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MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『関ヶ原』。

2017-08-27 09:32:11 | 映画日記
『関ヶ原』を観てきた。

面白くない。
泣くことも笑うこともない。。。

ただただ、三成の人望の無さが描かれるだけ。
頭はきれる人やったんやろうけどな。
義を重んじるあまり、人心を掌握する力が弱かったんやろうな。


『この世界の片隅に』。

2017-08-22 22:03:20 | 映画日記
#この世界の片隅に
#テアトル梅田

何度目かの『この世界の片隅に』。
もうスクリーンでは見納めかもしれないので。
場所は、最初に作品と出会ったテアトル梅田。

今回はすずさんの表情をずっと観ていた。
絵を描くとき、凛としているすずさん。
径子さんに怒られて、困っているすずさん。
晴美さんを失い、右腕を失い、憮然としたすずさん。
色んな顔があるけれど、彼女は微笑んでいる表情が一番多い。

でも、その微笑みも戦中と戦後で少し変化している。
戦争が終わったあとの彼女の微笑みは、無邪気さが消え、何かから解放されたように見える。
色々あって、それらも含めて全部終わって、失った物だらけの現状。
そして、空虚でガランとし、だからこそ夢をもてるこれから。
そこで出合った、虱だらけの女の子の姿をした、希望。
無邪気だけではいられない。でも、戦争の終わりとともにやってきた夢と希望。
大人としての微笑み。

被爆者の少女を迎えたことは、北條家にとって、障害になることがおそらくあるだろう。
でも、すずさんの、大人としての微笑みがあれば、きっと大丈夫だと思う。


今も広島のどこかで、呉のどこかで、北條家はカープを応援しているはずだ。


『魔法使いの嫁 星待つひと:後篇』。

2017-08-20 18:58:39 | 映画日記
#TVまほよめ
『魔法使いの嫁 星待つひと:後篇』を観てきた。

智世がチセになるまでの物語。
そして、三浦理一が解放されるまでの物語。
強い願いは時に自分を封じることで願いが叶うまで時を止める。
三浦理一の願いは、沢山の書物に囲まれた円陣の中にいることと引き換えに、時間を止めることとなった。
智世は、その時間を動かした。それは智世だから出来たこと。
三浦理一が消えたのは智世が時を進めたから。

彼にとって時が止まっていたのが良かったのか、時が進んだのが良かったのか。
でも、彼が智世に与えた絵本は智世がチセになるまでの支えになったのだと思う。それは間違いない。
人は出逢い互いに干渉し合う。それがいつも良いとは限らないけれど。

そして、チセの話がはじまるのだ。


『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』。

2017-08-20 18:52:21 | 映画日記
@uchiage_movie
#打ち上げ花火
#広瀬すず

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を観てきた。

岩井俊二原作という空気が全体的に感じる。彼の話は苦しんだ末にグッドエンディングともそうでないとも取れる、観た者にまかせる、という感じがするから。
シャフトの画をたくさん観たことがあるわけではないけれど、良い。合う。

でも、物語が余りにも都合よく進みすぎるような気がして。。。
あるだけの可能性の中から、可能な世界を掴むという設定が気になる。
自分の選びたい世界を選べる、ということになるからなぁ。。。
でも、結果的にはたどり着く世界は同じ。あるだけの可能性はそれは過ぎてしまえば、夢と同じこと。
選べる可能性の範囲は、いまの自分の力の範囲でしかない。1人の女の子を助けるなどおこがましいのだ。
ただし、可能性は広げられる。少しずつ時間をかけて、彼は彼女に必ず出会う。

そういう風に見ればそれほど都合良く物語が進んでいるわけではないか。

劣化版『君の名は。』と言われている面もあるけれど、それは違う。
『君の名は。』は出会うまでの話。
本作は、失うまでの話。
でも、話の作り込みは浅いかな。。。



『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』。

2017-08-02 22:48:45 | 映画日記
#nogenora
#ノーゲームノーライフゼロ
#ノゲノラゼロ #ノゲノラ
#ノーゲーム・ノーライフゼロ

『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』を観てきた。
あらかじめ言っとくけど、TVシリーズは見てないっていうかそんなんあるのも知らんかったから。。。
完全に、SF作品だろう、ぐらいの感じで。。。



様々な種族が”唯一神”としての地位をめぐり争う世界。
滅亡に瀕する種族、”人類種”が極めて不可解な行動を見せる一体の”機凱種”と出会う。
彼らの奇妙な繋がりが、世界を変えていく。

引き分け。
ステイルメイト。
かなり自棄的な行動だけれども、ゲームを制するという点では極めて確実な手法だ。
全てのプレイヤーが欲する一番を、全てのプレイヤーが捨てる。
今回の場合で行けば、全ての種族が欲する一番は唯一神という地位だ。
人類種が仕掛けたのは、一番から目を逸らさせ、二番目に欲する互いの種族の滅亡に注目させるという、自分たちだけに適用したルールに基づく裏ゲーム。
ゲーム理論の平衡、ということなのかな。
そして裏ゲームの一番である、唯一神の地位を盗る。


それでも”大切な人”を失ってしまうのだけれど。


実際に、ゲームの神様というものがいたとして。
それが世界の理を創っていたとして。
だとしたら、その神様には勝てないことになる。神様が理を創っているんだから。
でも、神様には勝てない、に加えて、神様は負けない、という条件がついていたとしたら、その間には入ることが可能だということになる。

ステイルメイト。
勝ちを捨てることにより、得られる勝ち。
それは存外、悪くない状態なのだと思う。


茅野愛衣さん。
サイン入りポスターありがとうございました。
図らずも、ステイルメイト、で頂いたことになります。