畜力の利用
古代文明で農作物の生産量を増大させたもう一つの技術が、動物の力を借りた農耕だ。家畜の大きな力を利用することで、人力だけの時よりも農地を深く広く耕せるようになり、作物の生産性が著しく増大した。このため、畜力の利用を潅漑農法とともに食料生産の大革命と呼んでも良い。
農耕や耕作という言葉には「耕」という文字が入っているように、作物を栽培する時に最初に行うのが「耕す」という作業だ。つまり、土を掘り起こして反転させることで土壌を柔らかくし、作物を育てやすくするのだ。耕された土壌では作物の根が自由に伸びる。そうすると、根が水と栄養素を吸収しやすくなって良く生育するようになる。
また、雑草を除去したり、枯れ草をすきこんで腐植を増やしたり、土に酸素を含ませることで有機物の分解を促進させて栄養分を増やす効果も期待できる。
人力で農地を耕すのには大変な労力が必要だ。そこで、現代の日本では耕運機やトラクターが使用されている。ちなみに耕運機とは人が後ろについて動かすもので、トラクターは人が乗るタイプのものだ。これらが一般的に使用されるようになったのは第二次世界大戦以降のことで、それ以前はウシやウマの力を借りていた。このように耕作に家畜の利用を始めたのは古代文明からであり、何と5000年もの長い間、人類は家畜の助けを借りて農耕を行って来た。
ところで、人力で土を耕すにも家畜の力を借りて耕すにも、道具(農具)がいる。この農具の発達こそが、家畜の力を効率的に利用できるようになった理由だ。
農耕が始まった頃は、「掘棒」と「鍬(くわ)」という農具が使われていた。堀棒とは、棒の先端をとがらせたりシャベル状にしたりして、土を掘り起こしやすくしたものだ。鍬は日本でもなじみのある農具で、柄の先に角度をつけた刃がついたもので、振り下ろして使う。
一方、「すき」という土壌を耕す農具がある。すきのうち、人が使うものには「鋤」という漢字を使い、ウシやウマなどの家畜が引いて使うものには「犂」という漢字を使う。なお、西洋の犂を「プラウ」と呼び、東洋の犂と区別することがあるが基本的には同じものだ。
この犂(プラウ)が登場したことによって、家畜の力を効率的に利用することができるようになった。最初期の犂(プラウ)の先は木製の棒で、引きずって表土を引っ掻くように使われた。棒の先が通った土壌の表面が砕かれ、そこに作物を植える事ができた。
家畜を農耕に初めて利用したのは紀元前3500年頃の古代メソポタミア文明(シュメール文明)だ。当時は、プラウを二頭のウシに引かせていた。古代エジプトでは紀元前2500年頃に、同じようなプラウが使用されていた記録が残っている。同型のプラウは、インダス文明においても使用されていたと考えられている。
このような木製のプラウはヨーロッパにも伝えられた。そして古代ギリシアにおいては、プラウの先は青銅や鉄で作られるようになり、耕す能力が格段に向上した。
一方、中国における犂は西アジアとは異なっており、少し複雑な構造をしている。このタイプの犂は紀元前500年頃から使用されたと考えられている。