放牧から遊牧へ
家畜化を始める時には、野生の動物を綱でつなぎとめたり、柵などで囲ったりして、逃げ出さないようにしたと考えられる。この状態では、人が草を刈って来てエサとして与えたり、糞の始末をしたりなど、かなりの労働力が必要だったはずである。
しかし、家畜化が進むと、動物は人に従順になって扱いやすくなる。この結果、動物を常につなぎ留める必要がなくなり、草原などでの放牧が可能になった。放牧では、人がエサを集めなくてよいので、労働力を節約できる。また、家畜も自由に動き回れるため、家畜の健康にも良かっただろう。
こうして、朝に集落を出発し、少し離れた草原で草を食べさせたあと、夕方に集落に戻るという日帰り放牧が始まったと考えられる。
やがて家畜数が増えてくると、エサとなる大量の草が必要になる。これをまかなうためには、集落の周囲の草地だけでは不足することもあっただろう。そのような場合には、家畜を連れて、集落から離れた草地をある程度の日数をかけてめぐる必要が出て来たと想像される。
これが「遊牧」の始まりだ。遊牧では、一時住まいの場所を拠点にして日帰り放牧を行い、周辺の草が減少したら次の場所に移動することを繰り返す。
家畜の群れの管理には、それほどの人数は必要ないため、一家族あるいは数家族が遊牧の仕事に携わっただろう。狩猟・採集生活出身者が、このような遊牧の仕事を担当することもあったはずだ。
農耕・牧畜社会から離れた遊牧生活を続けると、独立性が高まる。こうして遊牧を専門とした集団が、拠点となる農耕・牧畜社会から独立して誕生したのが「遊牧民」と推測される。
しかし、独立したからと言って、遊牧民の生活に農耕・牧畜社会との交易は欠かせない。つまり、自分たちで生産できない物品を物々交換によって農耕・牧畜社会から得たはずだ。遊牧民からは家畜から得た肉・乳・皮などが、農耕・牧畜社会からは、農産物・塩などが提供されたと考えられる。また、異なる農耕・牧畜社会の間での物品のやり取りにも遊牧民は活躍したと考えられる。つまり、遊牧民は貿易商としての役割も担うようになったのだ。
やがて遊牧民は、ウマを大量に繁殖させることによって、ウマによる機動力を兼ね備えた騎馬遊牧民に成長する。ユーラシア大陸において誕生した騎馬遊牧民は、人類史に大きな影響力を及ぼす存在となって行く。