋を持ってこの階段を上ってくるのだが、三階あたりで息が切れ、
我が家のドアまであと三段という所で後ろ向きに引きずられそうになる。
それに比べてこの若い男は…ギリシャ神話の英雄ヘラクレスじゃなかろうかぁ~。超人だ!

キッチンに運んで今度は二人がかりで洗濯機の梱包をバリバリとはがしていく。
次は様々な金具の取り付け。
超人ヘラクレスともう一人の男はものすごいスピードで作業をする。
こんなの初めて見た!
まるで素晴らしい格闘技を観ているようだ。
二人の息がぴったりあっている。
その間、無駄話いっさいなし。
こんなタイプのポルトガル人は初めて見た!

あっけにとられているうちに作業は済んで、超人ヘラクレスは今度は古い洗濯機を担いで瞬く間に姿を消してしまった。
もう一人の男が使い方を簡単に説明したあと、これも脱兎のごとく駆け下りていった。
チップを渡そうと用意していたのに、その暇もなかったのが残念。
あわてて窓を開けて、もう出発しようとしている彼らに「オブリガーダ」と大声でお礼を言うのが精一杯だった。

ピカピカの洗濯機はすごく快調。
それまでと同じ分量の洗剤で見違えるようにきれいに汚れがおちる。
それに脱水力が強い。
古い洗濯機では絞り終わってもジュタジュタであった。

電化製品も日々進化してるんだなぁ~。
もう少し早く買い替えればよかった。

超人ヘラクレスは毎日、重い洗濯機や冷蔵庫を担いで、階段を登り降りしていることだろう。
昔、山岳部の男達が重い石をリュックに詰めて学校の階段を登ったり降りたりして訓練していたのを思い出す。
超人ヘラクレスも身体を鍛えるために、実益を兼ねたアルバイトをしているのだろうか…。

ところでさっそく石灰質撃退の優れものを買ってきましたよ。
でもカルゴンではなく、同じようなものでずっと安いのを発見しました。
その名もずばり「Anti Calcario」(石灰質撃退)
これを洗濯のたびに少し入れて、温度も30度以上に設定するそうです。




ついでに洗濯と洗剤についてのおもしろサイトを見つけました。

石けん百科 (生活と科学社)
http://www.live-science.com/index.html

MUZ
2005/08/01

©2005,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2005年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.047. 飛ぶ魚絵柄深大皿 Prato Pintura de Peixe

2018-11-19 | 飾り棚

直径36cm

 アレンテージョ地方の陶器の町レドンドでは、毎年8月に紙の祭りがある。

 町のあちこちの通りがテーマごとに切り紙で作ったオブジェが飾られ、頭上にはアーケードが作られて、切り紙細工がびっしりと下がっている。
 見た目にもきれいだが、真夏の燃えあがるような太陽をさえぎる役目もしている。

 そんな中を歩き回っていて、ふと目に付いた。
 勢い良く跳ねる魚は飛び魚だろうか?
 でもメルカドで飛び魚を売っているのは一度も見たことがないし、カジキマグロにしては口が尖がっていないし…

 たぶん想像上の魚なのだろう。
 「魚と花」の図柄。
 なんだかシャガールの雰囲気がして、気にいっている。MUZ

©2018 MUZVIT


032. セレージャはサクランボ

2018-11-18 | エッセイ

 今年は日本滞在が4月半ばから7月初めまでだった。
 ということはポルトガルの一番良い季節を見のがしたことになる。
 4月、5月に、一面に咲き乱れる野の花を充分に堪能できなかったし、6月に咲くジャカランタの紫の並木もみられなかった。
 そして日本からポルトガルに戻るころはセレージャ(サクランボ)も、もう姿を消しているだろうと諦めていた。

 日本ではスーパーにブラックチェリーと薄桃色のサクランボが二種類おごそかに並んでいた。
 でもパックの中に半分ほど入って400円以上もする。
 「なんでこんなに高いんだろう!」
 ポルトガルでは1キロのセレージャが買える値段だ…。
 でも今年はポルトガルに帰った時はもうセレージャは売っていないだろうと思い、かなり高いけど今年初めてのサクランボを日本で味わった。

 東北のサクランボ農家では今年も収穫寸前のサクランボが畑からごっそりと盗まれたそうだ。
 農家にとっては泣くに泣けないほどくやしいできごとだ。
 でも広い果樹園の数十本から数百本もある木に鈴なりになっている小さな実を、傷めないようにひとつひとつていねいにもぎ取るのは、泥棒にとっても大変な作業に違いない。
 しかも夜中の真っ暗な中の作業だし、人に知られないためには灯りをつけるわけにもいかないはず。
 人数も一人や二人ではできないだろうし。
 いったいどうやって畑じゅうのサクランボを一晩のうちに盗めるのだろうか?
 高度に訓練された忍者部隊が大人数でしかも無言のうちにてきぱきと作業する…としか考えられない。

 ポルトガルのセレージャは毎年5月の末ごろにメルカドの店先に並ぶ。
 まず黒くつやつやのブラックチェリーが山盛りになる。
 最初は少し値段が高いがだんだん安くなっていく。
 そのころになると薄桃色のセレージャが横に並び始める。
 ブラックチェリーの濃厚な味にそろそろ飽きたころに、薄桃サクランボのあっさりした甘味を味わえるのが嬉しい。

 ポルトガルに住み始めたころは、市場に並ぶブラックチェリーは東欧かアメリカからの輸入物だろうと思っていた。
 東欧のポーランドがまだ共産圏だったころ車でのんびりと旅したことがある。
 物価も驚くほど安く、大衆レストランの料理も珍しいものが多くて美味しかった。
 労働者でごった返す立ち飲みのバーで皆が飲んでいる黒ビールを私たちも真似して注文したら、これがまたこってりとホロ甘い。
 ゼラティンで固めた料理や黒ビールやぎっしり肉の詰った本物のソーセージ。美味いものが多かった。
 ポーランドの田舎の村を歩いていた時のこと。
 大きな木の下で、リヤカーみたいな車の荷台になんだか赤っぽい物を山積みにして売っているのが目に付いた。
 それは赤黒いチェリーの山だった。
 手製のスコップでドサドサと紙の袋に入れると、下のほうのが重みで潰されて紙の袋が赤く染まった。
 それほど完熟したサクランボをその時初めて食べて、その美味さと安さと量に感激したことを覚えている。
 そのころは物価の高いスエーデンに住んでいたので、値段が高くて美味いものはあっても、安くて美味いものはどこを探してもなかったから、その反動でよけいに感動したのだった。
 その後に移り住んだニューヨークのウエスト地区の八百屋でも、初夏になるとブラックチェリーが山積みになって、いつも買っていた。

 というわけで、ポルトガルでブラックチェリーの山積みを見かけた時は、輸入物だろうと思っていたのだった。
 この暑い国で栽培できるとは考えもつかなかった。
 でもそれはポルトガル産らしい。
 ポルトガルの北の方で採れるようだ。

 7月の始めにポルトガルに戻って、さっそく翌日メルカドに出かけた。
 入口の店先には黒くしなびれかかったセレージャが少しあった。
 「ああやっぱりもう終わったんだな~」とがっかりしながら奥に行くと、なんと黒いセレージャが山積みになり、しかも薄桃色のサクランボの山もその横でツヤツヤと光っている!
 しかも1キロが3ユーロと、まだ安い。
 いつもの年は今ごろはもう姿が見えないか、もしあっても値段がぐんと高くなっていた。
 ところが今年はまだ値段も安いし、見かけもいい。
 このぶんではまだしばらくセレージャの味を楽しめそう!

 以前フルナンドのキンタで知り合った郵便配達夫のアルマンドは、セレージャのくきを乾燥してお茶にして呑むと言っていた。

 そして今回成田から乗った全日空の機内誌「翼の王国」に「たねの力」という文章があり、サクランボの種の事が書いてあった。
 サクランボの種を3500粒詰めた枕についてだった。

 そこからちょっとお借りして、ご紹介します。
 以下の文章です。

 「…さくらんぼの種には畜熱・耐熱力があるので、枕を電子レンジでチンすれば湯たんぽになる。
 逆に、冷蔵庫にしばらく入れておけば、氷枕代りに使うこともできるのだ。
 …さくらんぼの種の枕も、昔からヨーロッパに伝わる知恵を活かしたものだという。
 イギリスでは、家庭でジャムを作る際に出たさくらんぼの種をオーブンで温めて使っていたという。
 また、スイスではキルシュ(チェリーブランデー)の醸造所で、果肉を取り除いた後に残った種を利用していたそうだ。…」
 全日空の機内誌「翼の王国」「たねの力」(鶴屋桃子、小泉絵美里=文)より

 よ~し、私もサクランボの種を集めて枕をつくろう~。
 でも3500粒もの種がそろうまで何年かかるかな~。

MUZ
(2005/07/12)

©2005,Mutsuko Takemoto
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(この文は2005年7月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

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K.046. 17世紀小鹿花模様陶磁八角深小箱 -Caixa Pequena Sec.ⅩⅦ

2018-11-18 | 飾り棚

10.7x7.5x7.5cm

 以前にもこの手の柄の小箱は登場しているが、八角形とこの深さかげんが良く、一番気に入っている。
 この中には、「私のお気に入り」あちこちの旅の途中で買った小さな物たちが納まっている。
 私にとって大切な物、でも他人から見たらガラクタのような物たち…だけど。 MUZ

©2018 MUZVIT

 


K.045. 乳鉢と乳棒 Almofariz e Mão de almofariz

2018-11-17 | 飾り棚

高さ 15.7cm


  ポルトガル料理には欠かせない台所道具。
  木工製のすり鉢。
  何の木で作ってあるのか分らないが、手に持つとすごく軽い。
  香辛料やニンニクそれにトマトなどもこの器で潰してしまう。
  おおまかに潰して鍋の中に放り込む。
  ポルトガル料理はどこで食べても旨い。
  それは大量に作るからだと思う。
  大量に作って大勢で食卓を囲んで喋るだけ喋って大量に飲んで大いに食べて食事時間を楽しむ。
  そして太るだけ太る…。MUZ

©2018 MUZVIT


031. 塩田地帯に大出現

2018-11-17 | エッセイ

 ポルトガルではここ数年の間に巨大なショッピングモールが全国各地にできている。
 1998年のリスボン万博の時は それまで殺伐な工場地帯跡地だった所が万博会場として開発されて、敷地の入口に大型スーパーと有名ブランドのブティック街が同時にできた。
 万博が終った後は、テージョ川に面した公園と、パビリオンをそのまま利用した文化施設と、新しく建設されたマンション群と商業施設との組合せで、リスボンの新しい繁華街になって賑っている。
 鉄道と地下鉄とバスターミナルも乗り入れているから、とても便利だ。
 再開発の成功例である。

 万博の時に、リスボンとセトゥーバル半島を結ぶ長い橋もできた。
 テージョ川をまたぐ全長17キロメートルもある橋で、ヴァスコ・ダ・ガマという名前が付けられている。
 ヴァスコ・ダ・ガマは、アフリカの喜望峰を回るインド航路を発見した、ポルトガルの偉人である。

 橋を渡り終わるあたりの両側には広大な塩田があり、遠くにフラミンゴの姿が見える。
 テージョ川の中洲が自然保護地帯で、いろいろな鳥やフラミンゴの生息地になっているので、そこから飛んできて塩田に住むミジンコみたいな餌を食べている。
 橋が開通して間もないころは、橋のすぐ傍の塩田でピンクや白のフラミンゴをたくさん見かけたものだが、交通量が激増したせいで遠くに避難してしまった。
 橋ができたせいで塩田はもう放置されたものかと思っていたが、時々水を抜いて部分的に干上がった塩田もあるから、今でも細々と塩を作っているようだ。
 塩田は上流に行くほどたくさん見かける。
 都会のど真ん中にフラミンゴが生息し、天然の塩を採取する塩田があるというのはとても驚きだ。
 でもいつまでこの環境を保てるのか、心配だ。
 その心配がだんだん現実になっている。

 このごろ「フリーポート」という巨大ショッピングモールが橋のこちら側にできているそうだ。
 ブランド品のアウトレットを売るブティックが集っているらしい。
 その日はちょうどリスボンに出かけたので、いったいどんなものか?と、帰る途中に行ってみた。

 橋のたもとの町からだいぶ離れた所に異様な形の巨大な物が突然出現した。
 テージョ川のほとりにある、かなりの範囲の塩田を埋め立てて、広大な駐車場があり、その中央にまるでテーマパークのような街ができている。
 本物の木や石を使って、店の一軒一軒のデザインが凝っている。
 でも街の周りは塩田と畑と草っ原だけで、何もない。まったくの人工の街だ。
 平日のせいか、人工の街も人通りは少なく、店も半分近くは閉まっていた。
 巨大な映画館では21ものスクリーンがあるそうだ。

 レストラン街はドイツやイタリアやスペイン、ブラジルなどの異国の味で売り出している。
 もちろんポルトガルや中華の店もある。そして「レストランジャポネズ」と看板の出た店があった。でも「日本レストラン」としては何だか怪しげである。ガラス張りなので店の中が見える。
 U字型のテーブルはベルトコンベア式になっていて、くるくる回っている。「ホホ~、くるくる寿司だぞ~」私は一気に嬉しくなった!
 リスボンにくるくる寿司があるとは今まで聞いたことがない。
 この店はリスボンで初めての、いやポルトガルで初めてのクルクル寿司屋ではないだろうか?
 入口にはメニューの紙が一枚貼ってある。「なになに?8,5ユーロ、飲物別」
 日本でなら、「一皿がいくら」の方式だが、この店は料金が決まっているらしい。ということは、食べ放題なのだろうか?その店に入る気持がぐっと高まった。

 でもちょっと待って!
 くるくる回る台の上にはほとんど何ものっていない。たまに流れている小皿にはモヤシがちょっとのっているだけ。
 女性客が一人だけで、味噌汁を飲んでいる。
 味噌汁は海外の日本レストランでは「ミソスープ」と称して、食事の最初に出てくる。欧米流のスープのあつかいと同じである。
 でも味噌汁だけを単独で飲むのはなんだか変だ!といつも思う。
 スープはパンといっしょに食べる。「ミソスープ」もご飯といっしょに食べるのがいちばん美味しい。

 近頃は世界的な日本食ブームということで、日本食を売り物にするレストランがどんどんできている。
 パリではリュクサンブール界隈の中華レストランが、いつのまにかいっせいに「握り寿司と焼き鳥」の日本食レストランに化けてしまった。
 行きつけだった安くて美味しい中華レストランも日本食レストランになっていた。
 経営者も従業員も中国人で、そこで出される寿司や焼き鳥もたぶん中国かタイで作ったものではないだろうか。どの店も同じものを出している。店先に張られたメニューまで同じ。なんだか怪しい現象である。

 ところでこの店は…。
 あっ、回ってきた!
 あれはカッパ巻きか、鉄火巻きかな?
 近づいてきた皿の上にはたった一切れの鉄火巻きがどうどうとのっているのです。
 こ、困ったな~。入るべきか、止めとくべきか?
MUZ
2005/04/01

 

 

©2005,Mutsuko Takemoto
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(この文は2005年4月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

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K.044. オリーヴの絵柄オリーヴ入れ Azeitoneira

2018-11-16 | 飾り棚

直径 9.6cm


 先週はオリーヴを漬ける甕(かめ)で今週はオリーヴを食べる時に盛り付ける皿。
 どうもオリーヴに関する物が多い。
 これもサン・ペドロの陶器。
 裏には釘彫で全面にしっかりとサインが施されている。
 表の絵柄も小さい割にはしっかりと彫られ丁寧に着色されている。
 でもこれはサン・ペドロの窯元で買ったのではなく、10年も前にセトゥーバルのサンチャゴ祭の陶器市で買ったもの。
 そのサンチャゴ祭は先週の土曜日から始まっている筈である。
 「筈である。」と言うのは、今年からルイサ・トディ大通り公園を通行止めにしての開催ではなく、どうやら特設会場を設けて始まっているらしい。
 例年なら先ず陶器屋さんが店を出し始め、次いで木工製品、皮製品、銅製品、それからサーカス小屋が建ったり、移動遊園地が始まったりそして食べ物屋、フォルチューラス(ドーナツ屋)。
 各サークルの展示場と徐々に広がって行くのだが今年はそれが全くない。
 ないと言うより会場が移ってしまったので、私たちの目に触れなかったのだ。
 やはりポルトガルもかなりクルマ社会になってきて、交通規制がだんだん難しくなって来ているのかも知れない。
 会場はこの町の反対側の丘の上。
 市から配布されているスケジュール表を見ると、連日、ファドやフォルクローレなどの音楽の催しも予定されているが、始まるのはいつも夜10時から。
 セトゥーバルの住民たちの熱帯夜をやり過ごす知恵なのだろうか?
 とても付き合ってはいられない。MUZ

©2018 MUZVIT

 


030. カラスが来た日

2018-11-16 | エッセイ

 ベランダの近くに張り出している松の木の枝に山鳩の巣が架かっている。
 山鳩のつがいがせっせと巣を作っているのをみかけたのはもう何年前だろうか。
 そこに卵を産み、母鳥が卵を抱いている間、父鳥が餌をとってきて母鳥に与えていた。
 やがてひながかえると、母鳥と父鳥が交代でひなを抱き、餌をとりに出かける。

 餌をくわえて帰ってきた山鳩はすごく用心深い。
 巣からかなり離れた枝にとまり、周りの様子をうかがって三度ほど枝をかえてやっとひなと相方の待っている巣にたどりつく。

 松林は丘の斜面にあるので、下から吹き上げてくる風がまともに当る。
 松林のあるおかげで我が家への風当たりはかなりゆるくなっているのだが、松の木の高い場所にある山鳩の巣はまともに風があたり、強風の時などゆっさゆっさと激しく前後左右に揺さぶられている。

 よく落ちないものだ…といつも思うのだが、今まで落ちたことは一度もないから不思議。
 鳥の巣作りというのは誰に教えられたわけでもないのに、頑丈に機能的に作ってしまうものだ…と感心してしまう。

 はっきりは分からないが、たしか3週間ほど経つころに、巣の中のひなが外に出て行こうとする。
 ひなはたいてい2羽だ。
 巣の近くの枝によちよちと危なっかしく伝い歩き、バサバサと羽ばたく真似をする。
 それからいつのまにか巣立っていく。

 どこに行ったか判らない。
 我が家の屋根の隙間にいるのかもしれない。
 「クエーッ、クエーッ」と喉を絞るような声をあげながら、キッチンの上の屋根に飛び上がっていく。
 でもそれが親鳥なのか、ひなの成長した姿なのか、区別がつかない。

 電線に止まっている山鳩が一時期10羽ほどに増えたことがある。
 そんな時、青い家の後ろあたりから鉄砲担いだ悪がきや悪親父がにやにやしながらやって来たもんだ。
 空気銃らしいが、山鳩を狙って銃を向けパンパンと乾いた音を出して撃つ。
 当ったのを見たことがないので、命中率はかなり低いようだ。
 でも外れた弾がどこに飛んで来るのかがよけい心配になる。
 このごろは悪がきがどこかへ引っ越してしまったのか、そういうことはなくなったけど。

 山鳩の巣は風雨にさらされ、そのまま朽果てていくのかと思っていたが、ある日せっせと巣を修復している山鳩の姿があった。
 また卵を産んで一日中抱いている。

 そんなことが何回も繰り返されながら数年経った。
 でも最初のつがいがその巣を使っているのかどうか判らない。
 案外、成長したひなが卵を産んで抱いているのかもしれない。
 それにしても巣は古いまま少し手直ししただけでずっと使っているようだ。
 使用年数がそうとう経って、今では立派な中古住宅といえる。

 今もまた卵を抱いている姿が見える。
 ある朝、突然「ガーッ、ガ~」という耳慣れない鳴き声が聞こえた。
 といっても、ポルトガルでは耳慣れないが日本ではよく知っている鳴き声だ。
 「まさか!」
 急いで松の木のあちこちを見ると、「いた、いた!」
 「カラスだ~」
 松の木の一番てっぺんの枝先にとまってガ~、ガ~とあたりを威嚇するように鳴いている。
 日本のカラスに比べてひと回り身体が小さいし、口ばしも短いようだ。

 二年ほど前になるだろうか、セトゥーバルからサド湾を対岸のトロイアに渡り、一時間ほど走った松林のあたりでカラスを数羽見かけた。
 それまでポルトガルのあちこちを旅して一度もカラスなど見たことがなかったから驚いた。

 「ああ、とうとうカラスがやってきた!」
 サド湾を越えてセトゥーバルまで来るのは時間の問題だ。

 カラスが住み始めると我が家の周りの野鳥たちには脅威になるだろう。
 今まで小鳥たちにとっての天敵はカモメぐらいしかいなかった。
 カモメはよほど海が荒れたときしか近づいてこないので、そんなに恐怖でもないだろう。

 カラスが増えたら大変だと、私は密かに心配していた。
 ところが去年の初め、郊外を走っていたら畑の中に黒い鳥が数羽いた。
 カラスがサド湾を渡ってこちら側に住み着いたのだ!
 それから数ヶ月後、今度はセトゥーバルにもっと近い所にある馬の放牧場で数羽見かけた。

 そして今年、とうとう我が家の前の松の木に姿を現した。
 山鳩の巣では子育て中。
 カラスはひなをねらっているにちがいない。

 カラスはそれ以来決まったように毎朝8時過ぎに同じ枝の先にやって来て、ガ~ガ~と鳴くようになった。
 不思議なことに、カラスは朝だけ姿を現す。
 そしてひとしきりうるさく鳴くといつのまにか何処かへ飛んで行く。
 山鳩にとって落ち着かない朝が毎日続いている。

 ある朝、バサバサと異様な音が松林の中から聞こえてきた。
 なんだか激しい羽ばたきの音だ。
 驚いてベランダに出てみると、枝や幹の隙間をカラスが逃げまわっている。
 追いかけているのは山鳩の夫婦だった。
 子供を持った親は猛然と敵に向って攻撃していた。
 カラスは驚き、戸惑って一目散にどこかへ飛び去った。

 でも次の朝、同じ時刻にカラスは素知らぬ振りで枝にとまり、耳ざわりな鳴き声をあげていた。

MUZ
2005/03/01

 

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