よく降ります。昼前には植物園の方向からキリが流れてきて、拙宅がチョットした高原の山荘になったような気がしました。
先ほどはスマホからけたたましい警報音。でも、こと雨に関しては自宅にいるのが一番安全、雨の音を聞きながら朝から読書です。

徒然草などをえんぴつでなぞり書きしているからか、このところタカ長は古典づいているようです。山の本も木暮理太郎の本を読んだり、冠松次郎の本を購入したりしています。
購入と言ってもkindle版なら0円のモノが色々あります。上記のものもその1冊。タブレットで読む不自由もありますが、有難いのはフォントの選択が出来ることで、タカ長はゴシック体で読んでいます。
今朝読んだのは田辺重治の「初めて富士山に登る」と言う一文。

「富士山に登らないバカ」だった自分を反省して、登山人生の晩年に登った紀行文です。昭和17年8月の登山、そのとき著者は54歳だったはずですが、山小屋の人から老人扱いされています。
「お爺さん、お歳の割にはよく歩きますね。どこから歩きました」ときく。吉田口から歩いた旨をつたえると、「それは、それは、大変でした。それにしてははやいですね」と、そやす。
50代の人を「お爺さん」と呼ぶ感覚は今を生きる私たちには理解できませんね。
東京を夜行で出発して、吉田口について草鞋を買い、、、、、、、、。そのような記述が時を感じさせます。その草鞋が砂走りを下りるときに切れて二足目を掃いています。
今ではサンダル履きで富士山に出かけてひんしゅくをかっているようですが、草鞋のほうがまだ危ないような気もします。このような所にも時代を感じます。

その時代差を感じるのが先人の登山記を読む楽しみです。
昨日は木暮理太郎の秩父の登山記を読みました。明治の御代の登山です。面白いことが書かれていましたが、その話題は後日のお楽しみとします。
間違いがありました。
あらためて田辺重治の年譜を見ると、田辺重治が富士山に登ったのは58歳のときでした。いずれにしても50代、今では老人とは言えません。そう言えば、、、、、、
村の渡しの船頭さんは 今年60のお爺さん
子どもの頃このような唱歌をならいましたね。
先ほどはスマホからけたたましい警報音。でも、こと雨に関しては自宅にいるのが一番安全、雨の音を聞きながら朝から読書です。

徒然草などをえんぴつでなぞり書きしているからか、このところタカ長は古典づいているようです。山の本も木暮理太郎の本を読んだり、冠松次郎の本を購入したりしています。
購入と言ってもkindle版なら0円のモノが色々あります。上記のものもその1冊。タブレットで読む不自由もありますが、有難いのはフォントの選択が出来ることで、タカ長はゴシック体で読んでいます。
今朝読んだのは田辺重治の「初めて富士山に登る」と言う一文。

「富士山に登らないバカ」だった自分を反省して、登山人生の晩年に登った紀行文です。昭和17年8月の登山、そのとき著者は54歳だったはずですが、山小屋の人から老人扱いされています。
「お爺さん、お歳の割にはよく歩きますね。どこから歩きました」ときく。吉田口から歩いた旨をつたえると、「それは、それは、大変でした。それにしてははやいですね」と、そやす。
50代の人を「お爺さん」と呼ぶ感覚は今を生きる私たちには理解できませんね。
東京を夜行で出発して、吉田口について草鞋を買い、、、、、、、、。そのような記述が時を感じさせます。その草鞋が砂走りを下りるときに切れて二足目を掃いています。
今ではサンダル履きで富士山に出かけてひんしゅくをかっているようですが、草鞋のほうがまだ危ないような気もします。このような所にも時代を感じます。

その時代差を感じるのが先人の登山記を読む楽しみです。
昨日は木暮理太郎の秩父の登山記を読みました。明治の御代の登山です。面白いことが書かれていましたが、その話題は後日のお楽しみとします。
間違いがありました。
あらためて田辺重治の年譜を見ると、田辺重治が富士山に登ったのは58歳のときでした。いずれにしても50代、今では老人とは言えません。そう言えば、、、、、、
村の渡しの船頭さんは 今年60のお爺さん
子どもの頃このような唱歌をならいましたね。