田舎道

東電の町から各町を転々と・・やっと終の棲家を決めました

雨の中の一時帰宅

2018-04-26 11:57:35 | 大震災と原発事故

予報で雨というので、夫さんに、日にち変更してもらったらと何度も言っても

大丈夫、何だったら一人で行ってもいいよ、と。

 

いつもの一時帰宅なら、悪天候などの時は自由に変更することができますが、

今回は、家屋調査で町から立会い依頼の連絡があったのです。

雨だから言えば変更もできるだろうけれど、そこは、それ、ぶっ固い夫さんですから、

変更せず、でした。

肩痛い、腰痛い、足痛いといつも言ってる夫さん、一人で行かせる訳にはいかず・・・

覚悟を決めて(?)前夜か準備し、5時前には起きました。

全然平気だよ、大丈夫だよ、と言ってる夫さんですが、なんども目が覚めたと・・・

内心は緊張してるんだと思うのです、強いこと言ってるけどね~。

めんどくさくて、おっちょこちょいですが、迷助手として一緒に7時前出発しました。

 

弱くなったり強くなったりする雨の中、10時前に我が家に着きました。

まわりの田んぼ・・・これは・・・もう田んぼじゃない・・・

ひどいものです。

家の木も伸びて倒れ掛かってます。

 

町の方が来て調査は一時間ほどで終わりました。

半壊という判定のようです。

荒れた庭を見ながら、二人で昼食のおにぎりを食べました。

ここに住んでたら、デッキを新しくしたりして、同じくここで眺めていただろうか・・・

 

今回は雨で外回りはできず、個人情報が入った種類などを探し、持ち帰ることにしました。

私達のと息子達のも。7袋にもなりました。

 

またね~といつものように声をかけて帰りました。

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7年が過ぎて

2018-03-11 08:33:45 | 大震災と原発事故

あの日から、7年過ぎました。

皆様のご支援に感謝申し上げます。

 

遠い昔のように思うときもあるけれど、ついこの間の事のように蘇る事もあります。

 

この町で夫と二人、少しずつ溶け込むように、暮らしてきました。

徐々に慣れてゆき、落ち着いた生活を取り戻す事ができてきました。

落ち着くと、いろんなことを思うようになり、不安や心配事も多くなりました。

 

 

あの頃

夫は転勤族なので、家族でずっとまわろうと思っていたのですが、

ちょうど転勤で地元に戻ることになりました。

あの時、義母さんの上手い策略に乗せられて?近くに家を作ることになってしまいました。

近くには義姉さん宅があり、魔のトライアングル(笑)のようになったのです。

 

単身赴任で夫がいない時が多く、辛いとき、せつない時、泣きたくなる時、そして何もない時も、

義母さんちへ行っ足り、義姉さんちへおじゃましたり、良いトライアングルなのでした。

身内は一番、嫁は他人、とキツイ義母さんですが、一人っ子の私には一番頼れる所でした。

 

今は・・・みんな離れ離れ、遠くなってしまいました。

寂しい時があります。。。でも、県内ですから、何かあったら話もできます。

みんな、(元気じゃない人もいますが)なんとかやってるようです。

みんな、頑張ってます。

 

 

生かされた命です。

日々を大事に、感謝の気持ちで、夫と共に、これからも生きてゆきたいです。

 

 

 

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一時帰宅、今回は酷かった・・・

2017-10-15 15:04:46 | 大震災と原発事故

雨の日を避けて帰宅の申し込みをしたのですが、

残念なことに出発から雨・・・

それでも今回は下の息子が途中から参加するので気分は良い(^^)

一番先にお墓参りして、次に家に着く。

ヒヤ~~ススキが覆いかぶさり玄関に行けない・・・

それより、家の中に入ってびっくり!

あいや~~なんだこりゃ~~・・・

よく回りを見てみたら、どうも近くの窓から入ったみたい。

網戸が壊されていた。

前回、戸は閉めたが鍵は掛け忘れたようだ・・・

この細~い小さな指あと・・・何の動物だろう?・・・

 

雨の中息子が草苅始まった。

腰痛めてるので、しなくていいと言ったのだが、火が付いてしまったようで・・・

私もやるっきゃない。

防護服着てるから、蒸れるし、暑いし、汗が流れるし、足は滑るし、雨は降るし、

仕舞にゃタオルでほっかぶりして刈りました。

お昼は、家の中で食べました・・・

ほら、きれいになりました。私達だけなら、こんなに出来なかった。

 

汗だく、泥だらけになっての作業だったけど、

息子となんだかんだ言いながら、楽しかったな・・(^0^)

もう少しきれいにしたかったけど、時間が迫っていたので、やめました。

もう一回来たいと思うけれど、どうなるか・・・

 

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故郷も春だけど・・・

2017-04-26 08:41:45 | 大震災と原発事故

4月22日、一時帰宅してきました。

町に入っても、閑散としてます。

 

お~~い…家が、見えないぞ~・・・

 

相変わらず、完全防備ではいります。

着るのも慣れたものです。

 

今回は、仕分けした廃棄物をゴミステーションに運ぶことです。

昨年秋に行ったとき、袋詰めしておいたもの(12~3袋)

今回、新たに詰め込んだものを、みっちり詰め込み、車で4回も運びました。

疲れました・・・

 

東側のフェンスが倒れてました・・・

 

花が、けなげに咲いてました・・・

 

 

今回は私が風邪をひいてまして、途中身体がだるくなってしまって

十分片付けができなくて、残念な思いです。

 

次回は、たぶん、秋になるかも。。。

 

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もう、6年・・・

2017-03-11 21:30:43 | 大震災と原発事故

あれから、6年過ぎてしまいました。

 

 

 

あの大震災の夜、すぐ隣の小学校へ避難し、顔なじみの方々と話してました。

 「家の中、ぐっちゃぐちゃだよ~明日から片付け大変だよね~~」

「食器棚倒れたのよ~明日は一家で片付けしなきゃね~」

 

明日から、明日は、  みんなが明日を思い、時々起こる地震に脅えながら夜を過ごしました。

その明日は・・・・突然の町民全員避難。

夫や、息子たちと、連絡も出来ぬまま・・・・

いつかは会える時が来ると信じつつも先が見通せず、ただ不安で不安で・・・

今でもあの時の事を思い出すと、胸が苦しくなります。

 

先日、義母さんの所に行った時、あの時の話が出ました。

「明日から、足の踏み場もない家の片付けしなくちゃなんない・・と思ってたのに、

 その日から、帰れなくなっちゃったぁ・・・なんだか、夢見てるみたいだよ、今も・・」

本当に・・・夢のような・・でもこれ現実なんだものね。

80年もあの町で生まれ育ち、結婚し子育てし、一度も町を出た経験のない義母にとって

知らない町でも生活は、心細く、今も町に慣れないようです。

災害の翌日、家を出てから、ずっと今日まで・・・これからも。

 

 

今日は震災時の事を思い、亡くなられた方々のご冥福を祈りました。

 

明日からは、また夫と共に、喧嘩もしながら仲良く過ごせたらと思っています。

出来る事を、好きな事を、楽しみながら、日々を過ごしたいと思います。

 

 

 

 

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一時帰宅

2016-10-31 14:46:46 | 大震災と原発事故

4か月ぶりに我が家へ行く。

前と変わった事、道路にこんな旗が?

止まってよくみたら、ここ場所の線量値。

エェ~!赤旗は線量が一番強い!・・・ヤバっ、はやく離れよう~!

 

町に入ると、震災当時のままの倒れた家が・・・

我が家に近づくと

黄緑、ちょいほっとします。

我が家へ

おわぁ~・・・・ひと夏過ぎたからね・・・凄い事になってるとは思っていたが・・・

 

 

ススキの中の我が家・・・

玄関まで、刈らないと行けない。。

今回は物置の戸は閉まっていました。(以前は戸が倒されたり、開けられたり)

この前のままで、きれいに・・・ふう~ん・・・何も来ないのも、なんか寂しい気が??

今回は捨てるものの分別。

ビン類、缶類、燃えないもの、燃えるものに分けなくちゃならないので。

箪笥に残ってる物もザックザック袋に入れてまとめて。

物置に入れて置いた、皿類、鍋類、捨てるの勿体なくて、きれいに洗って使おうと持ち出しました。

(帰りのスクリーニング所で検査してもらいます)

二人で本気になりやりました~防護服着てるので、暑いっちゃ~!

 

二階から見た景色。

田んぼがず~っと続いていた所は、一面、ススキが・・・

 

「来年、また来るからね~~頑張れよ~~」と家に向かって声をかけて帰りました。

頑張れよ~って言ったって・・・処分するしかないだろうし、

どう処分すればいいのか・・・まだ決まらないし

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一時帰宅

2016-06-28 07:52:10 | 大震災と原発事故

年に二回は、家に戻らなくてはと思っています。

先週末、半年ぶりに我が家に行って来ました。

高速を使って2時間ちょっとかかりました。

雨上がりで、青空も見え清々しい季節の中を行きましたが、

いまいちテンション低く…気が重たい・・・

 

我が家に着いて。

わぁ・・・・・・・・・・

 

ススキなどの雑草が庭中に大きくなって・・・・

 

前の時、しっかり物置の戸を閉めて確認してきたのですが、

またも、しっかり戸が開けられ、樽、ざる、ポリタンク等々が散乱してました・・・

 

今回は庭先に散らばってしまったごみを、燃えるゴミと燃えないゴミを分けて、

いつでも出せるようにしてきました。

あと、タンスの中の物を整理しようと、思い切って袋詰めしてきました。

・・・ずいぶんあるなぁ~・・・まだまだいっぱい・・・

押し入れには布団、毛布、座布団・・・物置には食器類、鍋類等々。

あぁ~あ~やんだくしっちゃう~~(--)

 

家の中の物を分別して出してって言うけど、これだけのものを・・・とても無理、そう・・・

家族揃ってやろうとしても、それぞれ離れているし・・・

連絡しても、たぶん「全部処分していいよ」って言うだけだろうし・・・

 

 いまだに防護服に着ての作業なので、汗ぐっしょりになります。

休憩しながら、みんなどうしてるのかな~とご近所を眺めました。

家族みんな遠く離れてしまって、草に覆われて残されたの家、家、家。

寂しい気持ちです。

 

夫さん裏の草木を切っていたら、急にアラームが鳴り数値が上がったそうです。

高い場所があるようです・・・

 

3時間ほどいて戻りました。

今年は、あと数回戻ろうと考えています。

 

 

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五年が経って

2016-03-11 14:09:55 | 大震災と原発事故

あの日から五年がたちました。

亡くなられた方々、行方不明の方々、心から御悼み申し上げます。

 

私には、もう五年も過ぎてしまったのかと感じます。

親族誰も欠けずにいられたこと、何より幸せだと思います。

まだ仮設生活を余儀なくされてる方々、一日も早く少しでも広い家に入れることを願っております。

 

息子たちと、少し遠くなったとはいえ、県内とお隣の県、

まだまだ楽勝です。

 

夫は定年退職となり、ずっと一緒にいられるようになりました。

夫婦だけの暮らしですが、一人暮らしの時がありましたので、今の生活はとても安心していられます。

二人、前を向いて、歩いてゆきます。

 

みなさまの 支援、応援をいただき、本当にありがとうございます。

感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

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一時帰宅

2015-04-27 18:49:03 | 大震災と原発事故

一時帰宅してきました。

前回行った時は、昨年11月で山を越える道は紅葉で綺麗でした。

今回は新緑の山々が迎えてくれました。

 

今回は・・・家の周りが酷いことになってました。

着いてすぐに気づいたのは、外に置いたゴミ入れの箱が崩れて中のゴミが散乱してたこと。

これは、ま、しかたない。片付ければいいが。

続いて目に入ったのは、物置の前の散乱!

うわっ!なんだぁこれ~??

戸をよく見ると、中に斜めに外れてる!!

これは!!・・・・・・

夫さんいわく、動物が体当たりした後じゃないかと・・・

よく見ると、中に置いてあった冷蔵庫のドアが引っかいたような泥が残ってた・・・

いのししか?・・・・・

 

そして家の中に入ろうとしたら、すーっと開いた!・・・・

え~~!そんな~!前回の時はっしっかり鍵をかけたの確認したはずなのに!

そ~っと中に入って見たら、台所の戸が開いていた!・・・・

帰るとき全部閉じてきたはずだよな・・・・

うわうわうわぁ~これは・・・人、かも・・・やだよぉ(><)

部屋中見たけれど、元々荷物が山になってるから、盗まれたどうかもわからない・・・ 

 

がっかりだが、いつまでもそうしていられない、散らかったものを片付けてゆく。

夫さんは、庭の伸び放題の草を刈ってくれた。

何年も前に植えてた花が、雑草の中でけなげに咲いていた。

 

町中を走ると、朽ちて傾いている家があちこちで見られた・・・

町がだんだんひどくなってゆく・・・

我が家も屋根の瓦が一つなくなって穴があいていた。

朽ちて行くのをみているのは辛いなぁ・

次回は・・・秋かな・・・・まだまだ行くからね~(--)

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あれから四年・・・

2015-03-07 21:56:34 | 大震災と原発事故

あれからもう四年も過ぎてしまった。

無我夢中だったので、あれこれ考える暇もなく過ぎた感じがする。

 

 

あの時

震災直後には、長男が仕事から戻る途中に避難場所で会い無事を確認。

主人は一時間以上かかって仕事場から抜け出して来てくれて、避難場所で会う。

下の子は家のお勝手口にダンボールに「無事」の書置き。

 

それぞれが無事だった事は確認したが、そのあと、東電事故で散り散りになる。

私はみんな(主人の実家)とはぐれ一人になり、お隣さんと共バスで避難する事に。

今、落ち着いて考えれば、あの時、主人の職場に向えば・・・

主人の職場のある町にも避難場所があったはずで、そこに向えば離れ離れにはならなかったのに・・・

 

どうなるかわからず、不安な気持ちのままバス移動した。

震えるほど不安だけど、いずれまた家には帰れると信じて、それだけでみんなと行動を共にした。

初めておにぎりが出された時、お腹はすいているのに、飲み込めなくて・・・・水で流し込んだ・・・

日に日に悪化して行く東電。

体育館でみんなでテレビをみながら、これから先どうなってしまうのか、不安の毎日だった。

置いてきたブーさんの事を思い、どうすることもできず、一人泣く。

 

そして、埼玉に行かなければならなく時、どうしよう、どうしようと一人あせった。

当時、主人は病院の事務員、今どんな状態か聞かなくてもわかるのが、たまらず夜中に電話したっけ・・・

 

なんというか、神様仏様のおかげで、埼玉に行くバスにのる直前に救われた。

その後は親戚にお世話になり、一ヵ月後には主人と一緒に住むことができた。

 

今思い出しても、移動するバスの中の事、体育館でダンボールの上に毛布をかぶり寒さと不安で震えながら寝たこと、

思い出すと今でも胸が苦しくなる。

 

東電は廃炉に向けての作業が始まっているが、汚染水漏洩など事故が続いている。

わが町には中間貯蔵施設が出来る事になる。

帰りたくても、帰れない。

 

 

汚染される前の空・・・

 

 

親族、みんな離れ離れになってしまったけれど、みんな無事だった事を思えば幸せだ。

いつまでもグチばっかり言って暗くなっていてはいけない。

それぞれが、その場所、その場所で頑張って行かなければ。

 

まだ仮設住宅の住まわれている方も多くいます。

何とか、復興住宅などに入れるように、小さな希望一つでも見つかるように、心から祈ってます。

 

これから先、まだまだいろんな事、困る事、いっぱいあるだろうけれど、なんとか主人と二人で頑張って行きたい。

一日を大事に、前向きでに生きて行こうと思っている。

 

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