柳瀬秘書官との面談は決定的な“キックオフ会談”
© 文春オンライン 第2回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞した 『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』
事実、疑惑解明のポイントはさほど変わっていない。たとえば2015年4月2日の加計学園関係者や愛媛県、今治市の職員による首相官邸訪問などは、その代表例だ。拙著『 悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞 』にも書いてきたとおり、このときの首相秘書官・柳瀬との面談は、加計学園にとって獣医学部新設に向けた大きなターニングポイントだった。加計学園や今治市が構造改革特区から国家戦略特区を使った制度の利用に衣替えするにあたり、首相官邸に伺いを立てた決定的な“キックオフ会談”である。
従前、「記憶の限り、愛媛県や今治市の職員とは会っていない」と繰り返してきた柳瀬は、10日の衆参の予算員会に臨み、「加計学園からアポイントがあったので会った」と修正した上で「その他大勢、10人ほどいた人が今治市や愛媛県だったか、その覚えがない」とも抗弁した。
愛媛県の「首相案件」文書が発覚し、慌てて軌道修正したのだろう。が、あまりに突飛な理屈に面食らった。
同じことの繰り返しでウンザリだ、という声を聞くが……
森友・加計の「依怙贔屓」疑惑が浮上して1年あまり、この間、同じことの繰り返しでウンザリだ、という声を聞く。だが、そうではない。事実解明に向けた作業はけっこう進んでいる。森友学園に対する国有地値引き問題でいえば、財務省の公文書改ざんや建設業者への口裏合わせの動かぬ証拠が見つかった。依怙贔屓はもはや単なる疑惑ではなく、その根拠がはっきりし、限りなく事実に近い。
また、加計学園の国家戦略特区を使った獣医学部新設については、今度の国会で首相の分身である秘書官が加計と3度も打ち合わせをした事実を白状した。これまで特区の申請者である今治市や愛媛県の官邸訪問について頑なに否定し続けてきた特区担当の秘書官が、加計学園と事前に会議の場を設け、おまけに農水省や文科省の専門家を同席させてレクチャーさせるという特別大サービスまでが明るみに出たのである。
加えて官邸訪問のあと、内閣府の特区窓口だった審議官(当時は地方創生推進室次長)の藤原豊が加計学園の本拠地である岡山県へ出張、現地では視察に使うための車まで用意してもらっていたという。かたや加計のライバルである京都産業大学を推す京都府の副知事が特区担当大臣の山本幸三を訪問したときは門前払い……。ここへ来て飛び出した特別扱いの新事実は、数えあげればきりがないほどだ。
疑惑どころか嘘を暴く決定打ではないだろうか
これらはある意味、官邸を訪問した愛媛県職員の残した「首相案件」備忘録が引き金となり、明るみになったともいえる。昨年、今治市が情報公開請求で嫌々出してきた黒塗り“のり弁文書”とは打って変わり、愛媛県知事の中村時広は、自らの職員が書き残した備忘録の正当性を主張した。
そして今度の国会で、こうした新たな事実が次々と認定されていった。野党議員はこれをもって「疑惑はますます深まった」と常套句でいつも質疑を締めくくるが、疑惑どころか嘘を暴くかなりの決定打ではないだろうか。ふつうとうの昔に内閣が倒れていても不思議ではない。
ただし、こと事実の解明という点では、これで十分か、といえば、むろんそんなわけはない。今度の国会質疑の中で、引っかかった部分も少なからずある。たとえば立憲民主党の蓮舫は、「官邸での会議は愛媛県文書にある1時間半ではなく、40分ほどではないか」と問い質すと、柳瀬も「それほど長くなかった」と頷いた。
残りの50分、いったい官邸で何があったのか
2015年4月2日、官邸内でどのような話し合いがもたれたのか――。肝心の中身が今もってはっきりしないのである。愛媛県文書にある元文科大臣の下村博文発言の意味するところもいま一つ不明だし、加計学園の誰が訪問したのか、についても然りだ。
改めて時系列に整理すると、加計学園側の官邸入りがこの日の15時で退館が16時30分。仮に蓮舫の質問が正しければ、15時40分前後に面談が終わったことになるが、県の職員や加計学園の幹部は残り50分をどう過ごしたのか。またその間の15時35分、下村が官邸を訪れ、安倍首相と面談したという。つまり愛媛県や今治市の職員と入れ替わるようにして下村が入館している。
いったい官邸で何があったのか。その詳細は真実を解明するうえで必ず焦点になるところであり、愛媛県をはじめ当事者がその気になれば、それらが明らかになるはずだ。そして換言すれば、そこが明らかにならない以上、黒い霧は晴れないともいえる。
一強と持て囃されてきた安倍政権の危うさは、取材をすればするほど痛感させられる。岩盤規制にドリルで穴をあける「国家戦略特区」や労働者の働き方改革を実現する「一億総活躍社会」といった時代がかった大袈裟な表題を掲げるが、その実、政策は第一次政権のときの政策の焼き直しばかりだ。それは、お気に入りの取り巻きたちとの「悪だくみ」に思えてならない。
ウンザリのひと言で、片づけるわけにはいかない。
(文中一部敬称略)