文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

ソマレ氏は村の子供たちを集めたその学校で、「文字を書けるようになり、本を読めるようになったらどんなに人生が変わるかを柴田中尉から教わった」と仰っていました

2019年03月06日 10時24分09秒 | 日記

先ほどまでgooの検索数ベスト10に入っていた章である。
以下は前章の続きである。
慰霊は首相の責任
有本 
政権発足後、「地球儀を俯瞰する外交」というコンセプトで、70か国以上を精力的に訪問されてきた
総理が、2017年は特に欧州との関係構築にフォーカスされているように思いました。 
総理の外遊先での詳細が、日本国内ではあまり報じられないことは残念なのですが、5月27日にはマルタを訪問され、100年前に当地で勇敢に戦って斃れた日本人兵士への慰霊をされています。
本誌1月号で、谷口智彦内閣官房参与がお書きになったエピソードは感動的でした。
安倍 
マルタでは、旧日本海軍戦没者墓地を訪れました。 
第一次世界大戦において日本は連合軍に属しており、日英同盟によりイギリスから協力要請を受けて地中海に派遣された日本海軍艦隊は、連合国軍輸送船団の保護の任を与えられ、当時、イギリス統治下にあったマルタに基地を置きました。 
1917年6月11日、クレタ島付近で作戦中の駆逐艦「榊」は潜水艦の攻撃を受けて大破し、艦長の上原中佐以下、59名が戦死。
戦病死者12名を加えた71名が慰霊碑に祀られています。 
日本では第二次世界大戦のことは覚えていても、第一次世界大戦のことは忘れられつつある。
当時の日本軍は規律正しく、各国から高い評価を受けていました。
このような歴史も、特筆されるべきだろうと思います。
有本 
総理は外遊の際に世界各地で旧日本軍はもちろん、他国の方々も含めた戦没者の慰霊をよくなさっていますね。 
マルタのことで谷口さんがお書きになっていましたが、1921年に当時皇太子だった昭和天皇が訪問されて以来、日本の要人が訪れたのは初めてだったとか。
このご訪問は総理の発案ですか。
安倍 
前々から行こうと思っていました。
マルタだけでなく、慰霊すべき場所があれば、外遊の機会に合わせて日本の首相の責任として訪れています。
2014年にはパプアニューギニアを訪問しましたが、ニューギニアも第二次世界大戦で日本軍が戦った激戦地です。
ウエワクにある戦没者慰霊碑は、地元の方々のご厚意で綺麗に整備されていました。
地元の方々は非常に親日的で、私の訪問日を休日とし、島じゅう総出の大変な歓待を受けました。 
会談した前首相のソマレ州知事が8歳の頃に日本軍が進駐したのですが、ソマレ氏はウエワクに赴任した柴田幸雄中尉が作った学校の教え子だったのです。
ソマレ氏は村の子供たちを集めたその学校で、「文字を書けるようになり、本を読めるようになったらどんなに人生が変わるかを柴田中尉から教わった」と仰っていました。
教育を受けたことによって自分は首相になれたんだ、と言うのです。
その後の2015年に、ソマレ氏は旭日大綬章を受け、その際には、ご存命だった柴田中尉の奥様のもとを訪問されたと聞いています。
この稿続く。

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