吉野神宮 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 後醍醐天皇が祭神です。吉野山の北麓にあり、元は、丈六山一之蔵王堂が、あったところです。 少し離れた所にあるので、参拝客も無く、ひっそりと厳かに佇んでいました。 駐車場の垣根に白い花が下を向いて咲いていました。 なんと言う花なのか、聞く人も無く帰途に着きました。
金峯山寺(蔵王堂) 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 修験道の総本山です。本堂である蔵王堂は、高さ34メートルで役行者が開き、 蔵王堂権現をまつったのがはじまりです。木造建築では、奈良の東大寺に次ぐ大きさで、 とても立派な、建物でした。 山門も大きく立派で、遠くからも葉桜をバックに聳えて見えました。 今日は護摩供が行われ、山伏の姿をして、ほら貝を持った行者の方達が多く 行事に参列されていました。 偶然、珍しい行事を見ることが出来ました。 蔵王堂の奥には南朝妙法殿の多宝塔が美しく見えました。
ゆっくりゆっくり 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 金峯山寺(蔵王堂)近くにある、ログハウスの喫茶店 なかなか感じに良いお店で、私達はテラスで新緑を眺めながらのティータイムを 楽しみました。
吉水神社 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 役行者が、大峰山で修行した時に、庵室跡に建立されたと伝わる吉水院というお寺だったのが、 明治8年に神社に改まったものです。 今書院では、義経の甲冑と、静御前の衣装が、展示されていました。 静御前の衣装が、継ぎはぎの切れで作られているのを見て、なんだか切なくなりました。 庭には、義経と静御前の別れの舞台跡がありました。 庭からは蔵王堂の屋根が見渡せ、秀吉が、花見の宴を催したとも伝えられていて、 数々の宝物が、保存されていました。
竹林院 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 大峯山護持院の一つで、大和三庭園の一の郡芳園があります。 池泉回遊式の庭園で、千利休が作庭し、細川幽斎が改修したものです。 竹林院の前庭も趣向が凝らされていました。 宿坊も完備されていて、立派な建物がたっていました。
高城山展望台(つつじが城) 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 鎌倉時代末期、後醍醐天皇の皇子大塔宮親王が、吉野山に立て篭もり、 北条方を相手に戦闘を繰り広げた時の砦の一つです。 この展望台からは、中千本桜、蔵王堂から遠くは金剛山まで見渡せます。 桜が咲いていたら、さぞ見事だっただろうと思いました。 新緑を渡る爽やかな風に、登ってきた坂道での疲れも、吹っ飛びました。 この辺の、つつじの群生地にちなんで、つつじが城の別名があります。
金峯神社と義経隠れ堂 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 吉野山奥千本の入り口近くにある神社です。祭神は吉野山の地主神で、 修行道の行場の一つ、奥駆道は、この社から本格的な修行の道らしくなってきます。 神社の左奥に義経隠れ堂が、あります。 義経が、弁慶や斉藤忠信らとともに隠れたと伝わる塔で、宝形造りの簡素なお堂で、 今は、行場になっていて、真っ暗な塔内で俗気を抜くといわれています。 神社の右横の道を登ると西行庵があります。西行が3年間過ごした小さな庵があり、 西行や芭蕉が詠んだ、苔清水は、今もこんこんと湧き出ています。 私達は長く続く険しい坂道を見て、行く事を断念しました。
吉野水分(みくまり)神社 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 一間社春日造りの左右に三間社流造りが並ぶ華麗な本殿があります。 水の神様をお祀っていますが、地元では、子宝安産の神様として、 親しまれています。 拝殿には、赤ちゃんのよだれかけや、小さい着物などが、お供えされていました。 楼門は、桃山時代慶長9年に再建されたもので、重要文化財に指定されています。
吉野山 2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記 6月6日新緑の吉野山に行って来ました。 春に桜を見に行った時に行けなかった、上千本桜を見に、と言っても、今は葉桜! 他の木々にまぎれて、どれが桜か見分けがつかず、山全体が、緑に覆われていました。 近づいて見ると、桜の木には小さなサクランボが赤く色づき、 もみじには竹とんぼの様な花が咲き、ピンクの山つつじが咲き、 松の木の枝の間から、もみじが生えていたりと、 自然の美しさにふれ、緑のシャワーを浴びてきました。 初夏の吉野山は、春には開いていたお店も、駐車場も閉まっていて、道も貸しきり状態、 ゆっくりと世界遺産になった、吉野山をドライブ、 吉野水分神社・金峯神社・義経隠れ塔・吉野神宮・吉水神社・竹林院・金峯山寺と 見て廻る事が出来ました。