食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

東アジアの酒造りの歴史ー古代文明の食文化の革命(6)

2020-05-01 08:23:30 | 第二章 古代文明の食の革命
東アジアの酒造りの歴史
中国の酒造りは紀元前5000年頃に、コメを原材料にして始まったと考えられている。最初の酒は、桑の葉でご飯を包み発酵させたものであったとされる。

紀元前2000年頃から紀元前1500年頃の中国最古の王朝だった夏では、酒造りが本格的に開始されていたようだ。さらに、次の王朝の殷の時代(紀元前1500年頃から紀元前1046年)には、麹菌を使用して酒が造られるようになった。この頃の遺跡からは、大規模な醸造をうかがわせる遺物が残されている。

ところで、夏や殷の滅亡の原因を、王族・貴族たちの酒の飲み過ぎとする説がある。当時の酒器には青銅器が使われていたが、ここにヒ素が含まれることがあり、酒に溶け出すことでヒ素中毒になってしまったということだ。ちなみに、銅の酸化物である緑青は猛毒であると信じられていた時期があったが、現在では緑青の毒性は高くないことが証明されている。

殷の後の周王朝(紀元前1046年から紀元前256年)では、夏と殷での暴飲を教訓として、禁酒政策が取られた。貴族に節酒が命じられるとともに、庶民が集まって飲酒をすることも禁じられた。もし、集団での飲酒が見つかると死刑になるほど厳しいものだったそうだ。

日本での本格的な酒造りは、稲作が軌道に乗った弥生時代以降と考えられているが、正確な開始時期については諸説あり固まっていない。最初のコメを使った酒は「口噛み酒」と考えられている。この醸造法では、コメを噛むことで唾液中のデンプン分解酵素を働かせて糖を作り、酵母によるアルコール発酵を行わせる。アニメ「君の名は」でヒロインが作った酒だ。やがて、麹菌を使った醸造法が普及した。奈良時代には酒造りのための役所が設けられ、計画的な酒造りが行われていたことが分かっている。

東アジアの醸造酒の特徴が、「並行複発酵」と呼ばれる方法で作られることだ。これは、麹菌によってデンプンが糖に変化する発酵と、糖が酵母によってアルコールに変化する発酵が同時に行われることをいう。つまり、麹菌によって作られた糖が、酵母によって素早くアルコールに変えられる。デンプンは分解すると大量の糖となるため、並行複発酵では20%程度までの高濃度のアルコールを含んだ酒を作ることができる。もし、糖を出発材料としてこの濃度のアルコールを作ろうとすると、酵母が生育できないほどの高濃度の糖が必要だ。

麹菌は酒造り以外でも、味噌や醤油、みりんなどを作るために使用されており、日本人を含めて東アジア圏の人々になじみの深いカビだ。この地域は稲作圏とほぼ一致しているが、これは麹菌が蒸したコメに好んで生える性質を持つことに関係していると考えられる。私の想像だが、古代人は麹菌が付いたコメを食べてみたところ、とても甘いことに気がついて、その有用性を理解したのではないだろうか。


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