田舎道

東電の町から各町を転々と・・やっと終の棲家を決めました

梅雨前に

2023-06-09 10:06:32 | 大震災と原発事故

以前、夫さんと話してたことなんですが、

もうちょっと年を取ったら、あまり長距離(車運転)は難しくなるかもと。

それで来ていた下の息子と話していて、

「そうだ、今度三人で行こうか」

「もう行く機会もないし・・」

「行くなら、梅雨になる前がいいね」と。

 

それで先日行ってきました、故郷へ。

お花、お水、線香を準備して8時半過ぎ出発しました。

途中のスーパーの駐車場に10時に息子と待ち合わせ、

息子の車に移動して3人で向かいました。

うふ、ちょっと楽しいな・・

 

現在は受付などしなくてよくて、全部スルーして行けるようになりました。

入れるといっても、町の一部だけですが。

 

途中までは普通の暮らしができているような町もありました。

故郷に近づくにつれて道路の草木が伸びて、家に入るバリケードが見えないほど荒れている家々がありました。

町の駅に周りが復興拠点になっており、すぐ前は役場があってきれいになっていました。

歩いている人は・・・いませんでした。

整備されて道路が変わりに変わり、どこを進んでいいか迷うほど・・

まずお墓に行きお花と水をあげ、手を合わせてきました。

ここもどこにある??と探さないとわからないほど、工事が行われていました

次に我が家があった場所へ・・・

え~~~!!

ご近所の家が!ないよ!!〇〇さんちも!△△さんちも!

周りのご近所さん、ほとんど家がなくなってました・・・・

いつも見える高台の家々が、ほぼなくなってます・・・

みんな・・・どこで生活してるのだろうか・・・

 

我が家の空き地も草ぼうぼう

あ~~バラが~!!

 

・・・毎年咲いていたのだろうか・・・

見てあげられなくて、ごめんね。。

持って帰りたい!・・・でもそれはできない・・・

そしたら息子が下の方の枝を折ってくれました。

 

 

まえから解除されている隣町の道の駅へ。

結構な人達が来ており、各お店で賑わっていました。

でもそこを離れると、まだ戻ってないような家とか、壊れている家とかあって

戻っている人はどれほどなのかと・・・

 

かつて海が見たいと言っていた夫さんの希望を叶えるため

海に向かったが、道が変わってしまってわからず・・・

波打ち際まで行きたかったけど、ちょっと無理。

少し高台から、これで辛抱してくだせぇ~~と。

 

10時に息子と会い、一緒に地元へ向かい

11時前から地元をあちこち巡り、家を見て、隣町に行き一緒にお昼食べて、

最後海を見て・・・車の中でもいっぱいおしゃべりして、楽しかったぁ。

もう行かないかもしれないけれど‥でもまた出かけることがあったら、

また3人で行こう~ね。

 

 

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12年過ぎて

2023-03-12 09:15:43 | 大震災と原発事故

毎年この日が近づくころになると、テレビ、youtubeなどに震災当時、震災直後の映像が多くなります。

 

やっぱり、そういう画面で逃げきれなかった人達を思うと何とも悲しくなります。残された方々の思いが切ないですね。

私もやっぱりそして当時の事、寒い体育館で段ボールを敷いて寝ていたことなど、 外の水道水で髪を洗ったあの時の事などはリアルに思い出します。

ですが、我が家族親戚、一人も犠牲者を出さずに済んだこと、これは本当に神様仏様です。

そして避難場所を提供してくれた市町村の皆様、手を貸して助けてくれた自衛隊の皆様に感謝申し上げます。

 

ま、我が町の住民は県内県外にバラバラになりましたが。

なんで、同じ県内じゃだめだったのか。

今さら言っても昔に戻ることはありませんがね。

ぐちってみました・・・すみません。

 

全国方々からの応援支援等があり、ありがたく感謝申し上げます。

 

避難グッズは毎年9月防災の日に点検しています。

リュックの中身点検します。靴はベッドの横に常に置いてあります。

(下までいかなくてもその場で履いて逃げれる)

夫婦二人だけなのでね、もしもの場合を考えています。

 

さぁこれからも、元気でいられるよう、日々体を動かして、夫婦共々

ボケないよう、寝込まないよう、頑張って生きてゆきたいと思っております。

 

皆様もどうぞお体を大事にお過ごしくださいませね。

 

 

 

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震災から11年

2022-03-10 15:36:50 | 大震災と原発事故

ここ市内のコロナ感染者が減りません。

買い物したくないけれど、家に籠りっぱなしでは辛くなるし、混み合う時間をさけて行ってます。

 

そんな中、世界で大きな事件が起きています。

逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供達が映され胸が痛くなります。

次々と立派な建物にミサイルが命中し壊れてゆきます。

さらに原発近くに砲撃してると、 なんてことを~!と思わす大声上がてしまいました

続いて、チェルノブイリ原発が電源喪失と。

電源喪失という言葉を聞くと・・・ぞわぞわします。それで、11年も町に戻れてない私達・・・

何と恐ろしいことをするのか、人間を何だと思っているのか。

 

私達は日本に生まれ育って幸せです。

震災当時はどうしたらいいかわからず、毎日毎日大きな不安で過ごしましたが

本当に皆さんに応援していただき、声をかけていただき、今、こうして暮らせています。

日本の皆様に感謝です。

文句言ったら罰が当たります。

(たま~に、罰当たりな事をのたまう私・・・すんません<m(__)m>)

 

夫さんと共にこれからも元気に生きてゆこうと思っております。

皆さんもどうぞお体を大事に、元気で春を迎えてください(^0^)

 

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あれから10年

2021-03-11 19:58:36 | 大震災と原発事故

あれから10年になりました。

長かったような、あっという間だったような・・・

あの地震と大津波で大勢の方々が亡くなられました・・・まだ見つからない方々もおられます。

避難してる方々もまだおります。

1週間もしたら帰れると、そう思って避難しましたが・・・10年経ってしまいました。

 

10年と言うことで、ここ最近、当時の地震、津波、そして原発事故の映像が何度も流れました。

あの映像を見ていると、やっぱりあの当時の事を思い出してしまいます。

 

当時、主人も息子達もそれぞれ仕事で、義母家族、義姉家族とも離れてしまい一人で避難することに。

なので、同じ隣組の方と一緒にバスで避難しました。

一人なので、大勢で行動を共にしなければならない。誰か顔見知りの人といたいと。

あの時は・・・怖いとかはなくて、ただただ夢中、でした。

 

今考えれば、車で、ブーちゃん乗せて、主人の職場に行けばよかったのだ。

行けばなんとかなったかも・・・

1週間後、埼玉に移動する当日、主人と会えることになり、その後二人で行動を共にしました。

ようやくほっとしたのでしょう、私、避難所で大いびきかいて寝てたそうです・・・

ぶーちゃんにも辛い思いをさせてしまった・・・

 

5回ほど避難移動しましたが、今の場所に落ち着いて6年半になりました。

今、ここは海がないので津波が川を遡ってくることもありません。

原発もありません。

なにより一人じゃありません。大丈夫です。

皆さんにたくさんの暖かい支援いただき感謝申し上げます。

本当にありがとうございます。

少しでも長く、気持ちを元気に、生きて行きたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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こみ上げてくるもの

2020-03-11 16:23:09 | 大震災と原発事故


今日は義母の所へ行ってきました。
先月は車検などで行けなかったので、2か月ぶりの訪問です。
今日は義弟もいて4人で過ごしを、9年前のあの時の事を4人で話しました。


9年前、当時中学生、小学生だった義弟家族の娘たちも
昨年上の娘が結婚し、今年、下の娘が大学入試合格するなど
いろいろ変わりました。
それぞれが、明るい未来をみて頑張っています。
嬉しい事です。


帰り道、急に、ブーさんが蘇ってきてしまって、切なくて・・・
最後まできちんと看取れたけれど、
あの時、一人残されて、食べるものもなく辛かったろうなぁと・・・
思ったら、ばぁ~っと・・・涙、でした。

ご家族を亡くされた方々、どんなにどんなに悲しい苦しい思いをされた事か・・・
心よりご冥福をお祈り致します。


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義母と一緒に

2019-03-12 07:47:44 | 大震災と原発事故

いつもの月一回の訪問。

あいにくの雨で、早めに家を出て向かう。

 

 

義母さん、元気にしてました。

今日はちょうど震災から8年目の日。

あの日、義母の検査があり、午前中付き添って一緒に病院で過ごし、

お昼前に自宅の戻り、私は隣町に買い物に出かけていました。

そこであの大地震に。

親族誰も無事だった事に感謝しなければなりません。


着の身着のまま隣の小学校に避難、翌日そのまま故郷を追い出されて、8年。

子供たちと離れ離れになり、義母さん家族とも離れ、とても不安の日々が続きました。

その後、全国の皆様方のたくさんの大きな支援をいただき、徐々に落ち着き、

これからの事を見ることができるようになりました。

ありがとうございました。

感謝申し上げます。

 

 

 

今回の昼食は、お蕎麦にしました。

冷だれでさっぱりと。

好物の切り干し大根の煮物も持って行きました。

三人で、美味しく、楽しく、いただきました。

 

テレビを見たり、おしゃべりしたり、片づけたり、時間はあっという間に過ぎて。

また来月です。

元気でいてくださいね。

 

 

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何もなかった…

2018-09-08 14:07:37 | 大震災と原発事故

先日、夫と下の息子と三人で我が家の様子を見に行って来た。

この前の連絡で、家の中の荷物を取り出すと言っていた。

きっと家の中はがらんぽになってるのだろうと考えていた。

でももしかしたら・・・ないかも(家が)、という思いもないわけではなかった。

 

町に入ってびっくり。

業者がかなり入っているようで、あちこちに人やトラック、ショベルカーが。

あちこちに「解体中」の旗が揺れていた。

 

家は、我が家は?

まず夫さんの実家に立ち寄ってみた。

玄関、窓、開けっぱなしで家の中はぐちゃめちゃになってはいたが、家はそのままにあった。

 

さて続いて我が家の所へ。

・・・・・・・・

え???  え!!!・・・・ うそ!!

なにもない・・・なくなってる。。。

我が家がなくなってる!  

基礎だけ・・・・

 

何とも言えない気持ちだった。

「ここは、人と共に建てた、我が家なんだよ~~」の

「二人の息子達と泣いて笑って怒って過ごした我が家だよ~」

胸の中で絶叫した。

 

庭も,周りの木々も、畑も、倉庫も、車庫も、何もかもなくなっていた。

なくなっちゃった・・・

もうここに来ることはないだろう・・・・

 

最後に海に立ち寄った。

毎年元旦参りがあって、海まで息子達と3キロを歩いた思い出がある。

何もない寂しい海。

 

三人、言葉少なく帰路に。

仕方がないことだと思うが、胸が苦しい。

でも、今の家があるのだから、そんなこと思っていては罰が当たる。

もっともっと辛い人苦しんでる人がいるわけだから。

 

 

家がなくなっても、そこで過ごしたたくさんの写真と共に思い出は残っているのだから。

前を向いて生きなければならない。

 

 

 

 

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まだ先

2018-07-10 10:19:46 | 大震災と原発事故

建設会社より電話。

来週から家の中の物の、取り出しが始まるということです。

それで‥家の取り壊し作業は、別会社なので、その日にちはわからないと・・・

そういえば、主人の実家も中は取り出しグチャグチャのままで、家の取り壊しはしてない。

ということは、取り壊しはいつになるか、まだ先ということか・・・

なんかちょっと、ほっとした気持ちになっている私です。

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とどめ、というのか・・・

2018-07-04 10:55:28 | 大震災と原発事故

家の取り壊しの件で行ってきました。

6号国道はスムーズに走れるようになりましたが、町内には容易に入れません。

がっちりバリケードが設置してあります。

今回は建設会社と環境省の方が一緒に立ち会いということでした。

2、3人と思っていたが10人近く来てびっくりでした。

 

家の中に入ろうと勝手口の前に行ったら、ナント、ドアが壊されてる!!

イノシシが体当たりしたようだと。

ドアがへし曲がって、鍵が開かない~~!

男の方が無理やり中に入り、中から蹴り破って入った・・・・

中は・・・なんじゃこりゃ~~です。

壁や戸に激しく体当たりし、ドアをこじ開けた跡があちこちに。

棚から物をかっちらかし、ふりまわしたようだ。。

前回帰宅した時、きれいにしてきたのに。

なんなんだよ~・・・もう、あきらめろ~ってか?!

まるで、とどめのように・・・ため息しか出ません。

 

立会いを済ませ、二人残って最後の片付け。

タンスの中身は行く都度袋詰めしてきたので、ほぼカラです。

食器などは時間もなく無理なのでお任せしました。

いつものように、草ぼうぼうの庭を眺めながらお昼のおにぎりを食べました。

こういう事もなくなると思うと、ほっとする気持ちもあるけれど、

やっぱり寂しさの方が大きくて、口数少なく食べ終わりました。

 

取り壊しの一応の予定は10日後らしいです。

泣くから来ないと言ったら、「自分たちが苦労して建てた家なんだから、最後みてやってください」と。。。

もう~~今から、泣きそう。。。

 

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ようやく、落ち着いた

2018-06-24 14:25:39 | 大震災と原発事故

先日、半壊決定した我が家の件で電話がありました。

7月初めに、最終的な確認の立ち会した後、取り壊す事となると。

取り壊す事については了解してたのだが、ずっと後だろうと思ってました。

感じでは早くなりそうだと・・・

 

なんか、ショック・・・・悲しい・・・

ど~んと落ち込んで・・なぜか涙が・・・わかっていたことなのに。

 

夫さんと共に築いた我が家なのに・・・

息子達と共に笑って喧嘩した我が家なのに・・・

息子達思い出の故郷がなくなってしまう。。

 

胸が苦しくて、落ち込んで・・・苦しさまぎれで八つ当たり!

大声で夫さんを攻めまくり。

ぴーちゃんまで、ちょい当たられて・・

 

下の息子に電話して話す。

「帰らないんでしょ。だったら、それしかないよ」と。

除染もまだだし、廃炉まで何十年。待つことなんて無理。。

「取り壊す家、結構多いから、いつになるかわからないよ」と。

そういえば、夫さんの実家もまだだし友達の家もまだ。

それ聞いて、少しずつ落ち着いてきました。。。。

 

私達だけじゃないし、今ここに新たな我が家が出来ているのだから。

前を向かなくちゃね。

 

夫さん・・・すみませんでした。

ぴーちゃん・・・ごめんね。

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