河川流域の肥沃な土壌
古代人たちは雨が多い地域での農耕と牧畜が行き詰まりを見せ始めると、それ以外の土地での生活を模索したと考えられる。しかし、農耕に必要な水は少ない。そのような土地で農耕を行う場合には、水をどこからか調達しないといけない。また、生活のための飲料水も必要だ。そこで、水がすぐ手に入る川や湖のほとりに農地を作り、試験的に作物を育ててみたと思われる。
こうして生産性が高い土地を見つけて移住が決まったと考えられる。それが、四大文明が生まれた大河流域だったのだろう。よく言われていることだが、四大文明が生まれた大河流域が作物の生産性が高い「肥沃な土壌」であったことが決め手だった。
「エジプトはナイルのたまもの」とは、ギリシアの歴史家ヘロドトスの有名な言葉だ。エジプトが繁栄したのはナイル川が上流から運んでくる肥沃な土壌のおかげという意味だ。ナイル川は一年に一度、夏季に水位がゆっくり上昇し、下流域のデルタ地帯に穏やかな氾濫を引き起こす。この時に上流の肥沃な土壌が沈殿するのだ。
ナイル川だけでなく、ほかの四大文明の大河の流域にも、上流から運ばれて来た肥沃な土壌が堆積した平原(沖積(ちゅうせき)平野)が形成された。四大文明成立の重要な要因になったのが、これら豊かな平原での農耕だ。
ギリシア語で「二つの川の間の土地」を意味するメソポタミアは、チグリス川とユーフラテス川にはさまれた地域で、両河はたびたび氾濫を起こしていた。その結果、上流の土壌が堆積し、メソポタミア平原と呼ばれる肥沃な沖積平野が形成された。また、インダス文明が起こったインダス川流域や、中国文明が起こった黄河と長江流域にも肥沃な平原が広がっていた。
ところで、「肥沃な土壌」という言葉をここまで説明もなしに使ってきたが、これが意味するところはあまり正確には知られていない。例えば、森の土と草原の土ではどちらが肥沃な土かご存知だろうか。
私がこの質問をすると、ほとんどの人は森の土と答える。しかし正解は草原の土だ。草原の土の方が森の土よりもずっと肥沃なのだ。アメリカ中西部やウクライナの大穀倉地帯は草原を開発して作られたが、その理由は土壌がとても肥えていたからだ。
次回は、「肥沃な土壌とは何か」を詳しく見て行く予定だ。