昨日のつづきみたいなものです。
独りで山を歩くときは色々なことを考えているのですが、最近は法頂禅師の本を読んでいるので、タカ長もその影響を受けているような気がします。
昨日、荒谷林道を歩きながら頭に浮かんだ思いです。自然は偉大な先生であると言うことです。自然は私たちに多くのことを教えてくれています。
山には多くの植物が生きています。杉や檜もあれば落葉広葉樹もあります。笹もあれば、地面を這うように生きる植物もあります。そして、それらの植物が当然のこととして、自分の「生」を生きています。そこには何の疑問もありません。
杉や檜が緑だけの葉は嫌だ、秋には紅葉するモミジになりたいとは言いません。背が低いクマザサが、遠くが見えないと言って「身長5メートルになりたい」とは言いません。
地球上に生きていて、そのようなことを言うのは私たち「ヒト」だけではないか、と思ったのです。その発想が私たちの人生を自分で不幸にしていると思ったのです。
法頂禅師が言います。
人はこの世でたった一つしかない独創的な存在だ。それ故一人一人生きる条件が異なり、生きる様式が異なり、器が異なる。そして各自自分の影を引きずりながら自分なりの生活を送っているのではないのか。
自分なりの特色を活かし真に自分らしく生きようとする人たちは、何よりもまず自分の生き方を他人と比べることを止めることだ。現在の自分の境遇と隣人のそれを比べるのは無意味なことだ。自分より裕福な人と比較すれば落胆して不幸になり、貧しい人と比べればややもすると安逸と傲慢に陥りがちだ。
法頂禅師はこの文章をこのように終えています。
人は生まれながら己に与えられた、己の器量に適う自分なりの生活を営んでこそ人間らしく生きることが出来るのである。自分なりの生活を他人のものと比較してはならない。比較すると不幸になる。