古代ローマの食材(6)ローマは果物の帝国
現代のイタリアは果物の一大産地である。リンゴ、洋ナシ、モモ、サクランボ、メロン、ブドウなどは世界でもトップクラスの生産量を誇る。土壌や気候が果実の栽培に適しているのもあるが、古代ローマ時代からイタリア半島の人々が果物を育てることに並々ならぬ情熱をかたむけてきたことも、この大きな要因になったと思われる。
実は先に挙げた果物は、古代ローマの時代から栽培が行われていたものたちだ。古代ローマ人はさまざまな果物の品種改良を進めるとともに、それぞれの果物に適した栽培技術を確立していった。この栽培技術の中で最も重要なものが「接ぎ木(つぎき)」だ。
接ぎ木(greffe)の語源は短剣を意味するギリシア語の「graphion」であるとされる。接ぎ木では、芽を付けた小枝が基の部分で斜めに切られて短剣のようになったものが、あらかじめ裂いておいた樹の幹か枝に差し込まれるため、このような命名になったと考えられる。
接ぎ木で差し込まれる方の木を台木と呼び、差し込む方を穂木と呼ぶ。接ぎ木をすることで丈夫さや水分・栄養分の高い吸収力という台木の長所と美味しい実をつけるという穂木の長所をあわせ持った木を得ることができる。つまり、土壌に合わない木でも適当な台木が見つかれば栽培できるのである。
また、接ぎ木によって同じ性質を持つクローンをどんどん増やすことができるので、良い果実をつける樹を一つ見つけるだけで、その果実を大量に収穫できるようになるという利点もある。
このように接ぎ木はとても優れた栽培法であるため、現代の日本ではほとんどの果樹栽培で接ぎ木が利用されている(ちなみに、日本一有名な桜のソメイヨシノも江戸時代に誕生した1本の樹を接ぎ木によって増やしていったものであり、すべてのソメイヨシノの樹が同じ遺伝子を持つクローンだ)。
接ぎ木がどこで始まったのかは定かではないが、語源にもなっているように、少なくとも古代ギリシアではすでに始まっていたようだ。しかし、接ぎ木の技術を飛躍的に進歩させたのは古代ローマ人であり、彼らによって現代でも通用する接ぎ木の技術が確立されたと言っても過言ではない。ローマ初の公共図書館を作ったウァロは、接ぎ木の技術を活用したため、イタリアは広大な果樹園と化したと述べている。
ローマ人は実に果物好きだった。野生のもので美味しそうなら何でも食べた。さらに、研究を重ねてより美味しい果物を作り出すことに熱中した。とにかく美味しいものに目が無かったのである。
古代ローマには果物屋があり、どんな人でも簡単に果物を手に入れることができた。果物は生で食べたり、ジャムにしたり、料理の具材に使われたりした。豚肉のシチューに角切りにしたリンゴを加えて、さっぱりとした酸味を効かせた、いかにも美味しそうなレシピが残されている。
古代ローマの主要な食事のケーナは「卵で始まりリンゴで終わる」と言われたように、リンゴは古代ローマ人にとても愛された果物だった。栽培されているリンゴの起源は中央アジアと言われていて、遊牧民の移動と共にヨーロッパや中国などに伝わったと考えられている。遊牧民は移動先でリンゴを植えていったようで、彼らが通った道にはリンゴの木が並んでいると言われる。
ヨーロッパではスイスで約4000年前の遺跡からリンゴの化石が見つかっている。紀元前9世紀には古代ギリシアで接ぎ木によるリンゴ栽培が始まった。これが古代ローマに伝わるとともに、ギリシア南端のペロポネソス半島から「アピ」というリンゴの改良種が持ち込まれることで、古代ローマにおけるリンゴ栽培の一大ブームが始まった。紀元前2世紀頃のことである。古代ローマ人は交配を重ねることで様々な品種を生み出し、その数は30種類を超えたと言われている。
ところで、古代から中世にかけて栽培されていたリンゴは直径3センチメートルほどの小さなもので、今のような大きなリンゴは16世紀になってイギリスで生まれた。これが移民と共にアメリカに広まり、品種改良が盛んにおこなわれた結果、今のような甘くて大きなリンゴになった。