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永田町異聞 新 恭 氏の記事と朝日新聞 星浩氏記事の読み比べ!

2010-09-21 14:28:23 | Weblog


2010年09月19日(日)

永田町異聞 新 恭 氏の記事参照

新 恭 氏[小沢一郎の片面しか伝えない化石メディア] の記事と、星浩氏記事の16日に朝日一面に掲載された「危機の政治」を読み比べてみて下さい。
皆さん、どちらの記事が公平、公正、平等の記事でしょうか。

永田町異聞 新 恭 氏の記事参照

いま「新報道2001」を15分ほど見て、相変わらずの低レベルに嫌気がさして、早々にテレビの前から退散した。

テレビ芸者のような政治家が「為替介入が遅すぎる。早ければ87円になっていた。90円でなければならない」と発言する。これなどは、輸出企業の社長の代弁にすぎず、円高の効用という視点は抜け落ちてる。

福沢諭吉の「文明論之概略」に、盾の両面を見よ、メダルの表裏を見よ、という意味の記述がある。

たとえば、農村の百姓は「正直なれども玩愚なり」とし、都会の市民は「怜悧なれども軽薄なり」とする。

そこで、百姓と市民とが、目的や立場をはっきり交通整理しないままに論争すると、百姓は市民を「軽薄児」と言い、市民は百姓を「玩陋物」と罵ることになる。

喧嘩することが目的ならば、メダルの片面だけを見て、互いの欠点をあげつらえばいいが、それでは何物をも生み出さない。感情的亀裂が残るだけである。

現代の大新聞の論説は、まさに、両眼で両面を見ることをせず、片眼で片面を見るのが常である。

片眼片面思考ゆえに、つねに分かりやすい文章を書くのが星浩氏であるが、それだけ突っ込みを入れやすく、ついついこの人を槍玉にあげることになる。実のところ、他の記者も似たようなものである。もちろん、朝日だけの問題でもない。

さて、16日に朝日一面に掲載された「危機の政治」なる記事で、星浩氏は「古い小沢政治」から脱却し、「強い菅政治」に進化せよ、と説いている。

さっそく、「古い小沢政治」の説明に目を凝らしてみよう。記事の冒頭にこうある。

民主党代表選のさなか、菅直人首相は伸子夫人から、こう励まされた。「恐竜時代を終わらせて、哺乳類の時代にしなくてはいけません。橋渡し役を果たすべきです」

 いささか大げさな例え話だが、菅氏周辺の雰囲気を言い当てている。恐竜はもちろん小沢一郎氏を指す。

なぜ小沢氏は恐竜なのか。それは以下のような理由によるものらしい。

自民党田中派に所属し、建設業界などに通じた。自民党を飛び出しても、豊富な資金を背景に数十人の議員集団を率いて、政界の合従連衡の中心にいた。民主党に合流した後も、自らの勢力を増やし続け、いまや150人規模に膨らんだ。

カネと数の力を背景にした政治を、恐竜のような「古い政治文化」と呼び、小沢氏の歩みのうちそれに該当するイメージの断片を取り出してつないだのが上記であろう。

では、今、だれが、どのような「新しい政治」をしているのか、あるいは「新しい政治」の明確なビジョンを示しているのか。そこに照準を合わせて言及している部分は見当たらないが、あえて取り出すとすれば、こういう記述がある。

菅氏が小沢氏を「カネと数の原理が色濃い古い政治」と評したのは誇張ではない。「古い政治」を乗り越えた勝者を待つのは多くの難所である。・・・首相に近い政府高官は、あるアイデアを温めている。予算案や法案の審議で、自民党とは交渉の場を持たなければならない。ならば、自民党と一緒に景気対策の補正予算案作りを進めてはどうか。それがまさに政治主導の政策決定だ。

これが「新しい政治」なのだろうか。それも、菅氏に近い政府高官の話を持ち出すありさまだ。論者に明確な「新しい政治」へのイメージがなくて、やみくもにそういう気体のようなフレーズを多用しても、虚しさがつのり、それこそ恐竜ならぬ「化石」のような響きしかない。

小沢氏こそ、旧来の官僚支配体制から、政治家主導による新しい政治を求めて活動をしてきたのではなかったか。その実現のためのリアル・ポリティックスとして、人を結集する必要があり、それなりの資金も投じなくてはならなかったのではないか。

そういう観点から、星氏が描いた小沢像コインの反対側の面に、プラスイメージの小沢像を書くとしたら、下記のようになるはずである。

自民党田中派に所属し、政権中枢で党や行政組織の動かし方を学ぶ一方、建設業界と通じ資金問題で自滅する大物政治家を反面教師とし、政治資金収支の透明化など、政治改革を志す。

 自民党内での改革を断念して離党、細川非自民連立政権を樹立して、小選挙区制導入など政治改革法案を成立させた。二大政党制の実現をめざし、新党結成、解党を繰り返したすえ、民主党に合流し、国民の選択による政権交代を昨年夏、実現させた。

「カネと数の原理が色濃い古い政治」というならば、その点をよく検証してみよう。

小沢氏は、並みの政治家とは段違いに支持者が多く、それだけ政治資金が集まる。政治献金が多いのはむしろ、政治家としての信頼と実力の証である。問題はそれを何に使っているかだ。

まず、調査・研究活動。これは彼が自民党総務局長だった1982年ごろから始まっている。外交、安保、地方制度などテーマごとに、若手学者、在野の専門家を集めて研究会をつくり、93年にはその集大成として「日本改造計画」を著した。

田中角栄や竹下登は、情報、知識を官僚組織に依存したが、小沢は自前で専門家に研究、調査を委嘱し、報酬や調査費を支払ってきた。

外国との草の根交流にも資金を注ぎ込んでいる。日米の精神的絆を深めるため90年に「ジョン万次郎の会」を設立した。以来20年、毎年数百人規模の交流を積み重ねてきた。

同時に小沢は日中関係も重視し、「長城の会」をつくって、毎年、数百人を連れて中国各地を訪問している。

政治理念にこだわる一方、現実主義者でもある小沢は、秘書を戦力として鍛え上げ、選挙や政策考案の実力集団に育てることに心を砕いてきた。

1993年、小沢らが自民党を飛び出して新生党を結成したとき、早大の政治好きな学生たちのサークル「鵬志会」のメンバーが、勝手連的に「新生党学生部」をつくり小沢政治の世界にのめりこんだ。

こうした学生のなかから、小沢の眼鏡にかなった者が、深沢の私邸で書生をつとめるようになっていく。これが小沢軍団の起源である。

「掃除のできない奴が政界を掃除できるわけがない」という小沢は、靴磨きから犬の世話まで料理以外の家事をこなせるよう、書生を仕込んだ。「理屈より下働き」の修業に耐えられた若者だけが小沢事務所の秘書となる。

秘書といっても三人の公設秘書のほかは、私設秘書である。イギリス人、韓国人、中国人を含め、その数、20名程度といわれる。

小沢の情報収集と政策立案力の根源は、以上のようなことに政治資金を投入しているところにある。
マスメディアはこうした小沢の真の姿をほとんど伝えない。「剛腕」「壊し屋」などの記号と、「政治とカネ」なる呪文によって、小沢という人物の説明を簡単に終わらせる。

その虚像をつくりあげたテレビは、「小沢はダメ」という、自らが扇動したお茶の間談義に話題を提供することのみに心を砕き、国民の目を曇らせている。

こうしたなかで発足した「菅改造内閣」が、官僚支配に目をつぶったまま、星浩氏の取り上げた政府高官のアイデア、すなわち自民党との連携に走るようなら、ますます「政権交代」の根本的意義が問われることになる。

新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


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1 コメント

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Unknown (語りはいい・・・)
2017-04-28 12:56:01
読み比べ、とするなら
どこが誰の記事であり、どこが違う、を明確にすべき。
だらだらと繋げているあたりは、単語能力はあったとしても文章能力の欠如を感じる。
独り言に近い。
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