食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

放牧から遊牧へー1・4先史時代の社会

2019-12-13 12:57:33 | 第一章 先史時代の食の革命
放牧から遊牧へ
家畜化を始める時には、野生の動物を綱でつなぎとめたり、柵などで囲ったりして、逃げ出さないようにしたと考えられる。この状態では、人が草を刈って来てエサとして与えたり、糞の始末をしたりなど、かなりの労働力が必要だったはずである。

しかし、家畜化が進むと、動物は人に従順になって扱いやすくなる。この結果、動物を常につなぎ留める必要がなくなり、草原などでの放牧が可能になった。放牧では、人がエサを集めなくてよいので、労働力を節約できる。また、家畜も自由に動き回れるため、家畜の健康にも良かっただろう。

こうして、朝に集落を出発し、少し離れた草原で草を食べさせたあと、夕方に集落に戻るという日帰り放牧が始まったと考えられる。

やがて家畜数が増えてくると、エサとなる大量の草が必要になる。これをまかなうためには、集落の周囲の草地だけでは不足することもあっただろう。そのような場合には、家畜を連れて、集落から離れた草地をある程度の日数をかけてめぐる必要が出て来たと想像される。

これが「遊牧」の始まりだ。遊牧では、一時住まいの場所を拠点にして日帰り放牧を行い、周辺の草が減少したら次の場所に移動することを繰り返す。

家畜の群れの管理には、それほどの人数は必要ないため、一家族あるいは数家族が遊牧の仕事に携わっただろう。狩猟・採集生活出身者が、このような遊牧の仕事を担当することもあったはずだ。

農耕・牧畜社会から離れた遊牧生活を続けると、独立性が高まる。こうして遊牧を専門とした集団が、拠点となる農耕・牧畜社会から独立して誕生したのが「遊牧民」と推測される。

しかし、独立したからと言って、遊牧民の生活に農耕・牧畜社会との交易は欠かせない。つまり、自分たちで生産できない物品を物々交換によって農耕・牧畜社会から得たはずだ。遊牧民からは家畜から得た肉・乳・皮などが、農耕・牧畜社会からは、農産物・塩などが提供されたと考えられる。また、異なる農耕・牧畜社会の間での物品のやり取りにも遊牧民は活躍したと考えられる。つまり、遊牧民は貿易商としての役割も担うようになったのだ。

やがて遊牧民は、ウマを大量に繁殖させることによって、ウマによる機動力を兼ね備えた騎馬遊牧民に成長する。ユーラシア大陸において誕生した騎馬遊牧民は、人類史に大きな影響力を及ぼす存在となって行く。

狩猟・採集社会と農耕・牧畜社会ー1・4先史時代の社会

2019-12-09 08:30:00 | 第一章 先史時代の食の革命
狩猟・採集社会と農耕・牧畜社会のかかわり
農耕・牧畜の開始により、狩猟・採集に比べて食糧が安定的に得られるようになった。農耕・牧畜の開始にともなうこのような変化は「食料生産革命」と呼ばれることがある。また、農作業に適した磨製石器などの新石器が使用されたことから、この時代を「新石器時代」と呼ぶこともある。

農耕が始まることで増えた人手によって、農地や家畜数をさらに増やすことができたため、農耕・牧畜社会は徐々に拡大して行ったと考えられる。そして、8000年前頃の西アジアでは数千人規模の町が見られるようになった。

ただし、広い地域で農耕・牧畜が一斉に開始されたのではなく、農耕・牧畜を行う集落の周囲には、狩猟・採集生活を続ける集団も残っていた。そして、現代の狩猟民族と農耕民族の観察から、二つの集団の間には、密接な交流があったと考えられる。
その一つが食料の交換だ。例えば、狩猟や採集で余りものが出た場合には、農耕・牧畜の集落に出向いて、穀物などと交換することもあっただろう。特に、塩は狩猟で得た肉などを保存するために必須であったため、重要な交易品であったはずだ。食料不足の時には、食料の貸し借りもあったかもしれない。

また、時には人手の提供もあったのではないだろうか。

農作業では、収穫の時期などに多くの人手が必要になる。そのような場合に、狩猟・採集集団から手助けがあったと想像される。さらに、狩猟・採集を行う集団で病人やけが人が出た場合は、彼らが回復するまで農耕・牧畜の集落で預かってもらうことも行われたかもしれない。また、狩猟・採集集団から農耕・牧畜集団に加わる人々もいたはずだ。

こうして、農耕・牧畜の集落は、「地域の拠点」として成長して行ったのではないだろうか。

人と犬ー1・3家畜は肉の貯蔵庫(8)

2019-12-07 09:53:38 | 第一章 先史時代の食の革命
人とイヌの共通性
人とイヌは似ている。これが、イヌが人の最良の友になった要因だ。

ウマのところで述べたように、人は汗をかくことができるので、マラソンのような長時間の運動が可能である。狩猟ではこの利点を生かして獲物を狩っていたと考えられる。つまり、集団で長い時間をかけて獲物となる動物を追い込むことで、ついには動けなくなったところを強力な武器で仕留めるのだ。

オオカミなどのイヌ属も人類に似た狩りを行う。つまり、群れで長時間をかけて獲物を追い込み、弱ったところを仕留めるのだ。この狩猟方法によって、自分たちよりも体が大きな獲物を狩ることができる。

ところで、汗をほとんどかかないイヌ属に長時間の狩りが可能なのは、イヌ属で特に発達している体を冷却する仕組みのおかげだ。

暑い時や運動をした時にだらりと口を開けて舌を出し、よだれを流しながら速い息をしているイヌの姿を見たことがある人は多いだろう。あの浅くて速い呼吸を「パンティング」と呼ぶ。パンティング時には呼吸数が安静時の5倍以上に増加する。このパンティングこそが、イヌ属の体温冷却機構の根幹になっている。

まず、あふれ出すよだれがパンティングによって蒸発することで気化熱が奪われ、舌や口内の血液が冷やされる。また、速い呼吸によって肺を通る血液も冷却される。
さらに、脳に送る血液を冷やす、イヌ属などにしか見られない次のような仕組みがある。

鼻腔内には細い毛細血管が張り巡らされていて、この中を通る血液がパンティングによって冷却される。この冷却された血液が流れる静脈と脳に血液を送る動脈が接していて、脳に送る血液を冷やすのだ。静脈に接する動脈は網目状になっていて、熱交換が効率的に行われるようになっている。

このように、イヌは血液を冷却する仕組みを持つことで、人と一緒に持久的な活動を行うことができるのだ。

さらに、人とイヌでは仲間に対する接し方も似ている。

狩猟・採集生活を送る人類の集団内は平等であったように、イヌ属の群れでも獲物の分配などは平等に行われる。また、子犬の養育なども群れのさまざまなメンバーが協力して行うなど、人の集団のようにメンバー同士の結束が強い。

人とイヌが一緒に生活するようになると、イヌは人間を仲間として認識することで、強いきずなを感じるようになったのだろう。その結果、イヌは人に対してとても献身的な活動をしてくれることになった。人類とイヌは最良の友として歩み始めたのだ。


イヌの家畜化ー1・3家畜は肉の貯蔵庫(7)

2019-12-04 09:22:02 | 第一章 先史時代の食の革命
イヌの家畜化
「人間の最良の友」と呼ばれるイヌと人類の付き合いは長くて深い。このイヌの家畜化を少し詳しく見て行こう。

イヌは人類が最初に家畜化した動物だ。約1万5000年前までに、オオカミを人為選択することでイヌの家畜化が始まったと考えられている。人類がまだ狩猟・採集生活を行っていた時期だ。なお、イヌが最初に家畜化された地域については、西アジア、東アジア、ヨーロッパなど諸説あり確定していない。

人類がイヌを家畜化するに至った要因の一つが、人とオオカミが獲物となる動物を奪い合うようになったからだと考えられている。

オオカミは集団で狩りをしてシカや野牛などを捕らえる。一方、イヌの家畜化が始まった頃には、人の狩りの対象もマンモスなどの大型動物からシカや野牛などにシフトしていた。その結果、人とオオカミは獲物をめぐって競合することになったのだ。

人はオオカミと身近で接することで、オオカミの優れた部分に気付いたと想像される。すなわち、オオカミには鋭い嗅覚があり、人よりも素早く獲物を見つけられる。また、獲物の追跡も得意だ。一方、人には高い知能と優秀な道具がある。もし、人とオオカミが協力できれば、人だけで狩りをするよりも、より多くの獲物をしとめることができるだろう。こうして家畜化されたのが、イヌと考えられる。

オオカミは幼いころから人の手で育てられると、人にとてもなつくことが知られている。最初はこのように、オオカミの子供を飼育するところから始めたのかもしれない。

家畜化によって、イヌにも家畜化現象が生じた。すなわち、体や脳が小さくなり、鼻の長さが短くなり、耳が垂れ、尻尾がカールした。成犬では耳が立っている品種でも、子供のときに耳が垂れている期間がオオカミより長い。

さらに、イヌとオオカミの遺伝子を比較した研究から、イヌではデンプンを消化する遺伝子の数がオオカミよりも多いことが明らかになった。イヌは人と一緒に生活するようになったことで雑食性が強まったのだろう。

人類が農耕・牧畜を開始すると、集団内での役割分担が進んだ。その結果、様々な職業が生み出されてきたと考えられる。それにともなってイヌの品種改良が進み、様々な仕事に適した大きさや外観を持つさまざまな犬種が生み出されて行く。


ウマの家畜化ー1・3家畜は肉の貯蔵庫(6)

2019-12-02 08:06:56 | 第一章 先史時代の食の革命
ウマの家畜化
ウマは今まで見てきたヤギ・ヒツジ・ウシ・ブタとは少し趣の異なる動物である。

狩猟・採集生活では、ウマは肉を得るために狩猟の対象となっていた。ウマの家畜化は約6000年前に現在のウクライナで始まったと考えられているが、その目的も肉を得るためだったと推察される。また、「馬乳」も利用されていた。

ところが、移動・運搬での際立った有用性に人類が気付いたことで、ウマは人類史に大きな影響を与える家畜へと成長して行った。

ウマの祖先はアメリカ大陸で進化した。そして、約250万年前にベーリング陸橋を経由して、ユーラシア大陸へと渡り、現在のウマの祖先に進化する。一方、南北アメリカ大陸に残ったウマ科の動物は約1万年前までに絶滅した。

ウマの祖先はヤギ・ヒツジ・ウシと同じように、草原で主に雑草を食べて生活していたと考えられている。ウマは長い盲腸を持っており、そこに生息する微生物を使って植物繊維を分解している。ところが、反芻動物の四つの胃に比べると、食物繊維の消化効率は半分程度とかなり低い。このため、反芻動物との生存競争に勝てず、生存数を減らしていたと考えられる。おそらく、人類がウマを家畜化しなければ、ウマは絶滅していたであろう。

ウマの最大の特長が、長距離を高速で移動できることだ。例えば、1キロメートルの距離であれば時速60キロメートル以上で走り、100キロメートルの持久走でも時速25キロメートルを維持できると言われている。高速で疾走できるのは、そのための骨格と筋肉を進化させたからだ。一方、長距離を移動できるのは、汗をかけるからだ。

どういうことだろうか。

人に加えてウマは、体温調節のために大量の汗をかくことができる珍しい動物だ。普通の動物はあまり汗をかくことができない。このため、運動を続けると次第に体温が上昇し、ついには動けなくなってしまう。一方、ウマと人では、かいた汗が蒸発する時に気化熱を奪うことで体が冷却されるので、持久的な運動が可能なのだ。

ウマは人を乗せることができる。また、荷車を引くこともできる。この時に重要な器具が、ウマの口につける「ハミ」だ。ウマの歯並びは変わっていて、前歯と奥歯の間に隙間がある。この隙間に棒をさし込む器具を作れば、ウマの頭部をしっかりと固定できる。これがハミだ。

ハミを作り出したことで、人はウマの動きを自由にコントロールできるようになった。約5500年前のカザフスタンのボタイ遺跡からは、ハミの使用によって削れた歯を持つウマの遺体が見つかっている。

こうしてウマは、機械式の車が発明されるまでの長い間、移動・運搬手段として大活躍した。特に、騎馬遊牧民族が成立するためには、ウマは無くてはならない存在だった。