逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

菊池 誠に見るニセのニセ科学批判

2009年05月07日 | 疑似科学・ニセ疑似科学批判

菊池 誠 大阪大学サイバーメディアセンター教授。1958年生まれ。専門は学際計算統計物理。
『血液型で性格を決めつける人とどうつきあうべきか』 プレジデント4月20日(月)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090420-00000301-president-bus_all

きくち氏は、>『「血液型性格診断」に科学的根拠がないことは、すでに心理学の実験で証明されている。多くの人はそれを半ば理解したうえで、「しょせんは遊びだから」と軽く考えて話題のネタにしている。』<
と、この辺までは至極まともな出だしである。
ところがこの後は、
>『だが血液型性格診断には遊びでは済まされない問題が含まれている。』 <
と、すごむ。
なるほど、なるほど。何事でも迷信は良くない。それなら私とも意見が一致する。
それなら毎日毎日公共の電波を使って血液型占いなどを行っている放送局を批判するかと思ったら、なんとそんな考えは物理学?ではないらしい。
なんと、なんと責任を一般の側に一方的に押し付ける心算らしいのですよ。
この辺の考え方の逆立ち具合は、巨大多国籍企業と無権利な派遣社員に対して同等に自己責任を押し付けるフリードマンらシカゴ学派の新自由主義に考え方が良く似ている。

『血液占いは科学的』?

しかも>『この問題が根深いのは、「血液型で性格が決まる」という問題設定が十分に科学的だからだ』<
らしい。
これが科学者の言葉なのでしょうか。?
この考え方が正しいなら星占いから丙午から何から何まで、全ての占いや迷信は『問題設定が科学的』と言う事にになりますよ。
設定が科学的でない方を探す方が難しそうだ。

『水からの伝言は即座に反科学』

ところが、>『水からの伝言』・・・・この場合ならば即座に科学に反しているとわかる。』<
になるらしい。(この部分の説明は科学的と言うよりもエラク道徳的)
これも、この部分だけなら(科学云云の話ではないので)納得するが、その後がいけない。

『大混乱の菊地氏の頭の中身』

きくち氏は、>『血液型性格診断や『水からの伝言』といった「科学らしさを装った迷信」を、私は「ニセ科学」と呼んでいる。』
と続くのです。
あれ、あれ、ですね。
きくちさん。
血液型占いは>『問題設定が十分に科学的だからだ』と数行前に発言しているのですよ。
そして、其れとは反対に『水からの伝言』では>問題設定が『即座に科学に反しているとわかる』とも発言している。

『肝心のニセ科学批判がこれでは』

即座に科学に反するのか。?反しないのか。?どちらなのでしょうか。?
それともニセ科学の中身の、そんなこと(科学的であるか。科学的でないか)は物理学理学教授の看板で売り出した菊池氏にとっては如何でも良い、些細な事柄なのでしょうか。?
この、きくち氏の余りに高い難解(お粗末)な論理展開には感心するばかりである。
これ程前後が矛盾した事を平気で人前で言えるとは・・・・・
非戦闘地域の定義を聞かれて、『自衛隊の派遣されているところが非戦闘地域』と言い切った小泉純一郎並みの論理や道徳水準で、今の世の中ではなかなか現れない久々の貴重な逸材であろう。

『ある事を証明するのが科学』

そして下らない一般論としてならきくち氏の、
>『ないことの証明はしない』というのが科学のルール。存在しない論理は反証のしようがない。』<
程度でも、この辺までなら至極まともである。

ところが、
>『「アポロは月に行かなかった」「9.11は米国の自作自演だった」といった陰謀論も同様の構造にある。』<
と、またまた不思議な論理の空中大回転を行うのである。
何と。!
菊池氏の脳内では、水からの伝言や血液型占い(無い事)を『信じるこ』と、事実であるかどうか疑わしいアメリカ政府公式発表を『信じないこと』は同等であるらしい。
何かを『信じる』ことと、何かを『疑う(信じられない』ことは幾等何でもイコールにはならないでしょう。
この論理展開が可能なら、全ての事柄でこの世には不可能なことは何も有りませんよ。
そもそも科学とは『何か』に対して『感動』し『不思議だ』と疑うことから始まるものですが、菊池氏の様に感動するだけで、何か(アメリカ)の権威を無条件で信じきる不思議な姿勢(反科学的態度)は、科学とは遠い対極の位置にいる思考方法で、何かの宗教(カルト)に極めて近い考え方である。

『証明責任はアメリカ自身の責任』

アポロも9・11事件も全ては当事者のアメリカに説明責任、立証責任が有り其れ以外ではない。
ところが9・11事件では主犯とされるオサマ・ビン・ラディン の訴追さえアメリカ政府は未だに行っていない。
9・11事件の洪水のようなアメリカ発のニュース映像は巷に溢れかえっているが、公式には肝心の犯人が誰かは(アメリカ政府には)判らないのですよ。(判っているが隠している?)
しかも自分(アメリカ政府)がわからない?事をアメリカは世界のみんなには信じこませ様としている。
これではマトモな常識が有れば誰でも疑います。
この構図はアポロ11号でも同じで、同じ映像が何回も繰り返し使われているが数々の可笑しい点にはアメリカ当局は沈黙を守ったきりである。(不思議を説明しなくても良いのは奇術だけである。政治や科学の世界では説明責任が伴う。)
しかもアポロでは40年前には世界同時中継された映像さえ今では失われ、行方不明で真相は闇の中になる。
これでは子供でも少しの科学的知識や常識が有れば『何か可笑しい』と感じるだろう。
戦争にまで訴えて大勢を殺したのであるから、証明責任はアメリカ自身の責任であり、今のように隠し立てして誠実に証明しょうとしないなら『疑われる事』はアメリカの自己責任で、当然の結果である。

『突然飛び出すインチキ臭い陰謀論』

きくち流の定義では、(疑わしい)『アメリカを疑う事は陰謀論だ』と何の脈絡もなく突然なるらしい。
しかも、きくち氏は自分のブログで何度も『9・11政府報告書を疑う事は、自動的に9・11で死んだ大勢の犠牲者を冒涜することになる』と主張している。
(きくち氏は9・11事件だけは物理科学者である自分の看板を忘れはて、突然ジョージ・ブッシュ・ジュニアと同程度の宗教者に変身しトンデモナク道徳的判断を恥ずかしげも無く下す。)
なるほど、成る程。きくち氏はこれが言いたかったのでしょう。

9・11事件直後にアメリカの報復戦争で殺された何の関係も無いアフガン人の数は9・11よりも遥かに多い。
きくち氏の主張は、何とも恥ずかしいアメリカ命のダブルスタンダードの極みであるが、それにしても、きくち氏は自分の論のいい加減さ、宗教臭さにに気が付かないのだろうか。?
イスラム教徒のアフガン人の命の重みは9・11犠牲者の命の重みとは比べられないとでも思っているのか。?

『オウムと科学』

>『オウムの“科学技術庁長官”だった村井秀夫は大阪大学大学院の修士課程を修了している』<
と至極マトモの発言である。
只その続きが、
>『科学を捨てて宗教をやるならまだわかるが、オウムのなかでニセ科学を行うことに、私は衝撃を受けた。』<
と、またまた事実を逆さまに描く空中大回転の曲芸を行う。
カルト宗教は数多有れど、世にオウムほど科学を存分に駆使したものは古今東西を通しても見当たらないだろう。
弱小教団でありながら、資金を惜しまず自前の立派な科学設備でサリンなどの毒物や覚醒剤を製造していたのはオウムただ一つしかない。
オウムはインド秘密仏教の流を汲み、男女の交合による愉悦による悟りの境地を得るなどの教義や、麻薬や覚醒剤などの薬物を使ったり、飢餓状態や断眠による幻覚幻聴などの宗教的なトランス状態を作り出していたが、何ともやり方が科学的なのである。
オウム得意の色々なパフォーマンスは全て化学の裏付けがあった。
例えば純粋酸素を信者に吸引させて血液中の酸素濃度を高めての水中座禅などは科学的な宗教ショウとして一時は盛んにマスコミにも取り上げられていた。
オウムがニセ科学しか使わなかったとしたら、覚醒剤もサリンも作ることは出来ない。

オウム信者達がニセ科学ではなく、正しい科学知識を駆使したから多くの被害者が出たのである。

『本当は怖い正しい科学』

『ニセ科学は時には間違って人を殺すかもしれないが、
正しい科学は確実に間違いなく、しかも大量に人を殺す事が出来る。』のです。だから怖い。
このことは昔のナチスドイツの蛮行を例にだすまでもなく、今現在の核兵器や数々の大量破壊兵器を考えて見れば、誰にでも簡単に理解できるでしょう。
オウム信者がカルトらしくニセ科学の色々、例えば教祖の入ったフロ水を呪いの呪文や拝んで毒物(サリン)に変えようとしたり五寸釘での丑の刻参りとか護摩をたいて呪い殺す等のニセ科学を行っていれば被害者は信者(教団内部)関係に止まり、一般の被害は殆んど出なかった。
『科学』のもつ『力』の源泉は、信じる者にも信じない者にも平等な科学の『普遍性』なのです。
『ニセ科学』は其れを信じる人の周辺だけに被害が限定されるが、『正しい科学』の悪用は信じるか信じないかにかかわらず全ての人々に大きな被害が及ぶ。

『菊池氏自身のニセ科学批判行為がニセもの』?

菊池氏のニセ科学批判自体がニセもので、真実ではなく本当に言いたいことは最期の方にさりげなく書かれている、
>『ニセ科学や陰謀論はカルトとの親和性が高い』<
ではないだろうか。?
きくち氏のニセ科学は単なる客寄せの撒き餌で、本当の目的は何か。?
何気なく、ニセ科学批判に混ぜる9・11陰謀論退治や、原発反対論者に対する悪意有る批判。
これが真の目的で、菊池氏としては日本政府やアメリカ政府の発言を信じないで疑う怪しからん連中が目障りで仕方が無い。
見ているだけでも苛立つのでしょう。
矛盾に満ち満ちたきくち氏の論の真の目的は、ニセ科学退治などではなくアメリカに仇なす陰謀論退治なのでしょう。
それなら何とも意味不明で支離滅裂なニセ科学批判のきくちマジックの不思議が何とか理解出来る。
しかしそれなら、この人物は、間違いなくニセのニセ科学批判者(何かの工作員?それともメディアを使った単なる愉快犯?)と看做されるだろう。
『科学』の権威を利用して善良な人たちを誑かす、不愉快で不真面目このうえない話であるが、菊池氏程度の何ともインチキ臭い話が人々に支持されるのは、如何に人々が『科学』や国立大学教授と言うような権威に弱いか、騙されやすいかを如実に証明している。

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6 コメント

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血液型で性格を性格に把握するのは難しい (カーク)
2009-05-09 15:20:54
菊池さんは私の同じ歳ですね。それから、私は19歳ぐらいのとき、能見正比古氏の血液型人間学にとても夢中になった者です。
でも、これは科学ではないです。
どちらかといえば、占いに近いものだと思います。
血液型はABO型だけではなくて、何種類も分類方法がある。極めつけは、骨髄の移植で血液型が変わることもあるという現実がある。
でも、研究するのは面白いとは思うのです。
血液型が性格にどのように影響するのか?
ただ、人の性格を科学的に分類するのはきわめて難しい。心理学では、性格分析にかなり苦労しているのではないでしょうか?
性格と血液型の関係を調べるには物理的な性格の指標が必要ですが、前述の能見正比古氏の血液型人間学では、そのスケールがあいまいでした。性格が、まじめだとか、おおらかだとか、そういうレベルなんですよ、笑ってしまいますね。
また、性格は、環境にも影響されるかもしれませんね、後天的。
だからとても難しい分野だと思うのです。
それを血液ABO型だけで、分類してしまうという今思うと、かなりの暴挙だといえますね。
何時の時代も同じ様なものが流行る (ブログ主)
2009-05-11 09:42:46
カークさん。コメント有り難う御座います。

昔は十二支の干支占いや干支により性格判断なんてものが有りましたが今ではすっかり廃れて、その代わりが血液型占いや性格判断になっているようです。
数千年の歴史がある干支による性格判断を迷信と言う人はいてもニセ科学などとは呼ばない。
しかし、干支も星座占いも血液型占いも、同じ様な構造で同じ様な近い使い方をされている同じ種類のものですね。
其れを、菊池氏のように物理学教授の看板でことさら科学と関連付けて『ニセ科学』と呼ぶ必要性が有るのか無いのか実に不思議。
しかも『ニセ科学』とは矢張り正当な『科学』と混同している人が大勢いることで初めて『ニセ』科学と呼ばれる筈で、一般の人達が単なる迷信とかお遊びと思っているならニセ(科学)ではない。
菊池氏等は水からの伝言とか血液型占いなどの子供でも判る程度の単純な構造のものを『ニセ科学』と呼んで非難しているのですが、彼らニセ科学批判グループは、一般大衆はこれ等を本当に科学だと信じていると思っているのでしょうか。?
『水からの伝言』も、電気冷蔵庫の無かった時代は美しい氷の結晶は言わなかっただろうが『美しい言葉(行い)が、美しい結果を生む』なら昔からの伝承、迷信(宗教)の類いで目新しいところは何も無い。

占いにしろ迷信にしろ、それ自体は科学ではないので『ニセ科学』と呼んでもあながち間違いとは言え無いだろう。
しかし其れが『何か意味が有るのか』と言えば何ともいえませんね。
しかし、これが一番良くないところですが、それ以外は彼らにとってはニセ科学ではないらしいのですよ。
だから関心がない。
彼らによれば少し複雑な構造のムペンバ効果などはニセ科学とは呼ばず『これからの解明が待たれる未科学』らしいですよ。
ニセ科学に騙されやすい非科学的態度の見本です。
だからニセ科学批判グループは、超能力やUFOや宇宙人、超常現象や破壊的カルトやオカルトは反科学とか非科学と呼んで勿論批判しない。
しかも自分が批判しないだけなら許せるが、何と、ニセ科学を広く定義してオカルトや超能力なども批判している大槻義彦名誉教授なんかは彼らにとっては仲間ではなく嘲笑の対象なのですよ。
子供だましの水伝や血液型占いなんかより何百倍も被害が大きいオカルトなどは未科学とか非科学としてお咎めなしで完全に無視する。
ニセ科学批判グループとは、社会的には何にも役に立たない何とも非科学的で不思議な連中です。
特に良くないのは教祖の菊池誠で、彼は子供でも判る程度の超簡単な構造のニセ科学しか非難しないくせに突然君子豹変、複雑を極め簡単には白黒が付けにくい社会問題や政治問題であるアメリカのアポロとか9・11事件とか原子力発電を疑う人々を口汚く非難する。
様は、『アメリカとも有ろうモノが北朝鮮のようなインチキするはずが無い』とか『アメリカが悪い事をするはずが無い』『権威あるものは正しい』と信じているのですよ。
あまりに非科学的で笑うしかないが、科学とかニセ科学批判とは関係ない、インターネットなどの新しいメディアを使った大衆に対する『何かの実験』をしているのかも知れませんね。
そういえば菊池氏は大学ではサイバーメディアセンターの教授をしています。
基本的に菊池誠の『ニセ科学批判』はペテンか悪質なプロパガンダの類いでしょう。
Unknown (コロンボ)
2009-05-16 11:25:37
福岡伸一郎や茂木建一郎も胡散臭いですよね
コロンボさんコメント有り難う御座います (ブログ主)
2009-05-16 16:27:54
何故かみんなが心酔する東京大学名誉教授で解剖学者の養老孟司さんなんかも可也胡散臭い。
発言が正しいかも知れないが若しかすると間違っているかもしれない。

唯、この人たちと菊池誠は大きく違っていますよ。
菊池氏は、ニセ科学批判で名を上げたが『ニセ科学と間違った科学は全く違っており、自分たちには其の違いが分る』と主張している。
ところが私を含め彼等(菊池誠信者)ニセ科学批判者以外の一般人にはその違いが分らないのですよ。
コロンボさんには『ニセ科学』と『間違った科学』の違いが(明確に)判りますか。?
何となくニュアンスの違いぐらいは私でも分るが、そんなこと(明確な違い)は誰にとっても無理なのですよ。
だから直接菊池誠に聞いたがヤッパリ菊池誠でも分らない。
方の『科学的間違いは悪では無い』の答えがこれですからね。
彼によると、
by きくち (2009-03-31 16:19)
>「科学的間違い」はニセ科学でもなければ悪でもないというのは、少なくとも「ニセ科学問題」に積極的にかかわっている人たちの間では共有されている考えだと思うんですけどね。
僕の「ニセ科学入門」にも書いてあります↓<

と、徹底的に逃げる。
こちらが聞いているのは間違った科学とニセ科学の違いですよ。
菊池氏によると、
>『「科学は間違うがニセ科学は間違わない」というのは、僕がかつて作った標語で、この件を端的に表現しています。』<
などと意味不明で陳腐な標語で逃げまくる。

菊池誠によると「科学は間違うがニセ科学は間違わない」が『ニセ科学』と『間違った科学』違いらしいですよ。
ふざけているのか何とも不真面目で、これでは駄目です。
何かの科学の定義などとは関係ないし誰かとマトモに議論する態度ではない。
こんな言葉で納得するのは彼のブログに集う菊池信者だけで、関係ない一般人は誰も納得させられないでしょう。
こんな態度では世間から単なるペテン師、三百代言と言われても仕方が無いでしょう。
同じ生物屋として (kaetzchen)
2009-05-16 19:01:21
養老孟司さんの講義を学生時代に受けて,今でも印象に残っているのは「生物学というのは厳密に「科学」の定義に収まらない」というお話でした.

一般的に「科学」「自然科学」と言うと,どうしても物理学中心主義に陥ってしまい,論理でがちがちに固めることに命を燃やす人が多くなります.実際の所,数学も含めて「論理学」から派生した「自然科学」は一つ間違うと「トンデモ」な「解釈」へと陥ってしまうことが多々あります.これが菊池氏の陥った,論理破綻なのではないかなと,私は傍で笑っています.

生き物を扱っていると,化学以上に「例外」が多すぎて,「暗記」に傾いてしまう人が特に学年が下がるほど多くなります.中学受験のゲンバなんてのがそうで,関西地方の中学では何と理科を外して国・算・社の3科目受験をしている所があるんだとか.要するに理科を「暗記科目」と見なしている「アホなガキや保護者」が,膨大な知識の量を「覚える」ことを拒否しているせいなのだろうと思います.でも,理科が好きな子供って,全然暗記なんてしていないんですけどね(笑)

要するに「多様性を認めない」から,養老さんの冗談を真に受けてしまったりする.彼は物凄く頭の良い人だから,実は冗談で学生や世間をからかっている処もありましてね.それを見抜く力のある人ならば,何だいつもの冗談かと,笑って見過ごせるのですけれど,冗談が通じない真面目な人は新手のトンデモかと誤解してしまう部分が大きいんじゃないかなと思います.
科学を暗記する馬鹿、暗記しない馬鹿 (ブログ主)
2009-05-17 09:10:14
kaetzchenさん、コメント有り難う御座います。

科学離れが言われて久しいが何故か。?
ニセ科学批判者が考えているような『世間にニセ科学が蔓延しているからだ』何かでは決して有りません。
其の逆で、
今の社会ほど『科学』が社会の隅々まで広く一般の人々に尊重されている時代も、科学の権威がこれほど高い(信用されている)時代も未だかってなかった。

お瑣末な道徳もどきである『水からの伝言』程度の代物が科学を標榜する時代ですよ。
今の社会では、科学でなくては何も進まず何も考えられない。科学なくして夜も日も明けません。
だから何でもかんでも『科学』の看板を必要としているし、科学的説明が付けば其れだけで権威が有る様に錯覚する。
今の世の中、科学なら誰も文句を付けられないのですよ。
だから『水からの伝言』はたまたま科学を名乗ったのであり、今とは正反対に『宗教』や『道徳』が社会的に権威があれば宗教や道徳を看板に掲げたでしょう。

そんな科学万能の世の中で、科学が嫌われる原因は、科学を(面白みの少ない)暗記する学問だと誤解している人がいるからでしょうね。
どんな学問でも暗記する部分は有るが『科学』(理科系)ほど暗記以外の部分の多いものはありません。
色々な不思議な現象があるが、大概は既存の法則や原理の応用や組み合わせみたいなもので殆んど解決します。
どんなに珍しく見えようとも本当の(今まで誰も知らなかった)『世紀の全く新しい原理、原則』何かは、文字どうり1世紀に一度程度の珍しい話で大概は今までの法則の延長線上の原理や原則の少しだけの書き換えや書き加えや組み合わせなのですよ。
だから原理原則の暗記力も大事かも知れないが、其の法則や定理の『応用力』とか『推理力』、視野の広い『判断力』なんかが一番大事になってくる。
様は頭が柔らかくないと出来ない学問分野ですね。

養老孟司さんの話や福岡伸一郎さんや茂木建一郎さんにも当てはまりますが、色々な話は『絶対に正しい』なんかと思って聞いていると大失敗するでしょうね。
あれは『如何に柔軟な発想が出来るか』、『如何に広く物事を考えられるか』と言うような頭の体操として聞くべき性質のものです。




(注)
菊池グループの意味の無い愚かなニセの『ニセ科学批判』のお陰で今や『ニセ科学批判』に対する批判は色々なブログでも取り上げられています。
この記事のかってのカテゴリー名は『水からの伝言とニセ科学批判・批判』だったのですが、真面目にニセ科学を批判しているapj さんも批判しているかのように勘違いされたので、
誤解のないように悪辣なたんぽぽ解同集団やたんぽぽ集団ほどには悪意は強く無いが自分が何をしているのか理解していない御馬鹿な菊池誠グループ専用である事が分るように『ニセ科学とニセのニセ科学批判』に変更しました。
彼らはいったい全体、何を目的に行動しているのでしょうか。?何ともはや、実に不思議な心象風景です。

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