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清朝崩壊から110年がたっても、中国は依然「皇帝政治」のあしき伝統から脱出できそうもないし、健全な民主主義国家になる見込みも全くない。

2022年01月06日 17時55分21秒 | 全般

以下は今日の産経新聞に掲載されていた石平さんの定期連載コラム、China Watchからである。
見出し以外の文中強調は私。
「新皇帝元年」となるのか
今年の元日は、中国近代史上記念すべき節目の日である。
今から110年前の1912年1月1日、中国最初の共和制国家である中華民国臨時政府が成立し、「近代」という時代が始まった。
同年2月12日、最後の王朝である清朝の皇帝が退位し、秦の始皇帝が確立した伝統の皇帝制度は名目上において消滅した。
それ以来、長い閧、多くの中国人は民主主義的近代国家の建設を目指して努力してきたが、今から見れば、これらの努力はほとんど失敗に終わった。
中国という国は現在でも、古色蒼然たる独裁国家のままである。
しかも、これまでの中国近代史において、皇帝制度の復活と事実上の「皇帝政治」の登場もあった。
清朝皇帝退位から4年もたたない1915年末、中華民国を乘っ取った袁世凱という軍閥のボスが「中華帝国」を創建し、自ら皇帝として即位した。
幸い、袁世凱の帝政復活劇は革命勢力の抵抗によって頓挫し、「中華帝国」は数ヵ月の短命に終わった。
しかしこれで「皇帝政治」が中国から消えたわけでは決してない。
袁世凱の帝政復活から34年後の1949年10月、毛沢東という人物が清朝宮殿の正門である天安門で今の中華人民共和国の建国を宣言した。
彼はまさにその瞬間から「皇帝」という称号を持たない事実上の「新皇帝」となった。 
それ以来97年間、中国共産党による一党独裁の支配体制の下で、毛沢東は皇帝並みの独裁者として中国に君臨し、ほしいままに「皇帝政治」を行った。
「毛沢東皇帝」の圧政下で中国人民が未曽有の地獄へと落とされたことは周知の事実だが、その一方で毛沢東は開国皇帝らしく、建国の功臣たちに対する無慈悲な粛清と殺戮を繰り返した。1976年に毛沢東が死去すると、2度も粛清されたものの生き残った功臣の鄧小平が実権を握り、「鄧小平の時代」を始めた。
自らも毛沢東「皇帝政治」の被害者となった鄧小平は「皇帝独裁」の再来を防ぐために2つの政治制度上の改革を行った。
1つは「集団的指導体制」の導入で、もう1つは「最高指導者の定年引退」というルールの確立である。
鄧小平の亡き後も、江沢民政権と胡錦濤政権はおおむね、鄧小平の確立した制度とルールにしたがって政治を運営し自らの進退を決めた。
しかし、2012年秋に今の習近平政権が成立して以来、鄧小平による「脱皇帝政治」の流れは中断され、中国の政治はむしろ、毛沢東時代への逆戻りの様相を呈し始めた。
政権の座についてからの9年間、習近平国家主席は「腐敗撲滅」の名を借りた粛清と恐怖政治を行って自らの個人独裁体制を確立し、強化する一方、憲法を改正して国家主席の任期制限を撤廃し終身主席への道を開いた。
そして今年秋に開催予定の共産党大会に向けて、習主席は「2期10年」という鄧小平時代以来の共産党総書記の任期制限を破って第3期への続投を図ろうとしているのである。
党内反対勢力の抵抗もあって、習氏のもくろみが首尾よく成功できるかどうかは不透明だが、もしそれが成功したら、彼は確実に毛沢東同様の終身独裁者となって中国に君臨することとなろう。
そしてその意味するところは、毛沢東並みの「新皇帝」が再び誕生するということである。
清朝崩壊から110年がたっても、中国は依然「皇帝政治」のあしき伝統から脱出できそうもないし、健全な民主主義国家になる見込みも全くない。
「習近平皇帝」が誕生した暁に、われわれとして真剣に考えなければならないのは、この「新皇帝」が周辺国にどのような脅威と災いをもたらすか、である。

 

 


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