コメの栽培化
日本人の主食としてなじみの深いコメ(イネ)は、世界中で栽培されている重要な作物だ。イネを栽培するには一年間に1000㎜メートル以上の降水量が必要であり、コムギの栽培に必要な500㎜の降水量に比べて、より多くの水を必要とする。この条件を満たすのが「モンスーンアジア」と呼ばれる、日本列島を含む東アジア、東南アジア、南アジアの地域だ。(図表5)。この地域には、モンスーン(季節風)によって海上の湿った空気が運ばれる。イネは、このモンスーンアジアに適した穀物として栽培化された。
イネは形態や生態の違いから、インディカ種とジャポニカ種に大別される。これらが、いつ頃、どこで栽培化されたかについては諸説あるが、おおよそ次の通りだと考えられている。
最初に栽培化されたのはジャポニカ種であり、約1万年前に珠江の中流域、あるいは長江の中流域で野生のイネ科の植物から栽培化により誕生した(図表5)。一方、インディカ種は、ジャポニカ種が他の野生種と交雑することで、同じ地域に生まれた。
栽培化後、ジャポニカ種とインディカ種は各地に広がって行くが、日本には、中国大陸の長江下流域から、約3000年前の縄文時代の終わりに伝来したとする説が有力だ。
他の穀物に見られないイネに特有の栽培方法が、「水田稲作」だ。イネは、水田にはられた水から窒素やリンなどの栄養素の供給を受けることから、水田稲作では連作障害が出にくく、毎年同じ場所でコメを作り続けることができる。
水田稲作は非常に生産性が高く、単位面積当たりの収穫量はコムギの約1.5倍であり、まいた種当たりの収穫量もコムギの4倍以上になる。さらに、モンスーンアジアで栽培される農作物のうちで、コメが単位面積当たりの収穫量がもっとも高い。世界の総人口の約60%がこの地域に集中しているのも、水田稲作のおかげと言える。
中国では長江流域では少なくとも6000年前に水田稲作が行われていた。日本には、イネが伝来した縄文時代晩期か、その少し後に水田稲作が中国から伝わったと考えられている。紀元2、3世紀頃の弥生時代後期の登呂遺跡からは51面の水田遺構が見つかっており、その総面積は約7万㎡にもなる。