昨日の朝日新聞の紙面を借用しての更新です。
この文章を読んで心の中が整理されたというか、新しい視点を教えられたというか、とにかく、いい文章に触れて嬉しく思っています。
当たり前のことでしょうが、子どもを亡くした親は子どものことをかた時も忘れることはないはずです。口には出さなくても、何かにつけて思い出しています。
人は死して無に帰すのではなく、死「者」として、つまり遺された者の語らいの相手として、生まれなおす。そしてその関係の内で、遺された者とともに育つ。
そうなのだ、と思いました。長女もあのとき生まれなおしたのだ、そしてタカ長は、生まれなおした長女と日々話をしているのだ、と思ったのです。
そのときの長女は反抗期になる少し前の長女、だから何かにつけて話しかけられるのでしょう。
この視点を与えられて、心の中がスッキリしたような気がします。
あのとき生まれなおした長女と語らいながら成長してゆくのだから、誰にも遠慮することもなく、自分が女々しいと自分を責めることもなく、好きなだけ語らえば良いのだと、心の中が整理されたような気がします。
このような短文に救われることもあるのですね。