ワインの歴史(1)ブドウの栽培化
ワインを飲むためにフランス料理を食べると言うように、西洋人の食の中でワインの存在は大きい。また、キリスト教の儀式にもワインは欠かせない(キリストはワインを自らの血液であるとした)。さらに、交易品としてもワインは重要だった。
そこでワインがたどってきた歴史について、あらためて見ていきたいと思う。
最初はワインの原料であるブドウの起源と栽培化についての話だ。
もともとブドウの祖先は世界各地で繁殖していた。ところが、約1万年前の氷河期の間にそのほとんどが絶滅してしまったと考えられる。氷河期が終わり、気温が上昇するにともない、生き延びた一部のブドウが各地域の気候に適応して独自の進化を遂げた。それが、3つの原種群である、西アジア種・北アメリカ種・東アジア種である。この3つの原種からたくさんの系統のブドウ(現在では数十種類)が生み出され、人の移動と共に世界各地に広がっていったと考えられている。ブドウのほとんどは、平均気温が10℃から20℃程度の温帯地方に生育する温帯植物だ。
ご存知の通り、ブドウの果実には水分と糖分が多く含まれている。また、適度の酸味も感じられる(レモン果汁のpHは2ほどなのに対して、ブドウ果汁はpH3くらい)。
ブドウの糖分はブドウ糖と果糖であり、ほぼ等量ずつ存在している。また、酸味成分として酒石酸とリンゴ酸が含まれるが、この酒石酸を多く含有するのがブドウ果実の特徴である。
糖分はワインの醸造時に発酵によってエタノールと二酸化炭素に変換される。一方、酒石酸とリンゴ酸はワイン醸造の際にそのままワイン中に移行するが、リンゴ酸の一部はマロラクティック発酵と呼ばれるワイン醸造の最後の発酵作用によって乳酸に変換される(これによって口当たりがまろやかになると言われている)。
酒石酸は安定な物質であるが、沈殿しやすい。フルボディのワインを冷蔵すると、ビンの底に白い沈殿が生じることがあるが、これが酒石酸である(だから酒の石と名付けられた)。
さて、3つの三原種の子孫たちが世界各地の温帯地方に広がっていったが、ブドウからワイン作りを始めたのは西アジアだけだった。そして、ワイン作りが伝えられたのも、そこからさらに西の地域(エジプトやヨーロッパ)のみである。
この理由は「飲み水」にあると考えられている。
西アジアや地中海は雨が少なく、飲み水の確保に苦労した。特に旅行や軍の遠征に飲み水は必須だったが、生水を貯蔵してもしばらくしたら腐ってしまう。一方、ワインやビールのようにアルコールが含まれている液体はアルコールの防腐作用のために長持ちする。そこで、これらを飲み水の代わりに利用したというのだ。大航海時代にも飲み水の代わりに船にワインが積まれていた。
一方、飲み水が豊富な東アジアでは、ブドウはそのまま食べるか、干しブドウにして食べたようである。
野生のブドウ(Vitis sylvestris)は紀元前7500年頃までには西アジアやヨーロッパ各地に広がっていたと考えられている。このブドウは雌雄異株で、雌の株しか果実をつけない。やがて、野生ブドウの突然変異によって一つの株に雌雄が共存する雌雄同株のブドウが生まれ、これを選別することで果実が大きく糖含量が高いヨーロッパブドウ(Vitis vinifera)が紀元前4000年頃に栽培化されたと推定されている。黒海の東にあるアララト山麓でのことと言われている(図参照)。ちなみにアララト山はノアの箱舟がたどり着いた地とされている。
このヨーロッパブドウから、各地域の気候や土壌に適応した系統が選抜されるとともに、野生種との交雑によっても新しい系統が生まれたと考えられている。
ブドウは一般的に挿し木で簡単に殖やすことができる。つまり、クローンとして増殖できるのだ。こうして、親株と全く同じ性質をもった株を大量に素早く増やすことができたのだった。