MARUMUSHI

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『GONZO-ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて-』。

2011-05-31 20:07:19 | 映画日記
GONZO-ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて-』を観てきた。

アメリカ合衆国大統領が恐れ、ヘルズ・エンジェルズに憎まれ、アメリカ国民に愛された男。
掛け値なしにイカレていて、イケてるジャーナリストだ。
生き様もメチャクチャだけど、死に様もメチャクチャだ。

ゴンゾ・ジャーナリズム。
ジャーナリズムに一人称を持ち込むことで、客観的であるよりリアルに対象に肉薄する。
取材対象を観察し、自分の意見を持ち、それを自分の言葉で書く。
当たり前のようでいて、それをクールだと感じさせるのはそうできることじゃない。

「真実は、いつも1つ!」と名探偵コナンは言うけれど、そうじゃない。
正しくは、”事象は、いつも1つ”だ。そして、そこから生じる真実は観察者によって変化する。
見る者が真実を創るのだ。
ゴンゾ・ジャーナリズムは、これを体現した物だと思う。

俺は雑誌は読まないし、新聞も読まない。テレビの報道番組もあんまり見ない。
ニュースはインターネットの記事をチョコチョコと見る程度だ。それで十分だ。チョロチョロと出来事を書いてくれればそれで良い。
どの雑誌もどの新聞もどの報道番組も、大体同じことをいう。客観的であることを重視しているせいかステレオタイプもいいところだ。
最近、報道番組に特に顕著だけれど、ちょっとした言い間違いの訂正を信じられないぐらい丁寧に謝罪する。
そのこと自体は特に悪いことじゃない。でも、これはクレームが怖い、というプレッシャーが現れている姿だと思う。

自分たちが考え、取材し、思ったことをハッキリと伝える。
それが、報道だと思うし、ジャーナリズムだと思う。
間違っていたらしっかりと謝ればいい。
いや、間違っていない。この事象にはこういう見方もあるんだ。と思うならハッキリそれを示せばいい。
日本の報道関係者はそれが出来ていないと思う。

東京電力の記者会見で、日本向けの会見は会場が記者でいっぱいだ。
でも、海外プレス向けの会見会場は、数日目で誰も来なくなったらしい。海外の記者から見れば、東京電力の会見はそんな程度の表面的なものでしかないということなのだ。
「いいよもう。自分で取材するよ」てなモンなのかな?
でも、その会見を見るために今日も日本人記者は席の取合いをしてるんだろう。
発表されたことをそのまま記事にする。それが日本のジャーナリストのスタイルだ。
彼らは東京電力の広報担当のアンプでしかない。

ハンター・S・トンプソンが今の日本ジャーナリストを取材して、記事を書いたらどうなるのか?
たぶん、クールにぶった切ってくれるんだろうな、と思う。



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