MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

【フランケンシュタイン】。

2015-10-12 22:44:27 | 映画日記
ヴィクター・フランケンシュタイン。
『屍者の帝国』に登場する、最初の屍者を作り出した人物。


大阪の天神さんの古書まつりに行ったときに、【世界名作全集(158)フランケンシュタイン/講談社版】を買ってきた。
読んだことがなかった。
ちょっと調べた。原題は『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(Frankenstein: or The Modern Prometheus)。
著者はマリー・シェリー。
本には彼女の写真が載っている。綺麗なのだけれど、何か特徴が見出しにくい。そんな顔だ。

僕は、マリーさんに聞きたいことが一つある。
魂のある怪物になぜ名前を与えなかったのか?。
この物語の登場人物たちは全員名を持っている。けれども怪物には名がない。
確かに魂があり、愛を理解でき、苦しみを孤独を痛みを感じることが出来る。
名があれば、怪物は怪物にならなかったんじゃないのか?

怪物は、北の果て氷に包まれた世界で、フランケンシュタインが死んだ世界で、対峙したウォルトンに言うのだ。
「しかしあの人(フランケンシュタイン)にも、わたしの苦しみは、ほんとうにはわかっていなかった。わたしは、愛と友情を求めて、しりぞけられた。それが正しいことだったろうか。すべての人間がわたしをにくんだのに、わたしだけが、人間を愛さなければならなかったのだろうか。」
怪物は人間だったのだ。
友情が欲しい。愛情が欲しい。わたしはそれを与えよう。だからわたしのことも愛してくれ。怪物はそう言っているのだ。これが人間の願望であり、煩悩でなかったとしたら何だと言うのだろう?

ウォルトンは怪物の言葉に何も言えない。
ウォルトンには分かったのだ。彼は、彼自身が認めているように人間ではない。怪物だ。けれど、彼には魂があるのだ、と。

「さようなら!あんたが、わたしの見るさいごの人間です。
 さようなら、フランケンシュタインさん!もうじき―。わたしも死ぬ。わたしは、自分の焼くたきぎの山にのぼり、わが身を焼きこがすほのおの中に、よろこびのさけび声をあげるのです。」

マリーさん。
ひょっとしたら、あなたは世界中の誰よりも、ヴィクトル・フランケンシュタインを嫌っていたのではないでしょうか。
命を弄び、自分勝手に約束を放棄する。そんな彼が嫌いだった。だから、彼には名を持たせ魂を強固にし、その上で苦しめた。
そして、彼の苦しむ様を描いた作品に、怪物の名ではなく、彼の名を冠した。そうすることで彼の苦しみは永劫続くことになる。

そう考えると、マリー・シェリーさん。貴女ほどの性悪はいないのかも知れません。
あなたの創り出した怪物は今でも人々を怖がらせています。
あなたの性悪は、あなたが思ったよりも怪物だった、と言うことなんでしょうか。


『先生と迷い猫』。

2015-10-12 13:54:21 | 映画日記
『先生と迷い猫』を観てきた。
イッセー尾形と染谷将太の掛け合いが絶妙で面白い。


猫はちょっと変わった動物で、可愛くなるための進化を続けてきた生物だ。
それは、全てヒトに可愛いと思ってもらうため。
正確に言えば、猫はヒトに可愛いと思わせるために、ヒトに進化させられてきた生物だ。
猫とヒトの付き合いは長い。古代エジプトの壁画にもすでに猫は登場する。厚顔不遜な態度も変わらずに。
それは、まるで「あんたたちが私たちをこんな可愛い姿に勝手にしたんでしょ?面倒ぐらい見なさいよ」てなもんだ。
さて、そんな少しややこしい話はすっ飛ばして、猫は可愛い。
とにかく可愛い。
表情から仕草まで、全てが可愛い。
でも、そんな猫を嫌いだという人だって沢山いる。
それは心理的なものだったり、体質的なものだったりと色々だけれど。
校長先生は圧倒的に前者なのだが。


僕の父は校長だった。割と若くして校長になっちゃった所為で、長くその位置にいなきゃいけなくなった。
でも、作中にいるような威厳のある校長先生とは違う。
冬場は青い合羽みたいな服を着て、赤いニット帽をかぶっている。
妹は「赤鉛筆」と、僕は「使いさしのコンドーム」と形容している。
夏には白いキャップをかぶる。
何故か額のところに「ITALY」と書いてある。
センスをどこに置いてきたんだろう?
ぜんぜん威厳がない。部屋も散らかり放題。なんか汚い。
でも、作中の校長先生と同じことを言っていて驚いた。
「現場の時は楽しかった」と。
「校長には校長室という個室が与えられる。それが何故か分からんかったが、校長になってみて分かった。独りで考えなきゃならん問題がいっぱいあるんや。だから校長室が要るんや。孤独やで、校長は」

校長先生は孤独なのだ。
そして、孤独を孤独と感じないために猫を嫌う。亡き妻が好きだった猫。
あの猫を追い返してしまった。最期に妻に挨拶にきていたのかも、いや、私にも挨拶にきてくれたのかもしれないのに。

校長先生は猫を探す。街を東奔西走。
「いやいやいや!自転車じゃ無理だってセンセ、保健所までバスで五駅もあるんだよ?」
「五駅・・・か」
「いやいや!だから無理だって!何で行けると思ったの?」

川に入り人の家をのぞき込み。電柱に登り、挙げ句、警察のご厄介に。
「ふはははっ!センセ、何やってんの?そんなとこにポツンと座って」
「すまない。他に当たれる人がいなくて」

「私は、最近、よく叱られる」
それは校長先生の校長先生の部分が出てきたからだ。
天然で、おっちょこちょい。自分本位の我が侭で独善的。校長先生は生徒よりも子供だった。
猫が引っかいたところから出てきた校長先生の本当の部分。

猫には心があると感じる。
だから、人は野良でさえ猫に名を与える。
ソラ、ちひろ、ミイ。
きっとあの猫にはもっと沢山の名があったんだろう。
名は魂を与える。
20年以上生きている猫は人語を解す、とか、猫又になる、とか言うけれど、沢山の名を得て魂を吹き込まれた猫ならば、あるいはそう言うことになるかもしれない、と僕は思う。
心通う者に名は与えられ、その名は魂となる。
猫の置きみやげは、猫を介した人同士の繋がり。沢山生まれる心。
校長先生は誰よりも猫が好きだった。だから、猫を嫌っていた。忘れたいから。居なくなってしまった猫を、妻を思い出したくないから。

街は徐々に寂れていく。ゆっくりとだけれど、確実に。
教え子はもういっぱしの会社員だ。
お気に入りのパン屋もなくなった。
そして、自分も校長先生ではなくなった。
流れに棹さす。
人の時間はそうできている。まぁ、猫はもっと速いだろうが。

「センセ、それって楽しいんすか?」
「じゃぁ、君は今、君は仕事が楽しいのかね!」
「楽しいですけど」
「た、楽しいのか!そうか、楽しい・・・。だったら、良い・・・良かったじゃないか!」

結局、今を楽しく生きていればそれでいいのかもしれない。
猫みたいに。
僕らは猫ほど気ままには生きられない。だから、せめて、気持ちぐらいは。
時には猫の手も借りることもあるだろうけれど。
きっと出来るはずだ。

“愛 感 同 一”。



2015年10月11日のつぶやき

2015-10-12 00:00:00 | twitter



  • スチームパンクなんてもんじゃねぇ! 第一次世界大戦中に使用されたドイツ海軍潜水艦「Uボート」の中身が丸わかりな貴重写真(1918年) : カラパイア http://t.co/r5IOHC6MBi
    Posted at 08:58 PM




  • 動物引き取りの現状は? 愛知県は2600頭殺処分に(THE PAGE) - BLOGOS(ブロゴス) http://t.co/k36IbUcden
    Posted at 08:48 PM




  • 働くって大変というということを教えてくれたな。 https://t.co/Cpx40itizu
    Posted at 02:17 PM




  • RT @morisatoh: ワールドオーダーのふりをお願いしますって言われてたので、比喩的な意味かと思ったら、そのままの意味で愕然としておりますナウ
    Posted at 02:12 PM




  • <仙台いじめ自殺> http://t.co/aMDpaTu05k #Yahooニュース
    隠すのは良いさ。家族の考えならね。
    でも、学校はアンタッチャブルにしたんだろ?
    死者は何も語らない。感じない。喜びも悲しみもない。勝手に死者の気持ちを忖度して、己の行動を死者の所為にするな。

    Posted at 11:16 AM



  • https://twitter.com/kaoritokuyama