文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

こういう学者先生は、自国にネガティヴであることが、良心的日本人の証しと思っている。そしてあたかも自分が高級な知識人であるかのような態度をとる。

2024年06月23日 12時30分03秒 | 全般

2020/6/20
月刊誌正論今月号で読み残している箇所がたくさんあった。
今朝、平川祐弘さんの連載(長文である)を読んでいた時に、これは今の中国そのものだな、と思った箇所があった。
最後に平川さんがまとめて掲載している註の中に、私の思いが正鵠を射ていた事を証明する箇所があった。
本稿では、それらの箇所と、日本国民全員が知るべき箇所を抜粋してご紹介する。
平川さんの論文は日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。

インドネシア独立とオランダ 
1942(昭和17)年3月1日に日本軍がジャワ島に上陸するや、オランダ軍は実質的な戦闘を交えることなく3月9日に降伏した。被害はもっとも少なかったはずだが、その蘭領東インドで敗戦後、日本軍人がもっとも多く(225名)処刑された。
なぜか。
そのオランダの重刑主義についてジャワ攻略の最高司令官で、その後はジャワ軍政の最高責任者となった今村均将軍は『回顧録』にこう説明している。  
他の連合各国は、ともかく日本を打倒したという勝利の誇り、満足感をもっている。……しかるに オランダの場合は、終戦後英豪軍により取り戻された蘭印諸島を引き渡されたにすぎないから、直接日本軍の上にのしかかりこれを圧倒した優越感は遂に味わい得ないで終った。
自然、鬱血は散らず、溜飲は下らない。
この民族的物足らなさが、戦争犯罪軍事裁判の形の上に報復感情のはけ囗を見い出したのである。
かようにして被害の最も少なかった国が、最も残酷な処刑を行なったのである。
註3。 
緒戦における米英蘭軍の敗退にともない各地で独立運動は加速した。
インドネシアでも原住民の独立運動は、日本の降伏後もさらに強まる。
それを抑えようとして、戻ってきたオランダ軍が、各地で見せしめのためにも軍事法廷を開いたことは、容易に察しがつくだろう。
日本のミッション系大学の教授でインドネシアでは日本軍の残虐行為がとくにひどかったからに相違ないと現地調査に赴いた「良心的な」人もいた。
こういう学者先生は、自国にネガティヴであることが、良心的日本人の証しと思っている。
そしてあたかも自分が高級な知識人であるかのような態度をとる。

*NHKの報道部を支配している人間達と全く同等の態度である*

しかしそれは誤解を深めただけではあるまいか。 
英国人の日本研究者イアン・ニッシュ教授の説明によると、英国植民地に居た英国人は、子弟を教育に送り返すなど、本国との関係を切らずにいた。
それだから、植民地喪失後も本国への帰還がまだしも容易だった。
それに対し蘭領東インドに住みついて歴史の古いオランダ人は、故国との縁が切れて現地で裕福な生活をしていた。
それだけに引揚げ後も、本国で定住する際、辛い目に遭った。オランダ人の怨恨が深いのはその事情によるという。
オランダの王室関係者も、日本皇室関係者にその憾(うら)みつらみを囗にするらしい。
それなら日本の皇室関係者も、そろそろ誰方かオランダの方に「インドネシアは独立して結構ではございませんか」と穏やかな言葉でご挨拶して良い時期なのではあるまいか。


2023/6/10 in Osaka


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