『DUNKIRK(邦題:ダンケルク)』を観てきた。
#ダンケルク
観ていて気分が悪くなってきて、泣いた。
グロテスクな場面が多かったわけじゃない。
もちろん、酷い出来で気分を害したわけじゃない。
IMAXで観た所為もあると思うけれど、常に緊張感にさらされる映画だからだ。
前触れもなく撃たれ、仮に前触れがあったとしても遠くに見える爆撃機を見て、なすすべなく、弾丸を打ち込まれ、爆弾を投下される。
眼の前で人が倒れていく、爆弾で吹き飛ばされる。
轟音が不安という壁を作る。僕ならそれだけで気持ちが押しつぶされると思う。
確か去年の冬頃だったと思う。ネットニュースで読んだ。
新幹線浜松駅の近くのJRの敷地で不発弾が出てきた。大きさは120cmだったと思う。
それを移動させるために、半径500mの範囲の区域を立ち入り禁止に、新幹線も一時運転を取りやめた。
たった一発の不発弾のために、だ。
たった一発の不発弾を動かすためだけに半径500mを無人にした。
戦争は逆だ。
爆弾は人が沢山いるところに落とすのが正しい。
同じ世界で、同じ人間で、なぜそんなに差ができるんだろう。
敵機を落として、自国の船を護り、英雄となる。
それは正しいのか?敵の機体には人が乗っていたのだ。
自分の命をかけて戦地に小型船舶を出す、兵士でない者たちの行動は勇敢なのか?ただのヒロイズムに浸る愚者ではないのか?
「二度と、ダンケルクには行かない!舟をイギリスに向けろ!」と大人気ないまでに主張する兵士は間違っているのか?僕には正しいように思う。
40万人の内33万人を助けた?
7万人はどうなった?
その命の選択は誰が行ったんだ?
Never, never, never, never give up.
(絶対に、絶対に、絶対に、絶対にあきらめるな)
とチャーチルは言った。
言葉は力を持つ。でも、それが大多数と圧倒的な現実に希釈されてしまえば、空虚という言葉に置き換わる。
国民などというとんでもない単位にチャーチルの言葉は本当に心打つものだったんだろうか。
ダンケルクの浜にいた兵士たちにその言葉は響いたんだろうか。
今、北朝鮮が日本側にミサイルを向けている。
Jアラートが上手く作動しないとか、なったら建物の下に隠れろとか言ってるけど、核弾頭でも積んでいたらもう終わりだ。
打ち上げと同時に打ち落とす準備が出来ている?
一度も打ち落としたことがないのに、どうしてそこまで信用しきるんだろう。
そんな空の下で僕たちは普通の日々を過ごしている。朝起きて、仕事・学校に行く。帰ってきて風呂に入って寝る。
牧歌的な毎日だ。平和ボケだという人もいるけれど、こうでもしないと、何をすれば良いか分からないだけだ。僕もそうだ。
本当に戦争になればこんな生活は出来ないのだ。不安と圧迫感とに押しつぶされる。それが戦争の前線の姿なんだ。
この作品はそれを教えてくれる。
映画の最後。
故国にたどり着いた少年兵は、ダンケルクの記事を読み、仰仰と書かれた大撤退の成功の記事を目にする。
そして、彼は何も言わず、違和感の残る表情を浮かべる。
If we win, nobody will care. If we lose, there will be nobody to care.
(私たちが勝ったなら、なんということもない。ただ、負ければ、誰からも相手にされないだろう)