おはようございます。
大島藤倉学園の園児達を
待ち受けていた生活とは・・・・
大島を 要塞化しようとしている軍部に
学園を明け渡さなければならなくなりました。
疎開先をどこの県知事にも断られた中で、
東京帝国大学精神医学教室の内村裕之教授に
清里の清泉寮を紹介され 始まった清里での
生活が 放映されていました。
温暖な大島で生活していた園児達にとり、
清里での清里での冬は寒く たまたま手に入った
みかんが、部屋の中でも凍ってしまったそうです。
食べ物はは大島から持参した食料と
配給に 頼っての生活だったようです。
▲表
この中央にお地蔵様がいます。
実はYさんが書いた藤倉学園の新聞記事が
石材店Gさんの目に留まり、6時間も掛けて
Yさんの所にきたそうです。
Gさんのお子さんも事情を抱えていたそうです。
Gさんは、記事を読み感激して「十字架の傍らに
是非お地蔵さんを心を込めて作るから
建てさせて欲しい!」と
お願いしたそうです。
当時の日本は、宗教の違い、障害のある人への
視線はいかばかりだったでしょうか。
この十字架の裏には、建立して
下さった方々のお名前が刻まれています。
また、上の鎮魂の碑も裏にお名前が記されて
いますが、Gさんのご友人や前町長さんからの
善意で建てられたそうです。
今の日本の子ども達に、
寒さと飢え・栄養失調で亡くなるなんて
想像もつかない事でしょう。
戦争がもたらすものは・・・命の重みを考える時
どうか世界から戦争がなくなりますように!と
願わずにはいられません。