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谷野作太郎元局長は天皇訪中に動き河野談話も主導した …天皇政治利用を伏せた谷野氏

2022年01月29日 18時00分18秒 | 全般

以下は今日我が家に届いた定期購読専門月刊誌テ―ミスに掲載されている高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
「外交文書」公開でわかる日本を貶める外務官僚
谷野作太郎元局長は天皇訪中に動き河野談話も主導した
天皇政治利用を伏せた谷野氏
外務省が旧臘、30年前の外交文書を公開した。
先日、鬼籍に入った海部俊樹が首相だった頃だ。
各紙は数多の公開文書の内、かなりばらばらな題材を選んで紙面化していたが、それが結構、その新聞のカラーを出していて笑えた。
例えば、産経新聞は天安門事件(1989年)に対する海部政権の「あまりにも支那寄り」の対応を指摘していた。
初耳だったのは海部が欧州各国の首脳に「経済制裁は支那の民主化につながらない」と説得して歩いたことだ。
支那が民主化などするわけもない。
小沢一郎の指図といわれるが、海部も最後の仕事は、清華大のシンクタンクの顧問だ。
本人が本気の媚中派だった。
支那人はそういうのを見逃さない。
天安門事件の火消しのために、翌年には呉学謙副首相が天皇訪中を打診してきた。
ところが、この天皇政治利用を、同席した外務省アジア局長の谷野作太郎が「独断で伏せた」と公開文書にある。
「今、公表すれば日本人の総スカンを食い、訪中は実現できない」という、もう完全に支那側に立った判断だった。
かくて国民の知らぬ間に天皇訪中が実現していった。
支那は天皇を使えたことに自信を持ち、媚中派を操って日本にたかり始める。
巨額のODAに加えて日本人の知恵を盗み回り、ひたすら肥大化した。
そして今のグロテスクな習近平政権が生まれた。
しかし、支那人に感謝の念はない。
天皇をお迎えした首相の李鵬はその2年後に「日本などもう30年もすれば消えてなくなる」と放言した。
ちなみに、谷野作太郎は次の宮澤喜一内閣で、嘘の塊の「慰安婦強制連行」を史実に仕立てて河野談話の形で発表し、日本人を汚辱に塗れさせた。
この人は絶対いい死に方はしない。
憲法を改正しない日本の責任
朝日新聞は、支那絡みは出さず、代わりにイラクのクウェート侵攻から湾岸戦争に至る日米関係を取り上げていた。
もう冷戦も終わり、日米安保の意味も薄れたこの時期、米国は逆に米軍駐留経費の日本側負担を増額させた。
それだけじゃない。
湾岸戦争が現実味を帯びてくると「多国籍軍に参加しろ」と脅してきた。
「いや、軍隊を送りたくとも米国が押し付けた憲法で無理でしょうが」と申し開きをすると、それは「米国の与り知らない話だ」と突っぱねられた。
公開文書は触れていないが、あのころの消息筋の解説によると「米国は過去に占領したフィリピン、キューバ、パナマにも米国製憲法を押し付けたが、それらの国は主権を取り戻すと即座に米国製憲法を捨てた」
「しかし日本は半世紀もあったのにまだ抱えている。
それはもはや日本自身の責任」と反論された。
多国籍軍参加拒否の理由に「大昔に米国が押し付けた憲法」を持ち出してもいい訳にもならないという意味だ。
ついでながらトランプも、同趣旨のことをいっている。
それで海部は多国籍軍に軍を出せない落とし前として最終的には1兆5千億円(130億㌦)を支払った。
それでも英国は少なすぎると文句を付けた。
個人的にいえば、憲法に関係なく、日本はイラク叩きに反対すべきだった。
なぜなら拙著『サダム・フセインは偉かった』にも書いたようにサダムは大した男たった。
イスラムの戒律から国民を解放し、女性のチャドルを脱がせ、教育を与えた。
ユネスコは中東の近代化を実現した人として彼を表彰もしている。
因みにサダムの好物は、豚のスペアリブとワイン。イスラムとは完全に縁を切っていた。
サダムに倣ってシリアのアサドもリビアのカダフィもアラブの近代化を図ったが、西側の報道は真逆を伝え続けた。
サダムは確かにクウェートを侵略した。なぜならクウェートはアラブ人の国ではなく、英国の「クウェート石油会社」だったからだ。
その辺のアラブ人を王様に据えて石油収入の一部をやって、アラブ人国家のように装った。
在日の指紋押捺の廃止を要求
だからイラク軍が侵攻したとき、クウェートには実に3千人の英国人がいた。
その脱出のため英国はすぐに特殊空挺部隊「SAS」を出動、救出した。
多国籍軍とは英国の財産を取り返すための文字通りの暴力装置だった。
そういう事実を隠して英国が日本に「もっとカネを出せ」とは聞いて呆れる。
サダムはこのときは生き延びたが、その10年後、米国は9.11テロを囗実に再び戦争を吹っ掛け、サダムを殺し、次いでカダフィも殺した。
よさそうにいわれた「アラブの春」の真の姿だ。
日本はそんな英米に対して130億㌦も貢いだ。
支那に貢いだ3兆円のODAに比べれば2分の1でしかないが、なんとも情けない話だ。
公開外交文書にはもっと日本を甞(な)めた1件もある。
対韓国外交だ。
韓国は日韓条約以来、10年ごとに10億円をたかるのが形になっていたが、この当時、慮泰愚が仰天の要求を出した。
日本は彼が大統領選に出たときに、バーレーンの日本大使館員が捕まえた金賢姫の身柄をくれてやった。
ために北朝鮮の日本人拉致の解明が20年以上も遅れてしまった。
それに加え、慮泰愚か新たに要求したのが在日の指紋押捺の廃止だった。
日本人は取られないのに、なぜ韓国人は取られるのか。
日本人と同じ待遇にしろという要求を海部は愚かにもOKした。
それが発効して、すぐ世田谷一家4人殺しが起きた。
韓国製のスニーカーを履いた犯人は100以上の指紋と掌紋を残したが、慮泰愚のせいで照合する指紋がないまま、今も未解決だ。
相手国の国益をまず考える日本政府の姿が公開文書に並ぶ。
その結果、日本人が苦しみ殺されていることを考えたい。

 

 


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