食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代ローマの建国物語から

2020-07-12 13:52:21 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマの食料生産とローマ帝国の衰退
古代ローマの建国物語から
建国物語はどんな国のものでもとても面白い。ほとんど神話に近いものもあるが、その国を作った人々の想いや願いが込められているように思うからだ。
ここで、古代ローマの始まりの物語について簡単に見ておこう。

*********
伝説では、古代ローマの建国の物語はトロイの木馬の話で有名なトロイア戦争までさかのぼる。トロイア戦争ではスパルタとミケーネの連合軍がトロイアを包囲して攻防戦が繰り広げられた。10年かかってもトロイアを攻略できない連合軍は和平を結ぼうと偽って、兵士を潜ませた木馬を贈り物としてトロイアの城門前に放置して軍を引き上げる。喜んだトロイア軍は城内に木馬を引き込むが、夜中に木馬から出てきた兵士が城門を開いた結果、連合軍が城内になだれ込み、トロイアは敗北してしまう。
焼け落ちたトロイアからは、トロイアの王族で半神の英雄アイネイアスら数名だけが脱出できた。彼は地中海を放浪した末に、イタリア半島に上陸する。そしてそこでラテン人の王の娘と結婚し、新たなトロイアの都を建設した。その後、アイネイアスの子シルウィウスが別の都アルバ・ロンガを建設し、その子孫が都を治めるようになった。

しかし、シルウィウスから数えて12代目の王の死後、その息子同士の王位争いが勃発する。争いの結果、弟アムリウスが勝利し王位を奪う。アムリウスは兄ヌミトルの息子を皆殺しにし、娘のレアを結婚しないように巫女にした。しかしレアは、戦いと農耕の神マルスとの間に双子の兄弟を産んでしまう。怒ったアムリウスは家臣に双子を殺すように命じるが、その家臣は憐憫の情から双子をカゴに入れてテヴェレ川に流した。川の女神の導きでカゴは下流の岸に流れ着く。そして、その近くのパラティーノの丘で兄弟はメスのオオカミに育てられた(写真)。

オオカミに育てられるロムルスとレムス

その後双子は羊飼いに発見されて育てられ、ロムルスとレムスと名づけられる。やがて立派に成長した二人は自らの出生の秘密を知り、大叔父のアムリウスを討ち取って祖父のヌミトルをアルバ・ロンガの王に復位させた。そして新しい都を建てるためにつき従う人々とともに自分たちが拾われたパラティーノの丘に戻った。

しかし、どの場所を都にするかで兄弟の間にいさかいが起こってしまう。ロムルスはパラティーノの丘が良いと言ったが、一方のレムスは近くのアヴェンティーノの丘の方が良いと言い張った。彼らはどちらが都にふさわしいかを鳥占いで決めることにした。すると、レムスの土地には先に鳥が飛んできたが、合計は6羽にしかならなかった。それに対してロムルスの選んだ土地には12羽の鳥が飛んできた。こうしてロムルスが勝利したことになったのだが、レムスには不満が残ることになった。

ロムルスは二頭の牛に引かせた犂で溝を掘って都の領域を定めて行った。ところがレムスはそれを飛び越えてしまう。これは彼の都市が侵略されたことを暗示していたため、怒ったロムルスはレムスを殺し、またロムルスの部下もレムスの部下を打ち負かした。争いの後、ロムルスはレムスを埋葬し、都をロムルスにちなんでローマと名付け最初の王になった。これは紀元前753年4月21日のこととされる。

4月21日は今日でもローマの誕生日として祝われており、ローマ時代の衣装に扮した多くの人々で町が彩られる。
*********

ローマ建国の物語でロムルスは戦いと農耕の神のマルスの子とされていることから、古代ローマ人は戦いと農耕を重要視していたことが分かる。実際に、イタリア半島の土壌は肥沃で有名だった。1ヘクタール(10000㎡)の土地を耕せば、一家族が一年間生活するだけの食料が得られたと言われている。このように古代ローマの初期には、農耕が人々の生活の基盤となっており、そのため農地(土地)はとても大切なものだった。ロムルスがレムスを殺した理由も自分の土地を侵されたからであり、土地に対する執着心は並大抵のものではなかったと考えられる。そして、さらに農地を広げていく手段として他国への侵略戦争が進められたのだろう。つまり、古代ローマ人は戦う農耕民族であり、農地を増やすために地中海及びヨーロッパを征服していったと考えられる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。