(OPBF東洋太平洋S・ウエルター級タイトルマッチ)
此れより、私の心に残る試合の数々に暫しお付き合いを。
先ずは韓国の重量級が本当に強かった’70年代後半に活躍した朱と、元王者羽草との3度目の対決。
此れまでの2戦は敵地に赴いてKOで敗れている羽草が、王者を初めて国外へ連れ出す事に成功し、捲土重来を期して挑んだ一戦となった。
試合が動いたのは4R、ジックリとした不気味な構えからカウンターの右アッパーを狙う朱に対し、意を決して思い切り飛び込んだ羽草の右ロングフックが、朱の振った右アッパーより一瞬早く顎の届くと王者は腰からロープに崩れ落ちダウン、直ぐに立ち上がるも意識は未だ朦朧とする所に、挑戦者の左~右を浴びて尻餅をつくダウン、残り時間はたっぷりとあったものの思いがけないチャンスに焦った羽草が大きな左右を空振りした所でラウンド終了のゴング。
この後の羽草は大降りでミスも多く、5回・8回と逆にビッグブローを浴びて反撃されるも、”口”で走らず”足”で走ったスタミナを生かし、王者と最後迄打ち合う中試合終了のゴングが鳴らされる。
王者の油断と、3度目の正直を期した挑戦者の執念がミックスした試合は、三者3様の引き分けとなり、羽草惜しくも王座復活となりませんでした。
しかし、今よりもチャンスの少なかった北九州で、満を期して挑んだ羽草一世一代の大勝負は、私の心に刻まれた無念の一戦でもありました。
(追伸)
当時、小倉に映画を観にいくと、映画が始まる前に流れるCMで、北九州ジムの宣伝が流れていて、ボクサー諸氏がロードワークしている姿が映し出されていた事を思い出しました。
此れより、私の心に残る試合の数々に暫しお付き合いを。
先ずは韓国の重量級が本当に強かった’70年代後半に活躍した朱と、元王者羽草との3度目の対決。
此れまでの2戦は敵地に赴いてKOで敗れている羽草が、王者を初めて国外へ連れ出す事に成功し、捲土重来を期して挑んだ一戦となった。
試合が動いたのは4R、ジックリとした不気味な構えからカウンターの右アッパーを狙う朱に対し、意を決して思い切り飛び込んだ羽草の右ロングフックが、朱の振った右アッパーより一瞬早く顎の届くと王者は腰からロープに崩れ落ちダウン、直ぐに立ち上がるも意識は未だ朦朧とする所に、挑戦者の左~右を浴びて尻餅をつくダウン、残り時間はたっぷりとあったものの思いがけないチャンスに焦った羽草が大きな左右を空振りした所でラウンド終了のゴング。
この後の羽草は大降りでミスも多く、5回・8回と逆にビッグブローを浴びて反撃されるも、”口”で走らず”足”で走ったスタミナを生かし、王者と最後迄打ち合う中試合終了のゴングが鳴らされる。
王者の油断と、3度目の正直を期した挑戦者の執念がミックスした試合は、三者3様の引き分けとなり、羽草惜しくも王座復活となりませんでした。
しかし、今よりもチャンスの少なかった北九州で、満を期して挑んだ羽草一世一代の大勝負は、私の心に刻まれた無念の一戦でもありました。
(追伸)
当時、小倉に映画を観にいくと、映画が始まる前に流れるCMで、北九州ジムの宣伝が流れていて、ボクサー諸氏がロードワークしている姿が映し出されていた事を思い出しました。