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臆病なのに勇敢を気取るマッカーサーは人でなし…「A級戦犯の遺体は焼いて灰は海に捨てろ」と命令していた!

2021年09月01日 22時01分43秒 | 全般

以下は今日、我が家に届いた定期購読限定月刊誌テ―ミスに掲載されている高山正之の連載コラムからである。
本論文も、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
臆病なのに勇敢を気取るマッカーサーは人でなし
「A級戦犯の遺体は焼いて灰は海に捨てろ」と命令していた!
日本に負けるのは屈辱だった 
英紙『ザ・タイムズ』特派員だったヘンリー・ストークスが著書『連合国戦勝史観の虚妄』で、「数百年、常勝の大英帝国が有色人種日本人に負けた」悔しさをチャーチルの私信に代弁させている。それは「引用もできない罵詈雑言で書き連ねられていた」という。どんな表現かは想像に難くない。 
蘭領東インドから追われたオランダ人ビンネルッは「日本人は背が低く不潔で黄色く曲がり脚の猿そのものだ。彼らは動物の檻を思わせる強烈な悪臭を放つ」『ルディ・カウスブルック『西欧の植民地喪失と日本』)とある。おそらくチャーチルもこのビンネルツと似た類の雑言を並べたのだろう。
その底には植民地という欧州諸国にとってかけがえのない財産を失った怒りと、もう一つ英国という大海軍国の誇りをずたずたにされた屈辱があったと思う。 
英国は海戦を知り尽くしていたつもりだったが、日本海海戦の観戦武官W・ペケナム大佐の報告に驚愕した。 
海戦は古来、舳先を相手艦の横腹に突き立てて沈めるのが形だった。英国製の戦艦三笠も舳先は当然のようにアントニオ猪木風に喫水線に向かってせり出している。 
東郷平八郎は、しかしこの舷舷相摩す接近戦をしなかった。
敵艦が主砲の射程に入ると砲術長・安保清種に試射させ、その距離を測って全艦にそこに向け一斉集中砲撃をさせた。
それでオスラビア、ボロジノらロシアの戦艦12隻が短時間に沈められてしまった。 
「海戦は主砲で勝負、接近戦用の副砲は使わなかった」というペケナムの報告にJ・フィッシャー提督が反応し、主砲を中心にした新戦艦ドレッドノート、いわゆる弩級戦艦を建造した。さすが海軍国だ。それだけでも凄いが、英国はなお改良を重ね超弩級戦艦を、さらに超超弩級のプリンス・オブ・ウェールズを建艦した。 
目的は新興海軍国日本を叩き潰すためだった。米国と謀り、日本に真珠湾攻撃の罠を仕掛けたとき、同艦はすでにシンガポールに待機していた。
前代未聞の司令官の敵前逃亡
日本海軍を壊滅させるべく仏印沖に出たところを日本の航空機が迎え撃った。そして海戦史上初めて航空機が装甲戦艦を撃沈した。
日本は海戦の形をまた書き改めてしまった。 
超超弩級艦を沈められ、おまけに植民地帝国主義の要だったシンガポールも落とされれば、チャーチルも下品な罵り言葉を並べたくもなる。 
それを考えれば、あの下品なマッカーサーの怒りと屈辱も十分推測できる。この男は臆病なのに勇敢な将軍を気取り続けた。
その化けの皮は真珠湾の朝に剥がれた。米太平洋艦隊が消滅したのを知らされ、彼は半日、取り乱した。 
ために真珠湾のあと、日本を即座に覆滅するために用意した30機の「重爆撃機B17」が日本軍機の空襲ですべて破壊されてしまった。 
B17はすでに欧州戦線を飛び、独がどんな新鋭戦闘機を出してきても逆に撃ち落としてしまう化け物重爆だった。もちろん撃墜された機は一機もなかった。それが30機。
「開戦すれば3か月で日本は地図から抹殺される」(ノックス海軍長官)はずだった。それを臆病マッカーサーが灰にした。
そのお粗末に加え、救援の太平洋艦隊も消滅したと思い込んだ。
彼はマニラを捨てて要塞島コレヒドールに逃げ、ついには自軍将兵を見捨てて1人メルボルンに逃げた。
司令官自ら敵前逃亡など聞いたこともない。それもこれもみな日本軍のせいだ。マッカーサーの味わった屈辱と怒りはチャーチル以上だった。 
彼は1944年、反攻の軍を任されるとまずマニラを攻めた。決戦を前に日本軍は聖トーマス大に抑留していた欧米民間人3千50人を米側に引き渡した。
マッカーサーはそれを待って「マニラを灰にしろ」と命じた。何千㌧もの爆弾を浴びせ、10万人市民を殺した。 
礼を欠いた処刑で私的報復を 
戦後、マッカーサーは自分に敵前逃亡させた本間雅晴中将を、でっちあげの「バターン死の行進」の責任を問うて死刑に処した。
執行は本間中将がリンガエン湾に上陸した4月3日に合わせた。それが私的報復であることを隠さなかった。 
終戦間際フィリピン守備隊司令官たった山下奉文大将は、戦後、「マニラ10万人大虐殺」の罪を問われた。
それは米軍の艦砲射撃と空爆が引き起こしたものだが、その責任を山下大将に擦り付けた。
判決は死刑。それも囚人服のままで絞首刑という武人に対する礼も欠いていた。 
そして東京裁判だ。注目すべきはここでも米国と支那が組んででっち上げた南京大虐殺の嘘で松井石根大将を死刑にしていることだ。 
第一次大戦では独軍の大虐殺話が様々出たが、ポンソンビーらが真偽を確かめ、どれもでっち上げが究明され、それによる報復処刑はなかった。
しかしバターンもマニラも南京も一切の検証なしで処刑して嘘を定着させている。 
東京裁判では残るA級戦犯は違法な事後法の「平和に対する罪」で東条英機らが死刑を宣告され、皇太子(現・上皇)の誕生日に7人全員が処刑された。 
処刑は最初に東条ら4人が同時に、その30分後、広田弘毅ら3人が吊るされた。
山下大将と同じ、死にゆく者への礼を一切欠いた悪意の処刑だった。 
先日の朝日新聞に「A級戦犯の遺体は焼いて灰は海に捨てろ」というマッカーサーの命令書が見つかったとあった。
彼は本間中将らすでに処刑したBC級の戦犯も「墓を掘り起こして焼いて灰を捨てろ」と命じていた。 
支那の故事に伍子胥(ごししょ)の話がある。
楚の平王に父と兄を殺された伍子胥は呉の王に仕え、時を得て楚を滅ぼし、平王の墓を暴いて300回鞭打った話を思い出す。 
こんな人間の屑と日本は戦った。
次は相手をよく研究してからにしたい。

 


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