哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

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『ALWAYS 三丁目の夕日』「家族の方へ―」

2006-06-25 | 映画
 『ALWAYS 三丁目の夕日』(以下、『三丁目の夕日』と略す)を観た。原作がマンガであるせいもあるだろうが、映画的というよりも、妙に漫画的な戯画化された映画だったと思う(例えば堤真一の「雷親父?」は、妙にキレた感じの怒り方をしたが、これは漫画的な表現からもさらにズレていた気がする)。世間では、映画賞で軒並み賞を獲った人気作だが、正直、私はあまりほめたくはない、と思っている。それにはいくつか理由があるが、まずはそのノスタルジーの中途半端さがあげられるだろう。この映画では、オレンジがかった色合いが映像の基調となりタイトルの『夕日』ともかけられ、音楽も当時のヒット曲がかけられ、さまざまな次元から「ノスタルジー」への志向がうかがえるが。その「ノスタルジー」は少なくとも筆者が共感できるものではなかった(もちろん、筆者がその時代の空気を知らなかったせいもあるだろうが、1958年を舞台にしたこの映画の観客のいかほどが、その空気を知っていたのだろうか)。それに優れた「ノスタルジー」とは、恩田陸作品のように、知らないはずの風景へのノスタルジーというデジャヴ的なもの、というあくまでも「虚構:つくられたもの」としての「ノスタルジー」のことだと私は考えている。私たちが「ノスタルジー」と語るとき、まるでそれを語りうる基盤としての「過去」が(現在に?)存在しているかのように思われるが、実際にあるのは「過去への志向」だけなのである。
 そして「ノスタルジー」を語るための重大な要素として、この作品では「家族」があげられて、「やっぱり家族だ」みたいな雰囲気が全体に漂っている。が、この映画の舞台となった年の5年前に、「尾道から東京に出てきた老夫婦が自立・結婚した子供たちに邪険に扱われて、結局死んだ息子の嫁だけがまともに付き合ってくれた」という「家族解体」を描いた小津安二郎の『東京物語』(1953年)が公開されていたことを考えれば、作中の1958年時点ですでに「家族の神話」は解体して(しかかって?)おり、まして現在という時点からすれば、明らかに社会認識において後退している、と指摘されても仕方ない(そして、戦後たった8年しか経たない頃に「家族解体」を描いた小津安二郎を私は「化け物」と恐れるしかないのだ。たまたま今日の『旅の香り』という番組で尾道特集が組まれ、その中で『東京物語』が「家族の素晴らしさを描いた」とかなんとか紹介されていたが、それはどんな誤解だろうか? もっとも、冷たい身内よりも温かい他人こそ家族だ、と言えなくもないだろうが、さすがに苦しいように思う。筆者は「家族」に、生活世界における共同の単位、という簡潔な定義を与えておきたい)。
 さらに(もうここまで来ると『三丁目の夕日』を楽しんで観た人には不愉快で仕方ないだろうが、私の意見を必ずしも真に受ける必要はない、と断っておく。ただし筆者としては、コメント全体についての責任はもつつもりである)、『三丁目の夕日』のキャッチコピーは「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」というものであるが、作中で人物たちはテレビ(東京タワー)や冷蔵庫などの新しい技術や製品をやたらと喜んでいたが、キャッチコピーとは矛盾していないのだろうか。どうにも中途半端な印象を受ける映画である。
 他にも、方言など堀北真希の演技はあまりよくないのではないかなど、気にかかる点はいくつかあるが、これ以上は作品への誹謗中傷にしかならないので、止めておく。総評としては、結局のところ何も表しきれず、何にもなりきれなかった映画ではないか、と私は思う。作品全体にどこかズレた感じが漂うのである。この映画の観方をあえて考えるとするならば、この映画は一つの時代に対するパロディであり、描かれていることは基本的にウソである。だから、そのウソをウソと自覚しながらも、家族はないよりはあったほうがいい、社会の共同性はないよりはあったほうがいい、という作品に対してメタ視点から注釈を自覚的に差し挟み、作品を宙吊りにしながら相対化して観ることである。というか、端的に『東京物語』を観ることを勧める。

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