武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

生家の建築年は元禄11年(1698年)?

2013年03月16日 06時31分21秒 | 生家の価値
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金
 武井武雄生家が建築された年は、はっきりとわかっているわけではありませんが、次のような資料により、元禄11年(1698年)あるいはその翌年ではないかと推定されます。

 友之町分家の創立された年は、元禄11年の戊寅年であり、七年に1度の御柱祭の年であり、・・・(中略)・・・当時の伝聞としては、友之町分家の新築落成の祝い事に西堀本家全員が呼ばれて祝宴をしている留守に本家が出火して焼けたという話(武井武雄談)がある。

武井秀夫編著「武井家三百年史」甲陽書房刊(昭和59年)67ページ


 武井家系図(西堀本家)中、「平吉」の項

【武井平吉】
 武芸秀志の心有りて武者修行す。また、歌道の達者。伊勢物語の秘書、自筆にて選。(中略)右の秘書、武趣の代に焼失す。

武井秀夫編著「武井家三百年史」甲陽書房刊(昭和59年)19ページ


 武井武趣は、明和2年(1765年)11月2日 76歳で亡くなっています。行年が数え年だったとすると、生年は元禄4年(1691年)と推定されます。元禄11年の火災の際、伊勢物語の秘書が焼失したと考えるのが自然ですが、武趣は満7歳(推定)で、武趣の代というのは早すぎるのではないかという疑問が生じます。
 武井家系図は、武井武啓(武趣の孫に当たる)の代に作成されたものと考えられますが、武井家に伝わる古いエピソードを系図に書き記す際に、「武趣の子どもの頃」というのを「武趣の代」と書いてしまった可能性があります。

元禄~寛保の御柱祭の年と武趣の推定年齢
元禄5年壬申1692年武趣1歳
元禄11年戊寅1698年武趣7歳
元禄17年甲申1704年3月13日宝永に改元武趣13歳
宝永7年庚寅1710年武趣19歳
正徳6年丙申1716年6月22日享保に改元武趣25歳
享保7年壬寅1722年武趣31歳
享保13年戊申1728年武趣37歳
享保19年甲寅1734年武趣43歳
元文5年庚申1740年翌々年の寛保2年8月
家督を長男の武萬に譲る
武趣49歳




最新の画像もっと見る

コメントを投稿