文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

再発信。朝日新聞は「技術の過信」とか馬鹿を書く。それは違う。マッカーサーが施した民族丸ごと脳手術の傷は70年経っても治せなかったということだ。

2023年03月31日 10時51分51秒 | 全般

以下は、本日発売された週刊新潮に掲載されている高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二の言論人であることを証明している。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

航空ロボトミー
そのチンパンジーはすぐ暴れ、鵤みつき、おしっこを引っかけた。 
手に負えないから試しに猿の前頭葉を少し切除してみた。
途端に猿は大人しくなった。 
いやいや「大人しい」ではなく猿知恵も失って無気力になったのではないかと疑う声もあった。 
しかし精神疾患の治療に行き詰っていた医学界がこれに飛びついた。 
精神科医E・モニスは統合失調症患者の前頭葉の1部を切除(ロボトミー)してみたら20例中7例で改善が見られた。
30%を超える有効性だった。 
彼はその功で1949年のノーベル医学賞を貰った。 
米医学界はこの脳味噌切りに興奮してその時期、実に4万人の脳を切った。 
ジョン・F・ケネディの妹ローズマリーも実はその一人だった。 
明るく活発な少女は活発過ぎて、23歳の時に治療を強いられた。
結果、事実上の廃人になった。
こんな乱暴な手術に飛びつく米国人は日本人の目には狂暴なチンパンジーに見えるが、マッカーサーは逆に日本人こそ黄色いチンパンジーだと見下していた。 
しかし黄色い猿は白人しか作れないはずの飛行機を簡単に作って飛ばした。 
先の戦争直前には「航研機」が1万1000㌔の滞空飛行記録を樹立。
大戦中にも「A26」が1.5倍を飛ぶ大記録を出した。 
また毎日新聞社機「ニッポン号」が世界一周飛行を成功させ、寄港した米国などで大歓迎された。 
そして零戦だ。
米軍事評論家フレッチャー・プラットは「日本人は近眼のうえに三半規管が異常で急降下もできない」「日本製の飛行機は玩具だ」と評した。 
ところが日米が開戦してすぐにルソン島上空で米重爆撃機B17があっけなく零戦に撃墜された。 
欧州戦線では独新鋭機ハインケルですら歯が立たない。
逆に撃ち落としてきた怪物重爆だ。
それが手もなく撃墜された。 
何かの間違いではと思ったら、ニューギニアで5機編隊のB17が零戦9機にみな撃ち落とされてしまった。 
戦い済んでマッカーサーは「飛行機を飛ばすチンパンジーども」の無力化を真剣に考えた。
同時代にあったローズマリーの症例はいい参考になった。 
彼は日本人の脳味噌から「飛行機」の3文字を切り取る総司令部指令301号を発して飛行機に関わる全てを禁じた。 
日本人は飛行機を持たず、飛ばさず。作らさず。飛行機製造に関わる下請け企業まですべて廃業させた。 
航空力学の研究も教育も禁じられ、飛行機は少年雑誌に載る小松崎茂の挿絵にしか存在しなくなった。 
米軍を恐怖させた零戦も彗星も残存機すべてが破壊され焼却された。 
栄光のニッポン号も押収されて破壊された。 
羽田に保存されていた「航研機」もぶち壊されてから羽田飛行場にあった鴨池に放り込まれた。 
もう一つの世界記録機「A・26」は米国に持ち帰る途中で海中に投棄された。 
日本の技術の粋を粗大ゴミのように扱う。
白いチンパンジーらしい憂さ晴らしの仕方だった。
航空禁止令は丸7年で終わったが、この空白は予想外に大きかった。 
日本人はもう零戦を飛ばしたことも忘れていた。
日航が発足したが、飛ばす飛行機はみな米国製だった。 
日本で作ろうにも部品を作る技術陣も消えていたし、ジェット化に追いつく設計者もいなかった。 
でもYS11一11を作ったじゃないかという。 
あれは零戦を設計した堀越二郎ら生き残りの戦前派が設計図を引いた。 
しかしエンジンはロールスロイス社製、プロペラはダウティロートル社製。機体も米アルコア社製。
日本製の部品は何もなかった。 
戦後70年。
零戦を生んだ三菱がジェット旅客機を作ったが、米国の型式証明すら取れなかった。 
朝日新聞は「技術の過信」とか馬鹿を書く。 
それは違う。
マッカーサーが施した民族丸ごと脳手術の傷は70年経っても治せなかったということだ。



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