逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

福島第一原発事故の損害額はいくらか、幻の半世紀前の政府試算

2011年07月12日 | 放射能と情報操作

『経済的に成り立たない原子力による発電』

未だに完全に崩壊した安全神話に浅ましくもしがみつく電力会社やマスコミによる原発再稼動に向けた悪質な印象操作や世論誘導の『やらせ』が続けられているが、では原発とは過酷事故が起きた時にどれだけの損害を出すのだろうか。
今のマスコミの主流である、反原発や脱原発は『エネルギー政策が欠如』しているとの主張は全くのデマで真実と違いすぎる。
実は脱原発は観念論でも理想論でもなくて、最も経済性やエネルギー政策を考えていたことは、『原発村』が口を揃えて絶対に起きないと言っていた過酷事故である、福島第一原発の爆発で証明されている。
原発事故を見た(事故以前は推進派だった)福島県知事は『原発の稼動など絶対に無い』と言っています。
事故後に政府は突然放射能の安全基準値を20倍に拡大して仕舞ったのですが、以前のままなら福島県全域が日本から失われたのと同じ。
その分放射能の侵略によって日本国は縮小した(国土を失った)と考えるべきであり、それなら国民の生命財産や領土領海を守る国家防衛の観点からも『原発』は国策として大失敗だった。
原発事故は終結していないので、まだまだ全容が不明だが、本当に全てを損害保障したら今の国家予算を遥かに超えるはずです。
日本政府が半世紀前に作成した幻の報告書が有るのですが、それによると今の福島原発よりも遥かに小さい約15万キロワット(熱出力50万キロワット)の原発一基の事故でも国家予算の2倍の損害になるとの恐るべき試算が出ているのです。
原発問題とは『原発の再稼動』など問題外で、どうすれば出来る限り早く、如何にして損害を小さくして安全に撤退出来るかを論議するべき時期ではないでしょうか。

『大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算』

半世紀以上前の1960年(昭和35年)、日本にはまだ原子力発電所が無く、実験用の極小さな研究炉しかないない時代に、政府機関により 商業用の原子炉による発電所建設の為に、過酷事故が起きた時の損害を研究、試算されていた。
ところが原子力の政府機関(科学技術庁)から出て来た驚くべき恐怖の数字が明らかになった途端、全ては隠蔽され封印されてしまう。
この科学技術庁の幻に終わった研究試算が当時公開されていれば、現在の福島第一のレベル7の身の毛もよだつ未曾有の放射能汚染事故は起きていなかった可能性が高い。
60年代、科技庁は国会に要約部分だけを出し、原発事故の被害予測をした事自体を隠蔽、否定している。
この半世紀前の科学技術庁の試算のデータの存在を、最初に報道したのは1979年4月9日付け赤旗記事が最初。
東海村臨界事故(1999年9月)の直前に参議院で共産党の西山登紀子議員が質問して眠っていた極秘データが作成から40年後に公開され、毎日新聞6月16日付け『原発事故損害試算』として報道されている。
当時の有馬朗人科技庁長官は『今後は原子力基本法の民主・自主・公開の3原則に従って十分公開していく。』と述べる。
担当の青江茂科技庁原子力局長は、『個人的な感じだが、数値の大きさに当時の担当者は相当驚いたようだ。数字だけが独り歩きしないように配慮したのだと思う。当初、全文公開しなかったのは当を得ているとしても、もっと早く公開すべきだった、と言われればその通りだと思う。』と何ともキャリア官僚らしい腹立たしい隠蔽体質の『由らしむべし、知らしむべからず』との無責任答弁をしている。

『後悔先に立たず』後の祭りの石破茂元防衛大臣の後悔

自民党政調会長石破茂は7月6日の衆院予算委員会で、『私は本当に反省として思っているのだけれども、1959年に当時の科学技術庁が委託をして研究を行った。』『もしこういう事故が起こったどうなるか。きちんとリポートが出せれていた。』と語っているのです。
1960年、科学技術庁が原発事故が起きた場合の被害規模の試算を原子力産業会議に委託。
東海村に建設することになっていた出力16・6万kWの「東海1号炉」をモデルにして作成された研究試算では、東海村から2%(1000万キュリー)の放射能が漏れた場合、つまりチェルノブイリ事故(190トンのウラン燃料のうち10トン、3億キュリーが漏洩)の30分の1の規模の事故が発生した場合の災害について、原子力産業会議のデータは恐るべき地獄絵を描いている。
当時の東海村から都内近郊にかけての原発周辺人口は今とは格段に少なかったが、考えられる最善の条件設定での想定でも死者は720人を越え、5000人が障害を起こし、400万人が被曝する被害が出る。
当時の大卒初任給が1万円程度だった日本国で、被害の総額は1兆円。
疎開しなければならない人は1800万人。
短時間で終息せず雨などが降れば放射能をかぶる農地が15万km2に及び、被害額は3兆7000億円に達する。
1960年当時の国家予算は1兆6000億円程度で、一度、原発事故が起きれば国家予算の2倍にも及ぶ被害が出る計算である。
時の総理大臣は昭和の妖怪、元A級戦犯の岸信介であった。
当時の自民党政権は被害額の大きさに色を失い、すぐさまこの驚愕的ではあるが現在の福島第一原発事故を正確に予見していた研究データはマル秘とされ隠蔽されてしまう。
この亡国自民党による国家存亡に係わる犯罪行為は絶対に許される種類のものではない。
石破茂は、この政府報告書を紹介した上で、『 この大震災、大津波はわれわれに何を教えているんあろうか。』『それは、逃げるな。』『曖昧にするな。』『物事は突き詰めて考えろ。』『世のなかに絶対と言うものは無い。』と語ったが、
石破茂が本当にそう思っているなら、未曾有の国難を招いた『原発は必然である』とする破壊的カルト団体の亡国自民党を、今すぐ脱党するべきであろう。





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4 コメント

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予見可能性と結果回避義務 (s.takada)
2011-07-12 04:42:26
原発安全神話、既得権益「鉄の五角形」と併せて読ませていただきました。

原発事故の起こしうる損害について、導入当初の小規模原発の予測でも途方もない規模になると認識されていたものを「鉄の五角形」を組んだ≪原発ペンタゴンが膨大な利権を一方的に握っていて、安全神話を日本中に振り撒き続けた≫結果が、フクシマ原発事故という大損害を生んだことがよくわかりました。

50年前に予測したことのある驚愕の損害の事実が、今度は、すでに生じている被害額でさえ20兆円を超えると計算されているとか、汚染処理、廃炉経費やらの上、この先の事態によっては予測不可能な損害という現実となって現れているということでしょうか。

こんなことになった≪原発ペンタゴン≫の責任からからいえば、この国民的被害は原子力事業者による原賠法の無過失責任の範囲で済む話ではないことは明らかではないでしょうか。この際、≪原発ペンタゴン≫につながる共同の加害者と原発利権の被害者としての国民とは、明確に区別して考えなければならないと思います。
                                    
原子力事業者東電の賠償能力を超える損害については国が責任を持って賠償するなどと言って済ませる話ではないということは、≪原発ペンタゴン≫の仕業から見るとはっきりしていることです。加害者をはっきりさせないでおいて、国が賠償するための費用を電気料金値上げと税金で負担させられるというようなことは、とんでもないことです。

損害賠償の原則たる予見可能性と結果回避義務が、≪原発ペンタゴン≫によって怠られてきたことを、国民の声として大きく訴えていきたいものです。
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ぼろ負け過ぎて計算できない? (透明)
2011-07-12 09:18:41
菅は勝手に浜岡を止めたと騒ぐ自民党の政治家は全く反省がないですね。
菅は菅で総理大臣に居座りたいとの思惑もあり本当に脱原発かどうかは疑わしいのですが自民党の政治家と比べればはるかにましです。
石破茂も本当に反省しているとはおもえません。
小出さんはよくこのように言います。
「3月11日に世界は変わったというぐらいに思います」
これを今の日本人はどれくらい理解できているのかですね?今まで通りの仕事や趣味に時間を使うだけで今の日本、政治や経産省などの役人のやっている事を考えない日本人。
現在のフクイチの状況は1~3号炉はコンクリまたは地下を溶融し潜っていると予想される。4号機は強い余震で崩壊するかもしれない。太平洋戦争のようにぼろ負けを認識できないのなら日本は本当に終わってしまうとおもいます。
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国策としての原子力発電 (宗純)
2011-07-12 15:53:55
s.takadaさん、コメント有難う御座います。

九電やらせメール報道に見られるように、今では電力会社の鉄面皮な無反省ぶりや無責任体質、情報の隠蔽体質は明らかである。

>『原子力事業者東電の賠償能力を超える損害については国が責任を持って賠償するなどと言って済ませる話ではない』
ことは明らかなのですが、ところがですね。
原子力による発電では、もしもの時の事故の賠償額は天文学的であり、この半世紀も前の研究した試算データにより国家予算よりも大きいことは判っていて、それで損害保障会社で原発の無限席にを引き受けるところは一社も無いのが現実です。
勿論一電力会社程度が払える額でも無いことは絶対に判っていた。
まさに『原子力は国家なり』と国策として、商業ベースとはまったく無関係の所で行われていたのが原発である。
しかもこれには特殊な専門的な知識や技術が絶対に必要で有るので、いわゆる原発村とか原発マフィア原発ペンタゴンなどと言われている『国の中に国を作るがごとき原子力王国』だったのです。
しかも本国政府の戦線不拡大方針とは正反対の謀略に走った関東軍とそっくり同じで、原発ペンタゴンが日本国の方針を勝手に決めて鼻面を引き回しているのが現状です。
国家の中の独立王国である原発ペンタゴンの行った福島第一ですが、その後始末はそもそもの出発点が純粋な国策でありコマーシャルベースでは不可能な代物だったのですから、これは国家が責任を負うべき性質のものですが、
損害規模が大きすぎて国家の能力を超えている可能性が高いと思われるのです。
それで今の日本の管政権のように自主避難で責任を一般市民や地元の市町村に丸投げしているのですから恐ろしい。
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8・15の終戦までの苦難の道はまだまだ続く (宗純)
2011-07-12 16:17:34
透明さん、コメント有難う御座います。

京大の小出助教の言うおとりで3・11以前と以後では風向きは完全に変っています。
ただ福島第一原発は見る影もなく壊れたが、原発利権に巣食う国家の中の独立王国である原発ペンタゴンはまったく壊れていなくて健在なのです。
あの米倉経団連会長の狂態を見ましたか。
米倉会長は、最初福島第一原発事故の発生を見ても、全く以前の通りの『日本の技術は最高で原発は安全』との発言を恥ずかしげも無くしていたのです。
現在ですが、全く以前の原発安全神話の自分の態度や言葉を否定も反省も、全く一言もしていません。
以前とまったく同じ態度です。
ですから今でも『日本の原発は安全で事故は起きない』と信じているのですが、以前のように公言すると阿呆だと笑われるのが判っているので言わないだけ。
その程度の知恵は有るのですね。
8・15のポツダム宣言受諾による無条件降服にはまだまだ時間がかかるでしょうし、その分我々日本人の苦難も続き筈です。あ~ぁ。無常。

賭博でも戦争でも負け戦ほど止めるのが難しいのですね。ましてやボロ負けならもっと難しいのです。
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