扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

今いるとは。

2009年06月03日 01時36分20秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

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このブログの最後に、皆様に、「常に「今いる」ことを……」と締めていることについて書きたいと思います。

「今いる」とは、

私は、この言葉を使っているが、「いまここ」・「今在る」・「今の存在」など……

書き方が違うだけで、意味は同じこと。

この世には、「時間」の意味が二種類あって、二次的な時間と意識の中の時間

二次的な時間は、日にちや距離にかかる時間例えば、過去や未来・東京大阪間……


そしてもう一つの時間



意識の中の時間は






……










……










無い・・・







ってことなのですよ。ハァ?と思うかもしてないけど、今の繰り返しなのです。

過去も未来も無く、どこにも行かない。

今が連続的に行われていて、でも、ふと気づくとやっぱり「いま」しかないってこと。

「私」と言う存在は、「今ここにいる」ってことなのです。

「私は」とか「私の」とかは、エゴが作り出した幻想で、2次的な時間がないとエゴは出てこれない。


幻想に「気づく」ことが出来た時に「今いる」ことに帰ることが出来る。


「このままでよい」と感じ、安堵感に包まれることが出来る。


皆様に、常に「今いる」ことを……体験できることを信じて共に……