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富山に魅了された気象予報士

ブログ引越し中です。

観音崎灯台から

2005-06-30 | 風景
 観音崎に着く直前までは視程3kmでしたが、急速に晴れて視程は10km近くまで回復したようでした。東京湾には各ポイントに赤、黄、緑のブイが設置されていて、そのブイとブイの間で湾に入港する船の航路と、出港する船の航路が決められています。

観音埼灯台

2005-06-30 | 風景
 今日は会社の同僚と三浦半島めぐりをしました。私が北関東ばかり攻めていたので、南関東にもいい所ありますよと誘ってくれました。週間予報では1週間前から晴れマークが並んでいたのですが、当日朝は激しい雨でした。(埼玉県内は時間10~25mmの雨)。普段の行いが悪いからでしょうか・・・。

 でも観音埼に着いた頃から急速に晴れてきました。東京湾入口である観音埼には、東京湾海上交通センターが設置されていて、レーダー映像により船舶の航行状況等の情報提供と航行管制を24時間体制で行っています。また、東京湾(観音埼、本牧、東京13号地、剣埼、州埼、伊豆大島)の風向風速などの気象データが収集されています。このデータは東京湾の風の予報をするときに参考としています。

 観音埼灯台の初代の建物は国内で初めての洋式灯台でした。横須賀製鉄所で焼いた65,000枚のレンガが使用され、光は31km沖まで届いたといわれています。しかし、レンガ作りのために地震で倒壊して、現在の灯台は1925年(大正14年)に完成した3代目となります。

碓氷峠(イニシャルD再現 C=121を攻める)

2005-05-20 | 風景
私は職場で三国・碓氷付近担当なんです。職場の誰よりも北関東に近い位置に住んでいます。やはりそれなりの自覚が必要なんです。ということで今日は碓氷攻めをすることにしました。行きも帰りも同じ道ではつまらないので、行きは走り屋たちが集う「旧国道18号」にしました。

「旧国道18号」といえば、「イニシャルD」の拓海のハチロクと真子&沙雪のシルエイティーのバトルです。なかでも碓氷峠で一番難易度の高いコーナー「C-121」はチェックしないと。C-121は「入口から出口までふりっぱなしで抜ければ、碓氷峠では上級者」といわれるコーナーです。漫画では沙雪が「C-121は、中間は広いけど出口は極端に狭い、ラインはたくさんあるようだけど、クリアできるラインは一本しかない」と言っていますが、コーナー出口はホント急に狭くなっています。超限界スピードからの4輪ドリフトなんて不可能です・・・。

そんな漫画と照らし合わせながら走ると面白い!右へ左へとコーナーの連続でC-184まであります。ただ調子に乗ると確実に事故りますので注意してください。また横川方面からC-90くらいまでは道幅が極端に狭くうえ、コーナーの連続なのでバトルどころではありません。時速40km/hも出せません。あと根本的な間違えをしてしまいました。バトルはダウンヒルなので軽井沢方面からスタートしなければならないのに、横川方面から上ってしまいました・・・。ちなみに碓氷C-121を攻めると言っていますが、私の車はファミリーカーの日産「サニー」ですから・・・。残念!!切腹っ!!

写真は「碓氷第三橋梁(めがね橋)」です。碓氷線と呼ばれた横川~軽井沢間は明治26年4月に開業し、碓氷峠は急勾配のため、ドイツの山岳鉄道で実用化されていたアプト式が採用され、昭和38年まで走り続けました。この碓氷線には26のトンネルと18の橋梁が造られましたが、現存している中でもこの碓氷第三橋梁(めがね橋)は200万個のレンガで造られ、国内でも他に類を見ない最大な物だそうです。(ちなみに、めがね橋の上を歩くこともできますよ!)また、途中の碓氷湖もとても静かなでいい所ですよ。

帰りは碓氷バイパスで下り、碓氷峠付近の地形をチェックしましたよ!!これで碓氷バイパスは3回目のチェックです。碓氷付近の予報担当としては、今後も定期的にチェックしていくつもりです。

なお、国道18号線は連続雨量が120mmに達すると道路の決壊落土石の恐れがあるため、道路は通行止めとなります。

ボラバイト

2005-05-12 | 風景
今日は喉が慢性的に炎症をおこすので、大きな病院に行きました。診察結果は手術を薦められ少し落ち込んだ。気を取り直して免許更新のために免許センターに行くと、(5年に1度だけ鴻巣の住んでいて心から良かったと実感できる日)予想より早く終わたので、暗くなるまでドライブすることにしました。最近は埼玉県の西部ばかり車で攻めていたので、今回は東部へ。目標はアメダス「古河」(茨城県)、「館林」(群馬県)。そして季節を感じること。

車を騎西町→加須市→北川辺町へと走らせると、埼玉県西部の若葉溢れる山や渓流の「緑」の景色とは異なり、一面田植えを終えた田園風景の「緑」(写真は北川辺町)でした。実は農作業に興味があって、ボラバイトを本気で始めようと考えています。「ボラバイト」知っていますか?ボラバイトとは「ボランティア」と「アルバイト」を合わせた造語なんですが、お金目的ではなくて、地方の人たちと触れ合う事を目的として、農家での農繁期、宿泊施設でのハイシーズンなど、地方で人手を必要としている時期にお手伝いするんです。なかには日帰りのものもあって、仕事をしながらでも出来るです。
やはり貴重な体験だと思うんです。子供頃は毎日外で遊んでいたから季節の移り変わりに敏感だったけど、大人になると家と会社の往復って感じで、自然と触れ合う機会が極端に少なくなりますからね。この前はふと覗いた田んぼに「おたまじゃくし」がいて、素直に少し感動してしまいました。


大椚第二小学校

2005-05-10 | 風景
大椚第一小学校より山深い所にあるのが大椚第二小学校。地図にも載っていないのですが、今でもなおあちこちに子供達の手作りによる学校案内の看板が残っていたので、それを頼りの進みました。
大椚第二小学校では、一周100メートルもない校庭で村のおじいちゃん、おばあちゃんがゲートボールを校庭でやっていました。当時のことを聞くと、ゲートボールをやっているおじいちゃんは皆ここの学校出身だそうです。閉校時は一桁の児童しかいなくなってしまいましたが、多いときは50名くらいの子供たちが通ったそうです。
大椚第一小学校と大椚第二小学校は文部省の「へき地教育研究校」だったようです。私の親父は教員をやっていたのですが、昔「大椚第二小学校」を訪れたことがあると言ってました。

大椚第一小学校

2005-05-10 | 風景
今日は24時出社の夜勤なので、仮眠の時間を考えるとあまり遠くには行けないので都幾川村をチョイスしました。アメダス都幾川地点は旧大椚第一小学校にあります。都幾川村の西端に位置(白石峠に向かう県道172の近く)する大野地区の大椚第一小学校は、最後は全校児童13人でした。130年余りの歴史を誇りましたが、児童数は減り続け、平成16年3月31日に閉校することになったんです。現在でも、校庭と体育館は利用しているそうです。木造校舎は昭和31年に建てられました。