文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「月刊中国」の鳴霞女史によると満洲では日本の威を借りて暴れる彼らを「高麗棒子」と呼んで、随分嫌っていたという。 

2019年04月28日 23時37分52秒 | 日記

以下は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之の最新刊からである。
第四章 朝日と韓国はこんなに似ている
朝鮮人軍属にもこんな立派な人物が 
ロレンス・バンデルポストは南アに住みついたオランダ系の父とドイツ系の母の間に生まれた。 
父の国も母の国もあまり日本を快く思わない。
だから今でも日本人が迂闊にこの二つの国に入ろうとすると「持っているカメラは売るつもりだろう」とか因縁をつけて法外な金を税関が徴収する。
嫌だと言えば没収される。
少し前にフランクフルト空港で著名な日系バイオリニストが演奏用に持っていたストラディバリュスに「転売しないという保証書がない」と因縁をつけて一億二千万円を徴収しようとした。 
そんな血筋だからバンデルポストも日本には少し歪んだ視線を向けていた可能性は高い。 
彼は先の大戦で英軍に志願し、中東を経てジャワに着任したとき、オランダが日本に宣戦布告した。 
それから四か月後、日本の一個大隊が八万の白人が守る要塞を攻めたら、まともな抵抗もしないでたった一週間で白旗をあげた。 
それはフィリピンでもマレーでも同じ。
彼らが盾にしたフィリピン兵やインド兵がやられてしまうと白人たちはさっさと降参した。 
あとは捕虜収容所で寝て暮らす。
日本軍はこんな連中を養いながら戦争を継続しなければならなかった。 
バンデルポストはそんな日本軍に感謝の気持ちも持っていない。
逆に偉そうに「日本人の正気を疑う」といった感想を語っている。 
ただ『ロシアへの旅』で見せたように人種の機微についてはちゃんとした観察眼をもっていた。 
『戦場のメリークリスマス』の名で映画化された彼の作品では、日本人軍曹ハラと粗野で残忍な朝鮮人軍属カネモトをきちんと描き分けている。 
カネモトは捕虜を痛めつけ、挙句に力ずくで犯してしまう。 
それを責められ、かっとなって腹にナイフを突き立てる辺りは今どきの韓国の反日デモを彷彿とさせる。 
中国人孤児が書いた『七歳の捕虜』にもそんな朝鮮人が登場している。 
孤児は日本名を光俊明という。
姓の光は単三十七光師団から取ったもので、彼は昭和十八年、河南省王爺廟で戦闘中の同師団二二七部隊第七中隊に拾われた。 
以後、大陸打通作戦心参加した中隊とともに桂林から雨寧へ。
そして仏印に入ったところで終戦を迎える。 
戦後は軍医の養子になって日本で育ち、貿易商を営みながら体験を綴ったのがこの本だが、中に二点、興味深い記述がある。 
一つは行き逢う日本軍部隊に彼と同じ境遇の中国人孤児が拾われ、可愛がられて転戦している姿だ。 
その一人が俊明に日本軍はもう負ける、見切り時だと脱走を促す場面はいかにも中国人らしくて笑えた。 
もう一つが日本名の朝鮮人たちの振る舞いだ。
日本名になって急に中国人に威張り散らし、ときには暴力沙汰も起こす。
俊明も「親なし子の中国人」と悪態をつかれたと告白している。
「月刊中国」の鳴霞女史によると満洲では日本の威を借りて暴れる彼らを「高麗棒子」と呼んで、随分嫌っていたという。 
バンデルポストが紹介したように戦場でも高麗棒子は知られた存在だった。
戦場に彼らが来たのは予想外の捕虜の多さからだ。
何万もの俘虜に日本軍がかかずらうのは作戦にも響く。
かくて看守要員に朝鮮人三千人が動員された。 
そして敗戦。
捕虜と地位が逆転すると、日ごろの行いもある。
多くが捕虜虐待で訴追され、四パーセントに当たる百二十九人が有罪。
うち二十三人が処刑されている。 
先日の朝日新聞に朝鮮人元軍属が韓国政府を訴えましたとあった。 
訴えの趣旨は今一つ理解できないが、訴えた元軍属は戦後すぐ捕虜虐待で告発され、長らく死刑囚監房に繋がれていたという。 
よほど白人のうらみを買ったのだろう。
今の韓国人を見ていてもよく分かる気がするが、それでも死刑はなかろう。
彼ら白人はアジアでさんざ悪さをし、さあ日本軍が来たらすぐ降参だ。
楽な捕虜生活を選んだつもりだった彼らに現実の厳しさを高麗棒子加教えたとすれば、むしろいい教訓と思うべきだろう。  
(2015年6月25日号)


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