たいぴろのきままDiary

四兄弟と家事と仕事と趣味と...たいぴろ家は今日もてんやわんやです。

吉良さん歩

2024年03月10日 | 旅行
京都に行く予定が狂った私(義父は普段通りにテレビ見てます。)、いつもの日曜日と同じくスーパーに買い物に行き、憩いの農園に検品に行き・・。もし京都に行っていれば1万5000歩は歩けたろうに、仕方ない?から午後からは近所をウォーキングすることに。久しぶりに我が街の名所に行く事にしました。
 
私の住む吉良町といえば吉良三英傑。
吉良の仁吉(江戸時代の義理人情の任侠)
尾崎士郎(人生劇場の作家)
吉良義央(忠臣蔵の吉良上野介さん)
ちょい地味?吉良さん以外は知らない人も多いでしょう。

我が家から徒歩20分、吉良様の菩提寺「華蔵寺」へ。(因みに吉良の仁吉の菩提寺、源徳寺は我が家の檀那寺で徒歩10分ほど、尾崎士郎の生家跡は徒歩5分です。)


門を挟んだ道には銅像が。実はこの吉良さんの馬に乗った銅像、町内に4つあります。


華蔵寺の住職さんはダンナの同級生。2ヶ月に一度は竹箒を買いに来てくれるせいか、綺麗に整備されています



元禄事件はご存知でしょうが、かいつまんで言うと、徳川綱吉の時代に、朝廷からの勅使をもてなす饗応役に選ばれた赤穂藩主、浅野内匠頭が高家旗本の吉良上野介に殿中で切りつける。浅野内匠頭は即刻切腹の命が下されるも吉良上野介にはお咎め無し。
それを不服とした赤穂藩四十七士が吉良家に討ち入りというもの。


吉良さんが悪者扱いで、浅野内匠頭は悲劇のヒーロー、内蔵助は殿に尽くした忠義者という立場が長く続いたけど、最近では吉良さんのした事はそんなに酷いことじゃない。会社の部長がきつく指導したことを根に持った能力の低い係長が部長を殴り首になり、それを恨んだ係長の部下達が大人数で部長をリンチしたみたいな、どう見ても刑事案件、赤穂藩のが悪いだろう的な考えもあるようで。

尾崎士郎さんもこの様に行ってます。そうなんです吉良上野介さんは我が街では名君なんです。


黄金堤と言う堤を作り水路整備をし、赤馬に乗って領内を見回る、領民思いのお殿様。きっと赤穂では浅野内匠頭も良君でしたでしょう。

華蔵寺から東に150m、こちら花岳寺は東条吉良氏の菩提寺。こちらの住職さんもダンナの友達。先代御住職は郷土歴史家でもあり、吉良上野介の専門家でした。大河ドラマの監修もされました。よく境内のタケノコ掘って我が家に持って来てくれたなあ。


桜と孟宗竹のコラボ


ここから車で10分。「円融寺」ここには吉良上野介の忠臣の清水一学のお墓があります。 

赤穂浪士の討ち入りの際、吉良さんと一緒に討ち死します。26歳だったそうな。 


このお寺、檀家さんが多くて、うちの叔母さんちも檀家。広い墓地の中に小さな一学のお墓が。

あーなんとか6000歩超えました。でもね、夕飯に長男とダンナと一刻魁堂にコッテリ系味噌ラーメンを食べに行き、カロリー消費無しになりましたけど。


我が街吉良町、適度に田舎。
吉良上野介さんの時代はど田舎だったでしょうねー。
今は吉良町(西尾市)と赤穂市は友好都市。吉良さんの奥様の実家上杉家のある山形県米沢市、吉良邸のあった東京墨田区など忠臣蔵ゆかりの都市が集まる忠臣蔵サミットなんて会議もやっています。











コメント (20)
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